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≪≪≪≪≪≪ ●メルマガ会報0027号 2009年9月26日配信● ≪≪≪≪≪≪≪
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┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃
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│田田田田田| │★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2009年秋号 │
│田田田田田|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田| (http://www.supaa.com/)
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
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■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○-- 10月からは新学長のもとでの大学運営が始動しま --○ ∩
○-- す。時同じくして“政権交代”により、文部行政 --○ ⊂○⊃
○-- に見直しは必至です。信州大学のキャンパスには --○ ∪
○-- どんなデザインが描かれていくのか、興味津々。 --○ ∞l∞
○-- 当会では、第13回総会の概要が決まりました。 --○ ∞l∞
【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 2009「青少年のための科学の祭典」松本大会 報告・・・・・・・天児 寧
◇ 第13回信州大学物理会総会について・・・第13回信州大学物理会総会 幹事
◇ 連載第5回【信州大学への追想】“あの日あの頃”
「理学部の管理職に就いて」 ・・・・・・・・・・・・・宮地 良彦
◇ 山高きが故に貴からず(“大学法人化”のルーツを考察する)・・勝木 渥
◇ 60周年記念ホームカミングデイと12回物理会総会 雑感 ・・・・・志水 久
◇ 理学部同窓会役員会 メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・高藤 惇
◇ 武田学部長の打ち出した『理数学応援プロジェクト』とは? ・ 信毎WEB版
◇ 【OB/OGの現場から】第10回
「物性研究と大学非常勤講師」・・・・・・・・・・・・・・・鳥塚 潔
◇ ▼△ウィーン便り(2)△▼ オーストリアの山小屋体験・・・ 大塚 直彦
◇ 同窓会員登録された面々のプロフィール
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記
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■ 2009「青少年のための科学の祭典」松本大会 報告 ■
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天児 寧(信州大学理学部物理科学科・磁性実験研究室 教授)
(2009「青少年のための科学の祭典」松本大会 実行委員会事務局)
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8月1(土)、2(日)日の両日、『2009「青少年のための科学の祭典」松本
大会』が、理学部、理学部同窓会、長野県テクノ財団の共催、電気事業連合会、
信州大学生活協同組合の協賛で、理学部を会場として行われました。両日とも
あいにくの天気にもかかわらず、2000名を超える参加者をもって成功裏に開催
することができました。
この「祭典」は、子ども達に科学の面白さや技術の大切さを知ってもらうこ
とを目的に、1998年、科学技術庁(当時)の委託事業として長野市ビッグハッ
トを会場に開催されて以降、毎年夏休みの時期を利用して、長野(工学部、教
育学部)、松本(理学部)、上田(繊維学部)、伊那(農学部)の県内各地で順番に
自主事業として開催してきているものです。
理学部では、同様の目的で、毎年、信州自然誌科学館として「自然のおどろ
き」「自然のささやき」などの「自然シリーズ」を開催してきておりますが、
この「祭典」では、他学部や小中高校の先生方、児童・生徒さんたちによる学
部外のブース出展が多くなるのが特徴となっています。
今年の「祭典」でも「ものづくりコーナー」では「てづくりゴムボール」
(豊科高校自然科学部),「ソーラーカーの作成に挑戦しよう」(東京電力)など
22ブース中18ブース、「体験コーナー」では「小学生が作るコンクリート」
(長野高専環境都市工学科),「低温の世界を体験しよう」(南木曽小学校教諭)
など17ブース中14ブースが学部外の出展となりました。
「祭典」では、他に「目で見る宇宙線!」や「磁石でおもしろ実験」,「空高
くとばせ!アルコールロケット」(丸ノ内中学校)などの「物理,化学コーナー」
15ブース、「電子の目で見るミクロの世界」(高山理化精機株式会社)などの
「生物,地学コーナー」11ブース、「見てみよう触れてみよう南極の自然」(工
学部)などの「展示コーナー」7ブースがあり、1日がかりでも回りきれないほ
ど盛りだくさんなものとなりました。
また、特別企画として日本地球掘削科学コンソーシアムによる講演会や、理
学部探検ツアー「大学生と実験室・研究室をのぞいてみよう」がおこなわれま
した。理学部探検ツアーは「自然シリーズ」の学生委員会が企画したもので、
物理科学科では高エネルギー実験研究室と磁性実験研究室が公開され、とても
好評でした。
子どもたちが実験をしたり、ものを作ったり、動か ___
したりしながら、科学のおもしろさ、不思議さを体験 _l___l_
し、科学・技術への関心と理解を深める絶好の機会と [○ [**] ○]
して、「青少年のための科学の祭典」や「自然シリー ∪ ̄ ̄ ̄∪
ズ」をこれからも続けていければと、彼らの笑顔や驚 / : \
く顔をみながら感じた2日間でした。
なお、実験解説集は
( http://science.shinshu-u.ac.jp/~saiten/2009/index.html)で見ることが
できます。
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┃第┃13┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃に┃つ┃い┃て┃
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信州大学物理会総会は原則として松本と東京で交互に開催(間に名古屋開催
を行った年もあります)してきており、2010年は東京での開催になります。次
回の「物理会総会」の概要が固まってきましたのでご報告します。毎回、年次
報告、講演会と懇親会を行います。講演会では、明治大学理工学部物理学科教
授の松本節子氏(文理13回)にお話頂きます。幹事と開催日程は以下です。
= 第13回信州大学物理会総会 幹事 が決定 =
三上浩佳(文理10)、杉山範雄(理学12S)、近藤一郎(理学12S) 、鳥塚潔
(理学13S)、外山元夫(理学13S) 以上5名
(1)開催日(予定): 2010年5月29日(土)14:00 〜17:00
※13:45から受付開始 総会:14:00〜14:30、
講演会:14:30〜15:30、親睦会15:30〜17:00
(2)会場: 大手町サンケイプラザ(東京・大手町)
( http://www.s-plaza.com/map/index.html )
〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2 Tel.03-3273-2257〜9
※JR東京駅 丸の内北口より徒歩7分
(3)講演会:松本節子氏(文理13回:明治大学理工学部教授)
(4)会貴:10,000円(予定)
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【信州大学への追想】┃“┃あ┃の┃日┃あ┃の┃頃┃”┃ 連載第5回
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■ 理学部の管理職に就いて ■
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宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問)
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*
一年の留学期間も終了して、1971年8月30日パリのオ
●● ルリイ空港から帰国の途についた。ところがJALが中継地ア
●※● ラスカのアンカレッジ空港を飛びたって、やれやれ次は羽田だ
●\§ と寛いだ気分になったころ、風にあふられたドアが壁にぶつか
∞\ るような激しい衝撃音が二、三度聞こえた。旅慣れない私には
何のことか分からぬまま衝撃も治まったので安心していると、
機内アナウンスがあって、エンジントラブルのためアンカレッジ空港に引き返
すという。
禁煙とシートベルト着用のサインが出て、機はゆっくり旋回しながらガソリ
ンを放出している。だれかが煙草を吸ったら火が付くのかななどと呑気なこと
を考えながらも、機内は全く平静であった。アンカレッジ空港への着陸は無事
に済んだのだが、気がつくと空港内は消防車や救急車が一杯である。ロビーに
降り立って居合わせた日本人から聞いたところによると、われわれの機が離陸
してから30分程して、急に周囲が慌ただしくなり空港が閉鎖された。てっき
り事故だと思っていたら、もどって来たのは出ていったばかりのJALではな
いか。無事に着陸できるかどうか固唾を呑んだとのこと。
知らぬが仏とはまさにこのことである。このトラブルのため、後続のフラン
クフルト発羽田行のJALに乗り換えさせられて予定より5時間程遅れて羽田
に到着。家内と息子とが予定の時間に空港に迎えに来ていたのだが、散々待た
されたあげく、到着は夜になるというアナウンスにホテルに帰って出直そうと
階段を降りかけた。そこへたまたま帰国手続きを終えて出て来た私とばったり
出会うという幸運に恵まれて、すれ違いの混乱を避けることができたのであっ
た。
帰国した私を迎えてくれたのは、完成したばかりの理学部の校舎であった。
それまで戦前戦後を通じて、冬期の暖房と言えば火鉢かせいぜいダルマストー
ブしか知らなかった私は、ここではじめてスチーム暖房という近代的な研究室
に住むことになった。
信州の夏は涼しいので冷房はつかないけれども、窓をあけておけば風が吹き
通って誠に爽快であるし、南向きで明るい5階の研究室の冬の暖かさは、アラ
ジンの石油ストーブと電気コタツだけで隙間風の多い大学宿舎よりはずっと快
適だから、少なくとも研究室にいる限り厳しい松本の寒さは苦にならない。一
年間の外国生活で学内情勢については浦島太郎のような私は、久しぶりの講義
の準備や研究の続きのための自分自身の仕事に集中することができた。
● 理学部長というストレス ●
この自由な生活も実は束の間の平穏に過ぎなかった。というのは帰国して一
年も経たない1972年8月、理学部長に選挙されてしまったからである。普
通の学部内の役職ならばなにかの理由をつけて辞退が可能だが、この職は、学
部長選考規定というしかつめらしい手続きに従って行われた選挙の結果だから、
いい加減なことでは断れない。そのため幾分健康に不安があったのだが引き受
けることにした。後になって管理職というものがいかにストレスとなるものか
思い知らされることになる。
悪い兆候は年が明けると忽ちやってきた。1973年1月4日、御用始めの
あと例年通り学部長室で一杯やっているところへ飛び込んで来たのは、上高地
涸沢での雪崩による学生遭難のラヂオニュースである。文理学部に赴任してま
もなく補導委員をやらされた時、夏休みの休暇に入ることになって、「これで
学生もいなくなるから安心だ」と洩らしたところ、「信州は山などで学生の遭
難が何時入るか分からない、休みに入ったこれからが危ないんだ」と教えられ
たのだったが、まさにその通りである。
今度の件は、理学部学生2名が民間の山岳会に合流して冬山を目指し、涸沢
でキャンプを張っていたところを雪崩にやられたらしい。学部には届け出がさ
れていなかったので、マスコミ情報に頼るだけで手の打ちようがない。結局全
員が遺体となって発見されたが、学生の親元への連絡、遺体の引き降ろし、葬
儀等に忙殺された。特にこの内の一人は、卒業を目前にした物理学科4年生で、
私の研究室に所属する北海道出身の学生だったからなおさらのことであった。
昭和40年代も終わりに近いこの頃はまた、大学教官の定員削減、筑波大学
創設に対する大学の反発、信州大学中央図書館の統合のための定員供出をめぐ
る学部エゴの調整、中東戦争の余波を受けての石油ショック等、ややこしい問
題が多かった。こういった問題についての教授会での議論は、かなり紛糾する
しまた長時間にわたるので、学部長の舵取りも容易ではない。
そこには日頃の教室間の反目や微妙な人間関係が絡んでくることもあって、
学部長の椅子はまさに針の筵である。それやこれやで心配していた健康上の不
安が現実となって現れた。実は昭和41年文理学部の改組の頃から、食後に胃
の痛みを覚え、医師から胃潰瘍と診断されていた。酒を控えたり食事に注意し
たりすると痛みが無くなるのだが、ちょっと油断するとまたぶり返すというこ
との繰り返しである。
● 健康上の不安 ●
外国留学にでかける時にも医師の注意で薬を持参していたが、外国ではさす
がに用心して余り酒も呑まないしストレスもないから、デンマークでの9ヶ月
の生活を終わってマルセーユに移った頃には、胃の存在をすっかり忘れたよう
になっていた。ところが帰国後の安心感と、学部長に就任してから教官や事務
職員等と一杯やる機会が増えたこともあって、明らかに胃潰瘍再発の自覚症状
がおこりつつあった。
こんな時たまたま共済組合の日帰りドックによる健康診断を受けたところ、
担当の学内保健センターの先生が首をかしげて、すぐに胃カメラをやれという。
写真だけでなく組織検査もやられた結果は、ひとまずは普通の胃潰瘍と診断さ
れ、薬の定期的服用と月に一度胃カメラの定期検査を申し渡された。しばらく
これを繰り返していたのだが、潰瘍の様子は一進一退で、良くなったと思うと
また傷口が開く。医師のいうところでは、普通の人の潰瘍は丸く凹んでいるの
だが、あなたのは線状になっている、いままで何回も傷が開いたり閉じたりし
た結果だろうとのこと。
薬の服用だけでははかがゆかないので、毎週一回胃の局部注射をしましょう
という。胃カメラの横に付けた注射器で傷口のまわりに注射をするという当時
始められたばかりの治療法である。医師によるとワンラウンド10回で治癒率
は90%だというのだが、それで良くならない時はどういうことになるのだろ
うか。ひょっとすると潰瘍ではなくて悪性のものではないかなど、妙なことを
考えてしまう。後になって保健センターの医師が打ち明けてくれたのだが、
「線条潰瘍というのは癌になりやすい、先生のも実は早期胃癌ではないかと疑
っていた」そうである。
こちらはそんなこととは露知らず、酒も煙草も止めはしたものの食欲は進ま
ず、何時まで経っても病状が好転しないし、ストレスは溜まる一方である。と
うとう保健センターの大森先生に診断書をもらって学部長の辞職を願い出た。
こうして任期を2ヶ月残した1974年6月学部長職か
ら解放して頂いた。人間の精神状態とは不思議なもので、 vvv
学部長を辞めると病状は回復の方向を辿ったが、それでも vvv ( )
自覚症状が無くなり、胃カメラによる診断でも異常なしと ( ) ~|~
いわれるようになるまでには3年近くかかったのであった。 ~|~ | /
この間酒も煙草も一切停止、酒の方はその後復活したが禁 |/\|/
煙はそれ以来現在まで続いている。
(文中の肩書は当時のもので、敬称は省略いたします。) (以下次号)
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■ 山高きが故に貴からず ■
(“大学法人化”のルーツを考察する)
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勝木 渥(元信州大学教授/東京都多摩市在住) 20AUG.2009
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信州大学創立60周年記念ホームカミングデイ第2日(2009
/ ̄ ̄/ 年6月6日)の理学部主催昼食会で、私は退職者を代表して祝
/ ◆ /~~~/ 辞を述べるようにと指名され、それを受けて、大略以下
/ /◇ / のように語った。
~~~/~ /
~~~~~ ※
退職者を代表して一言述べるようにとのことであったが、私が代表し
うるのは私自身でしかない。以下に述べることはそのようなものとして
受け止めてほしい。
信州大学が創立60周年を迎えたということは、昔流にいえば「還暦」
を迎えたということである。私も今年、数え年80歳、昔流にいえば「傘
寿」になった。あと10日ほどで満79歳になる。ところで、『論語』第一
巻第二「為政編」四の中に次の名句がある:「七十而従心所欲不踰矩」
〔七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず〕
私が中学校の漢文の授業でこれを習ったとき、「聖人孔子は70歳とも
なると人格が完全に陶冶されてしまっていて、孔子がしたいと思うこと
は、すべて道義にかなっていた」という修身っぽい解釈がなされていた。
10年前、数え年70歳に達した私は上の解釈を棄てて、「70歳を超えたら、
自分の思うままに好き勝手に振舞っても、矩を踰えることはない、構わ
ないのだ」という新解釈を採ることにした。古希を遥かに超えて傘寿に
達した私は、この新解釈に基づいて、論語の教えを日々拳々服膺してい
る。(以上は、「祝辞」と称しつつ以下の「祝辞」に相応しからぬ「辞」
を述べるのは、上記の理由からであるとの前置きのつもり。)
「山高きが故に貴からず、樹有るを以て貴しと為す」という言葉がある。
人にしろ組織にしろ長寿であることがめでたいのではない。その内実が
問題なのだ。
私が29年間在職した信州大学を1996年3月に定年退職してから13年が
経過したが、その後もずっと信州大学のことに関心を抱き続けていた。
国立大学の法人化が政治の日程に上り始めたころには、わがことのよう
に心を痛め、「法人化するとこのような状況が到来して大学が大学らし
い知的学術機関として存在する基盤が破壊される」との危惧から、全国
的な反対(の意思表示)運動が起こっていたことを頼もしく眺めていた。
しかし、結局は政治的力関係で法人化は強行された。多くの大学人が
法人化されたらこのような状況になるから反対だと言っていたその予測
は的中して、法人化以後予測したとおりの状況が出現したのに、外から
見ていて理解しがたいのは、反対を標榜していた大学人たちが、 法人化
されてしまったその瞬間から、法人化が目指していた事態に向 かって率
先して邁進しているとしか言いようのない状況になってしまった(よう
に私には思える)ことである。
大学が知的活力を維持し続けていくための一つの必要条件は自由闊達
なリベラルな雰囲気が保持され続けていることであるが、大学も学会も
「知の楽園」であることをやめて「監視社会」になってしまったといえ
るような兆候が顕著である。私は大学の知的学術機関としての再生に向
けての地道かつ不退転の営為が大学人自身によって展開されることを衷
心から期待する。
※
このように私が述べたとき、私の脳裏を去来していたのは、国立大学の独立
行政法人化は、単に1999年4月の閣議決定に端を発し、2003年7月に関連6法が
成立して10月施行、2004年4月に国立大学が国立大学法人に移行したという5
年間だけの出来事ではなくて、日本を占領した連合国軍の最高司令官総司令部
(GHQ)が日本の学制改革に手を付けて以来の悲願が、日本の独立後も日本の
支配層に引き継がれて、延々とその方向への努力を機会あるごとに顕在化させ
てきたが、その都度、学生運動や大学教職員や大学当局の反対で実現に至らな
かったものなのに……という思いであった。
かれらは辛抱強く時を待って、かれらの悲願、大学をかれらの完全支配下に
置くという悲願を、60年後に達成した。
『資料 戦後学生運動』第1巻 p.227-230 には東大文学部学生 平山百合子・
直井寿、東大法学部学生 中村正光・井出正敏 がCIE(GHQ幕僚部の一部局、民
間情報教育局)の考えているB・Tの構想について、1948年4月11日にCIEでDr.
ホームズと会見して説明を聞いたその内容の報告が紹介されている。
さらに、1948年4月28日に東大で開かれた「全国国立大学学生自治会連盟代
表者会議」の議事録によれば、議事内容は、授業料問題・理事会問題・教育復
興会議であるが、理事会問題については《東大から本問題ついての詳細な説明
がなされたが、CIEの原案に反対は、満場一致で可決。更に……》とある(p.
233)。
また、「全関西学生自治連盟総会・BT案反対決議」と題して『学園新聞』の
1948年5月3日付の記事が紹介されているが、それによれば、1948年4月20日に
京大で開かれた表記総会の議題は《理事会(B・T)案問題と授業料値上げ問題の
二つであった》(p.236)。
「全日本学生自治会総連合(全学連) 結成大会議事録」によれば、結成大会は
1948年9月18‐20日に東京で開かれたが、大会第3日に闘争目標II教育のファッ
ショ的植民地的再編成絶対反対の提案がなされ、その第1に理事会案(B・T)反
対が取り上げられている(p.291)。(闘争目標Iは学生生活擁護のための闘争で、
第2日に討論。)全学連はその発足の当初から、否、すでに発足の前から全学
連結成への流れの中で、現在の国立大学独立行政法人化に通じる理事会案への
反対を、旗幟鮮明に掲げていたのである。
私は、信州大学に赴任する前、1961年4月から1966年3月までの6年間名古屋
大学に在職していたが、1966年か1967年かに名大職組連合会委員長を務め、そ
のとき構想されていた大学管理法に反対して、全学集会を開催したり、県下の
国公私立大学教職組の参加する野外集会を開いたりした記憶がある。その頃の
資料をいま直ちに手にしえないので、それらの日時を確かめることはできない
が、この寄稿の本文末尾に「……その都度、学生運動や大学教職員や大学当局
の反対で実現に至らなかったものなのに……」と書いたのは、上記の資料と記
憶に基づく。
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■ 60周年記念ホームカミングデイと12回物理会総会 雑感 ■
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志水 久(理学92SA・物理科学科物性理論研究室 准教授)
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_ 去る6月6日、信州大学創立60周年記念事業のひとつ
//\ として、ホームカミングデイが催されました。当然の
/ / 田\ ことながら、10年前には50周年記念事業があったわけ
/ / \ で、私はそのときすでに助手として信州大学に勤務し
~~~~~~~~~~~~~ ていましたが、特に参加することはありませんでした。
今回は50周年のときと異なり、4Sの卒業生で理学部長の武田先生から同窓
会の仕事をするように下知が下り、よくわからないまま理学部同窓会と物理同
窓会の役員に名を連ねて、参加することになりました。
当日の予定は、午前中に各学科と理学部の同窓会総会が開かれ、お昼に理学
部主催の昼食会、午後は大学主催の記念式典などがありました。やはり、参加
されたのは自分の時間をある程度自由に使える方が多く、自分と同年代の参加
者は見当たりませんでした。参加された方々にとっては、建物や教員の顔ぶれ
が一新していることや、大学の法人化による母校の現状は興味のあることだっ
たように感じました。
同窓会の総会は年に1回の開催のため、事務的報告に偏る傾向にあると思い
ますが、物理同窓会では、宮地先生や武田学部長、宗像 物理学科長のお話で、
在りし日の思い出や学科の現状にふれることができ、参加された方にはご満足
いただけたことと思います。
理学部同窓会では、生物科学科の同窓会設立が報告され、これで全6学科の
同窓会が揃ったことになります。理学部教員の研究紹介冊子『信州で学ぶ』は
理学部同窓会の援助の元で発行されましたが、今回の総会では同窓会規約の不
備や曖昧だった同窓会役員について改正があり、今後も理学部の支援のために
尽力していただけると期待しています。昼食会では、それぞれ旧交を温めあっ
たり、現教職員や理学部の近況が紹介されました。会場には、卒業生の方々が
学生時代に撮られた写真が展示され、昔を思い出した人も多かったと思います。
次のホームカミングデイはおそらく10年後です。今回参加できなかった方や
今はまだ昔を振返ることのない方も、案内が届きましたら気が向いたらご参加
ください。
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┃理┃学┃部┃同┃窓┃会┃役┃員┃会 ┃メ┃モ
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◎8月28日、松本市内で理学部同窓会の(理事・幹事合同)役員会が開かれま
した。森会長ほか18名の役員が参加。物理からは、武田学部長、志水理事、高
藤幹事が参加しました。以下はそのときのメモです。 高藤 惇(理学2S)
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■ 武田学部長の挨拶:
09年入試は理学部平均で倍率2.0倍前後で前年なみだった。推薦、AOな、
ど選抜方法は複線化。物理の後期はセンター試験のみに。県内の出身者は
26%ほど、比率は増やしたい。取り組んでいる事業としては「コアサイエ
ンスティチャー」「教員免許更新」「自然環境マイスター」「シニアサマ
ーカレッジ」などだが、本年より「理数学応援プロジェクト」が文科省に
認可された。千数百万円の予算が4年間支給されることになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ 信大同窓会連合会役員会(7/25)報告:
入学時に全新入生から、連合会費として1000円徴集する案は否決された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ 会計から本年度同窓会費の納入状況の報告
全学部の入学者219名に対して納入者は176名 〜〜〜〜〜
(約8割)。数理:57名(入学者数)→46(支 \______/
払った人の数)、物理:36名→26、化学:40名 / \、
→35、生物:32名→26、地質:32名→26、物循 o。 _/} ,\
:26名→23 <')_><{ l
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ \ ` `/
■ 理学部同窓会報発送数と名簿の整理:
部と科の同窓会で統一的に取り組む仕組みについて話し合われたが、結
論はでなかった。直近2009年3月、部の発送数は約5500だった。
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◎武田学部長の打ち出した『理数学応援プロジェクト』とは何か?
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意欲高い学生に特別カリキュラム 信大理学部 (信毎WEB版8/12より抜粋)
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信大理学部は10月から、意欲的な学生が早くから第一線の研究現場で学べる
よう支援する特別カリキュラムを導入する。「能動的学習意欲をもつ理数学生
の発掘と育成プログラム」と銘打ち、学生が理学全般の用語を解説する辞書を
インターネット上につくるなどユニークな内容。卒業研究は通常より半年から
1年早い3年次から始め、同大大学院への飛び級入学もできる。
カリキュラムは1年次の後期から参加でき、中途編入も可能。辞書作成は1
年後期から2年にかけ、グループや個人で興味のある分野を執筆。初めは学内
で、完成度の高い記事がそろったところで学外にも公開する。
貪欲(どんよく)に知識を得てもらうため、1年次から学内や他大学の研究
室に出入りして研究やゼミに参加することを推奨。そのための旅費も支給する。
3年次で卒業研究を終えて成績の良い学生は、卒業を待たずに大学院に進める。
同学部によると、カリキュラムには1〜3年生の計約90人が参加予定という。
武田三男理学部長によると、プログラムは「自ら積極的に行動できる学生を
育て、社会に送り出すのが目的」。飛び級入学を利用し、研究意欲がある学生
の他大学への流出を防ぐのも狙いだ。
●/ 科学技術に関する人材育成を目指す文部科学省の「理数学生応援
/■ プロジェクト」に採択され、本年度から4年間、年1600万円の補助
>\ 金を受ける。武田学部長は「軌道に乗れば工、繊維学、農学部にも
広げたい」と話している。
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┃講┃演┃の┃ご┃案┃内
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◎信大全学教育機構の授業「現代職業概論【SUNS】」
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■期日:10月21日(水)午後4:20〜5:50 (90分)
■場所:信州大学信大全学教育機構(元教養部)講議室
■講師:太平博久(理学6S/株式会社ニコン)
■授業のねらい:社会状況が急激に変化している現代社会において必要となる
社会観、倫理観、職業観、生活指針、ビジネスマナーなどを、企業人
の体験を直接聞くことによって、将来の職業選択に役立ててもらうこ
とを期待する。
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┃O┃B┃/┃O┃G┃の┃現┃場┃か┃ら 《 第10回 》
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■ 物性研究と大学非常勤講師 ■
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鳥塚 潔(理学13S 物性研究室・千葉県柏市在住) 07SEP.2009
【東京大学物性研究所外来研究員/法政大学・東京理科大学・埼玉
大学などで非常勤講師】
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信大時代は剣道と物理の“文武両道”を目指したという鳥塚さ
(・> ん。大学院は東北大に進み、物性の理論から低温物理学の実験系
/彡)) に進出。その後、最先端の研究を求めてヨーロッパに留学。しか
/ / し、帰国してからの職探しに苦労する。東大物性研の(無給の)外
/"?k_ 来研究員をしながら、首都圏の大学で非常勤講師をつづける。現
在の「大学非常勤講師」の実態も知ってもらいたいと……。
◎WEB版→ ( http://www.supaa.com/kikou/toritsuka01.html )
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私は信州大学の学生だった頃は、体育会剣道部に所属し、4年間剣道をやっ
ていました。全日本学生の大会は日本武道館で行なわれるのが慣例で、選手と
して1度でも武道館で試合をしてみたい、という夢を抱いておりました。物理
も良くできて剣道も強くてという、文武両道の人間にあこがれていました。
学部4年生の時は、勝木先生の研究室に所属し、卒業研究として、勝木先生
の固体物理学のゼミ(テキストはA. Haugの“ Theoretical Solid State Phy
sics ”)、高尾先生の量子力学のゼミ(テキストはランダウ・リフシッツの
「量子力学」)で勉強させていただきました。
大学院は東北大に進み、低温物理学の実験系の研究室に入ることができまし
た。低温物理学の研究室を選んだ理由は、ただ漠然と面白そうな分野だ、と感
じたからです。東北大に入学した頃は、同じ国立大学でもどうしてこんなに信
大とは違うのだろう、と驚いてばかりいました。物理学科の教官数も研究室数
も数え切れないほど多く、超低温施設と呼ばれるおそらく数億円はすると思わ
れる規模の実験室もありました。学生も身なりがキチンとしていて、(私もそ
うでしたが)信大生みたいにジャージを着て登校するような学生は皆無でした。
1972年に約1mKの低温下で液体ヘリウム3の超流動相が発見され、それか
ら10年ちょっと経過した頃に、私は超低温分野の大学院生になったわけです。
「固体物理」という月刊誌に「超低温」の特集号(1984年Vol.19, No.10)が
出たほど、当時としては注目される分野の一つではなかったかと思います。ヘ
リウム4(約2.2Kで超流動)、ヘリウム3がそれぞれ単体で超流動になること
がわかり、次は両者の混合溶液の超流動が注目を集めていた時代です。
液体ヘリウム3は液体ヘリウム4に約6%まで溶け、これを混合溶液と呼び
ますが、混合溶液中でヘリウム3が超流動になるのではないか、という予想が
あり、超流動探しが試みられていました。しかし約100μKまで低温にしても発
見されず、現在でも未発見です。低温物理学では、低温を得る作業物質として
液体ヘリウム(沸点4.2K)を大量に必要とし、金がかかるわりには論文の書け
ない分野だということで、物性物理の他分野の人たちからは嫌われていました
。実際、私が選んだ研究室にはD4(博士課程4年目)〜D8の人がいて、大学院
生の平均年齢は高いものでした。他の研究室にもD4以上の院生はいましたが、
とりわけ低温物理の研究室では多かったのです。今でこそ博士課程の院生は3
年で卒業させなければいけない、という意識が大学教員の中にはあるようです
が、当時の東北大では、3年で卒業させようとする指導者側の熱意は感じられ
ませんでした。私自身も1988年3月にD3が終わった時には博士論文は白紙でし
た。
D3の夏に京都で開かれた低温物理学国際会議に参加しました。ちょうど高温
超伝導体が発見されたばかりの頃です。そこで、ヘルシンキ工科大学のロウナ
スマー教授の低温研究室で研究者を募集しているという話を聞きました。私は
ちょうどその頃、ヘルシンキ工科大学の低温研究室で1980年代になされていた
研究、つまり超流動ヘリウム3の渦の構造の研究にずっと興味と関心を持って
眺めていました。いつか自分もそこに行きたいと思い、語学教材のリンガフォ
ンのフィンランド語講座を買い込んだりして、自分の夢を膨らませていました。
実際には語学を勉強する暇もなく、ほとんど使わないままでした。日々ヘル
シンキに行きたいという気持ちを募らせていましたから、研究者募集の話を聞
いたときには飛びつきました。そして採用になり、1988年3月に東北大を中退
し、モスクワ経由のアエロフロート機でヘルシンキに向かいました。これが私
が生まれて初めて乗った飛行機です。フィンランド語はもちろん英語さえもろ
くにできないくせに、博士課程3年間をやり直すつもりでヘルシンキに乗り込
んでいきました。
ヘルシンキでの生活は驚くことばかりでした。まず研究室の人はみんな朝型
であることに驚きました。日本の大学院生は、昼頃研究室に出てきて深夜まで
居る、という夜型人間が多く、私もそれに慣れていましたが、ヘルシンキでは
朝9時から夕方5時までが仕事の基本時間でした。みんな夕方は早めに帰宅す
ることを心がけていて、大学院生でも、きょうは家でサウナのある日だから、
という理由で早めに帰っていくことがあります。サウナが早く家に帰る理由と
して立派に通用することに驚きました。ただ現実には、低温物理実験の研究室
では、冷凍機の面倒を見なければならないので基本時間外に研究室に出向くこ
とはよくありました。
また、ヘルシンキでは大学院生も給料をもらって研究者とみなされている点
が日本と違いました。今日では日本でも大学院生はリサーチ・アシスタントと
いう名目で給料をもらえるようになっているようです。ヘルシンキで4年間を
過ごしましたが、その間に私が最も強く感じたことは、「研究をビジネスにし
ている」ということです。優秀な人材を選抜してそういう人にどんどん良い仕
事をしてもらって論文を多く書いてもらえれば、研究室としても研究費がたく
さんもらえるという考え方が支配的でした。未熟な人間を一人前に育てるため
には時間と金がかかるものですが、育てようという意識は全然ありませんでし
た。少ない金と僅かな時間で良い成果を出そうという合理性だけが求められて
いて、そういう意味ではヘルシンキ工科大学は教育機関ではないな、と感じま
した。
ヘルシンキ工科大学では、超音波を用いて、超流動ヘリウム3における集団
運動のメカニズム、渦の構造の研究に従事することができました。渦を作るた
めには、1mK以下の超低温状態にある超流動体を冷凍機ごと円筒軸の周りに回
転させなければなりません(回転速度は1 rad/s程度)。そのような回転でき
る冷凍機を所有している研究室は、当時はヘルシンキ・グループだけでした。
そういう貴重な冷凍機を使わせてもらえたことは自分には幸いでした。そして
1992年の1月に学位をとることができました。
その後、1992年の3月からイギリスのランカスター大学のピケット教授の低温
研究室にポスドクとして雇ってもらいました。イギリス人はユーモアがあって
付き合いやすい人たちです。また、古い物やこれまでの自分たちのやり方に固
執する人たちでもあります。ランカスター大学の低温研究室でも、超流動ヘリ
ウム3などの実験研究をやらせてもらい、任期の2年間を過ごすことができま
した。この間、アメリカのオレゴンで開かれた低温物理学国際会議、フランス
のコルシカ島で開かれたヨーロッパの低温物理学シンポに参加させてもらった
りして、良い研究環境でした。夏休みには、ネス湖やエジンバラに行ったりし
て旅行も楽しみました。
1994年3月に帰国しましたが、日本ではバブルがはじけたばかりの経済状況
が悪い時期にあたり、就職できませんでした。それで東大物性研究所の無給の
外来研究員になり、研究に従事させてもらって今日に至っています。
最初は超低温部門の久保田助教授(現准教授)の研究室に置いてもらい、久
保田先生が立ち上げようとしていた日本初の回転可能な冷凍機の作製にかかわ
りました。その後同じ超低温部門の石本教授の研究室に移り、初めて固体試料
を対象とする実験に従事しました。Van Vleck常磁性体のPrCu6の磁場中比熱、
磁化率の測定を行い、面白い結果を出すことができました。磁化率の測定にあ
たり、SQUIDと呼ばれる測定機を貸してもらったことがきっかけで田島助教授
(現准教授)と知り合いになり、今日まで田島研究室に置いてもらっています。
有機分子性導体の熱伝導度の測定を行ない、論文を出すことができました。
データ解析にあたり、勝木先生の「物性論I」で勉強したWiedemann-Franzの法
則、フォノン振動のDebyeモデルなどが出てきて懐かしく思いました。
帰国後1年経過した1995年から、東京近郊の大学で非常勤講師をやりながら
生計をたてています。2009年度は、東京理科大、法政大、埼玉大でやっていま
す。大学教員の公募が出るたびにあちこちに応募し、数多く出せばそのうち専
任教員になれるだろう、と思っていました。物性物理の実験系一般の公募では
多分100名位の応募者があると思います。何度か面接に呼ばれたことはありま
したが、いつも最後は不採用でした。
こんなことを繰り返し、30代、40代が過ぎました。40代前半になると、応募
しても面接に呼ばれることはなくなりました。この業界では年齢が若い、とい
うことが就職に決定的に有利になるのです。40代半ばを過ぎると応募するのも
嫌になってきました。結局なれないまま十余年が経過し、今日に至っています。
今日の一般社会では正規社員、非正規社員との間の大きな待遇格差が社会問題
となっています。その縮小版が大学における専任教員と非常勤講師です。
非常勤講師の待遇は非常に悪く、週に15コマの授業を担当しても年収500万
円になることはありません。このへんの事情は、勝木先生が「ある非常勤講師
の場合」と題して、日本物理学会誌63巻6月号(2008年)pp.461-464に詳しく
記事を書いてくださいました(同じ記事がネットに掲載されています)。この
記事中の「T君」とは私のことです。
こうして十年以上非常勤講師で生活しながら無給で研究を続けています。社
会的身分がない、収入が少ない、ということは結婚の上でも大きな障害になり
ました。結婚相手を世話してくれる人もいましたが、私のこうした状況を聞き
及んで会うのを断ってきたケースもありました。しかしながら、45歳のときに
結婚することができ、幸せな家庭生活を送っています。52歳になった現在、柏
市内の物性研究所の近くに小さいながらも初めて家を新築中です。普通の人よ
り15〜20年遅れて人生を進行しています。だから定年も80歳くらいにしようと
思っています。
私の知っている人で60歳に近い大学助教(助手)の方がいて、「助教のまま
定年を迎えると年金が少なくなる」と言って随分と自分の老後を心配されてい
ました。私の年金はその人よりも大幅に少なくなる見通しですが、私は心配し
ていません。ちょうど、ヘルシンキに行きたい、と強く思い込んでいたら本当
にそれが実現したのと同じように、天からの助けが必ずあり必要を満たしてく
れると信じています。
非常勤講師という身分で学生と接していますが、学生気質は我々が学生だっ
た頃とは随分と違うようです。今の学生たちは同学科同学年でも、クラスメー
トの名前を全部は知らないようです。学生の基礎学力は年々下がっている、と
大学の先生方は皆言っています。個別にあれこれ教えてあげてもだめで、「遅
刻をせず時間を守れ、授業中は先生の話に集中せよ、挨拶をきちんとせよ」、
といった生活指導的なところから改善に取り組まないとだめなんじゃないかな、
という気がします。
また、私は今でもFeynmanの力学や電磁気学、Kittelの固体物理学などを開
くことがあります。私が学生の頃、ある先生が「Feynmanシリーズは大学初級
向けの教科書ですね」とおっしゃっていましたが、とんでもありません。私が
今読んでも教えられることがたくさんあり、感動を覚えます。Feynmanシリー
ズを早く読破したいと思っています。
最後になりますが、学生時代にお世話になった先生方、先輩方、同期(13S)
の皆さん、本当にありがとうございました。私はまだまだ自叙伝的な文章を書
く年齢ではありませんが、パッとしない卒業生もいるな、
と笑いながら本稿を読んでくだされば幸いです。
人
/ \ ※ ● 関連WEBサイト ●
(∴∵∴)※※ 東京大学物性研究所新物質研究部門田島研究室
 ̄ ̄ ̄※※ ( http://tajima.issp.u-tokyo.ac.jp/ )
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┃大┃塚┃直┃彦┃の┃ウ┃ィ┃ー┃ン┃便┃り ┃第┃2┃回
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◎オーストリアの山小屋体験
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大塚 直彦(理学24S/国際原子力機関・IAEA勤務)
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今週、シルバーウィークだからというわけではありませんが、信大農学部出
身で、昨年ウィーン農科大で学位を取得された国際応用システム分析研究所(I
IASA)研究員の青木健太郎氏に誘われ、オーストリアのザルツカンマーグート
地方にハイキングに出かけました。編集長から前号掲載のウィーン便りの続報
を是非にということで、山に囲まれた信大の同窓会報ですから、今回はこのハ
イキングのレポートをお届けしてみることにしました。(25SEP.2009)
●「山岳の国」オーストリアの麓を行く:
( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w02_01.gif )
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■ 信大農学部出身の青木氏に誘われて
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o オーストリアはその国歌が「山岳の国、大河の国」と歌い
⊂二二⊃ 出されるように、美しい山岳景勝地が数多くありますがその
⊂| |⊃ 多くは国土の西側に集中しており、一方で私が住んでいる首
|___| 都ウィーンは国土の東端近くに位置しています。
()()()()() そのため小屋泊まりのやや本格的なハイキングをやろうとす
ると、ゆとりを持って行動するためにも前夜には麓について
置くことが肝要です。
今回の目的地は、上オーストリア州とザルツブルク州の州界のDachsteinと
いう山域でしたが、青木氏は週半ばからの環境政策調査のために近くのWel
fenwengに泊まっている、ということで僕も金曜夕方19時20分の汽車に乗り込
んでこの村を目指しました。Bishocshofen 駅で青木氏の出迎えを受け宿屋に
着いたのは23時過ぎでした。
●信大農学部出身の青木健太郎氏と:
( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w02_02.gif )
翌日土曜はまずゴーサウ湖(Gosausee、標高930 m)へと車で移動です。ここ
は著名な観光地である Bad IschlやHalstattから郵便バスが乗り入れ、またロ
ープウェイの山麓駅があることから多くの観光客で賑っています。湖の奥には
我々の目的地であるDachstein山塊がそびえており、これを眺める湖の周囲一
周約5キロほどの遊歩道は誰でも楽しく歩けます。
当日は風もなく水面越しにゆうゆうと泳ぐ大きな魚を見ることができました。
湖畔にはDachstein山塊のピークの図説が幾つかありましたが、不思議なのは
最高峰(Hohe Dachstein)の標高が、看板によって3000m以上だったり以下だっ
たりしたことです。
我々はまず登山口となる奥ゴーサウ湖(Hintergosausee、標高1150m)まで、
一般の観光客に混じって林道をおよそ2時間ほどかけて歩くことになります。
丁度、槍ヶ岳を目指す登山客が上高地から林道歩きをするようなものです。
氷河の侵食で出来た谷(カール)は一定の勾配で標高を下げていくものではなく、
僕が見る限り不連続に標高が変化する壁がところどころあるようですが、美し
い奥ゴーサウ湖はまさにそのような壁の直下にありました。
●奥ゴーサウ湖はカールの底にある:
( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w02_04.gif )
湖畔から登山道に入った我々はいきなり約700mほどの壁に直面し、この壁を
ジグザグによじ登ることを強いられました。勾配が緩やかになる辺り(標高
1800m)はハイマツ帯の終端にもなっていて、そこからは比較的なだらかなカー
ルの脇を登りつつ更に勾配を稼ぎます。
涸沢、岳沢、槍沢、剣沢などと同じように、このカールの両脇は尾根筋まで
続く切り立った崖となっているのですが、その岩肌は北アルプスに比べると凹
凸が少なくまた色がとても白いのです。遠くアドリア海底で出来た石灰岩が長
い年月かけて隆起したのかも知れません。そう考えると何となく化石らしきも
のまで見えてきたりします。
歩き始めて6時間ほどでAdamekhuetteという小屋(標高2200 m)に着きました。
ここはHohe Dachsteinを目指す登山客や周囲の岩峰を攻略するクライマーのベ
ースキャンプになっているようで、多くの登山客は、ザイルを肩に、カラビナ
を腰にぶら下げていました。
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■ 宿泊賃が安くサービスの良いことに驚く
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オーストリアの山小屋の宿泊賃が安くサービスの良いことに驚きました。ま
ず、宿泊費も飲食費も日本に比べると格段に安いこと。到着してテラスで飲む
ジョッキ一杯の生ビールが4ユーロ。予約した2段ベッドの4人部屋で一人素泊
り25ユーロ。これに二食を足しても一人一泊二食で42ユーロです(ちなみに北
アルプスの小屋は一人一泊二食付で9000円(約70ユーロ)が相場)。夕食はスー
プに続いてノッケルンと呼ばれるオーストリアのパスタ、朝食はパンにバター
とマーマレード、それに大ジョッキ一杯の紅茶がつきます。更に、二食付にす
ると一人1リットルの水の配給を受けることもできます。
●オーストリアの山小屋:
( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w02_03.gif )
小屋は玄関を除いて土足禁止となっていました。殆どの人は用意してきた上
履きに履き替えていましたが、床はぴかぴかに磨かれていて、靴下で歩いても
全く平気でした。
夕食朝食とも予め定められた2時間ほどの間に食堂に行くと、従業員が陶器
の器に盛られた食事を運んでくれるのですが、そこは山小屋というよりちょっ
としたカフェのような雰囲気でした。シャワーも勧められたのですがこれは水
シャワーということで辞退。ベッドはマットの上に枕と2枚の毛布が用意され
たものですが、不思議なことに枕も毛布も全く無臭で拍子抜けするほどでした。
(毛布に一端に「足側」と印刷されているのが面白かったです。)
翌日は下山するだけでしたので8時頃に朝食を摂りました。日本の山小屋の
感覚だと8時に朝食というのは極めて遅いと思うのですが、ここをベースにあ
ちこち岩登りの人は早起きの必要がないようで、この時間にも食堂で朝食を摂
る人を散見してちょっと安心しました。
我々は9時頃に小屋を出て、お昼頃に奥ゴーサウ湖のヒュッテに着きました。
壁を下っていると湖畔から何やら歌声のようなものが聞こえます。その正体は
民族衣装を着た地元の郵便ラッパ愛好会によるホルンの合奏でした。
彼らが飲み食いしては鳴らす郵便ラッパの音が岩壁を伝わっていたのです。
ホルンといってもバルブもピストンもない原始的なホルンで、このような自然
倍音の楽器を一般の人が扱うには限度というものがあります。
●民族衣装の地元郵便ラッパ愛好会によるホルンの合奏:
( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w02_05.gif )
それでどの曲もド・ミ・ソの3つの音で演奏できるように工夫されていました。
若い人から上は70歳を超えたお年寄りまで、みんなが色々なサイズの郵便ラッ
パで湖岸を背に合奏するのを聴きながら、チーズと小麦粉が円盤状に固められ
た揚げ物の入ったスープとビールを楽しみ、それから更に1時間少し歩いてゴ
ーサウ湖の縁の駐車場に戻りました。
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■ 紀元前8世紀には金属道具で岩塩を採鉱
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ここからザルツカンマーグートの有名な観光地Hallstattまでは車で30分で、
今回はHallstattに一泊し、大規模な塩杭(岩塩の鉱山)を見て帰りました。
ここで紀元前に塩漬けになった鉱山夫の遺体が18世紀に掘り出されて以来、
ハルシュタット文化と呼ばれる文化の標識遺跡ともなるほどの調査対象となり、
当日もウィーン自然史博物館の研究者が発掘調査を継続していました。
紀元前8世紀には既に金属の道具を使って採鉱していた、という事実は日本
の縄文時代を習った私には大変な驚きでした。ここを訪ねるまで塩坑では現在
も岩塩を採掘しているものだと思ってましたが、18世紀頃からは岩塩を水に融
かし込む採鉱法に移行し、現在は塩水をパイプラインで40km離れた工場まで運
び製塩しているようです。
今回のコースは登山口のゴーサウ湖まで公共交通機関で入れますし、ここか
らハイキング向けの靴と(休み込みで)6時間歩く体力があれば、特に登山に
関する技術などなくとも誰でも歩くことができます。(実際、ごく小さいリュ
ックサックで日帰りしている人も居ました。)
小屋は岩登りの拠点でもありますのでメールでの予約をお勧めします。ネッ
トでオーストリア山岳協会(OeAV)の会員(年会費 48.50ユーロ)となれば、1年
間国内の協会加盟山小屋が半額で使えるようになるほか、オーストリア内外で
有効な山岳保険にも加入となるようです。
● Adamekhuette:( http://www.adamek.at/)
● Oesterreischer Alpenverein: http://www.alpenverein.at/ )
●『OB/OG』第6回→( http://www.supaa.com/kikou/otsuka01.html )
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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<再録>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
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1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。
2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
関連事務局員に伝達する。
4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。
5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
して、 卒業生からの会費徴収に勤める。
6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
告し清算する。
7.会計年度を4月から翌年3月とする。 ┳ξ
会計はすみやかに決算報告を作成 ●●●
して会計監査担当から監査を受ける。 ●●
●
8.本細則の改正は総会で行う。
┏━┳━┳━┳━┓
▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
┗━┻━┻━┻━┛
------------------------------------------------------------------
◆郵便局の場合/通常郵便貯金
記号:11150 番号:20343411
口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
住所:390-8621 松本市旭3-1-1
◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
店番号:421 普通預金 口座番号:650215
口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
住所:390-8621 松本市旭3-1-1
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄
◇大学の自治という重い問題について学生時代から漠然と考えている程度でし
たが、昨年前学長から文科省との間で大学としての目標管理を行っていると聞
き、大学の管理体制の一面を知って驚いた次第です。大学の果たすべき機能と
して教育と研究とは当然として、これに大学の独立法人化という波により経営
の機能が付加されたことが、大きな変化の根源にあると思われます。宮地先生
や勝木先生からの原稿を拝読させて頂いて大学研究の歴史を知り、また鳥塚さ
んの第一線研究者としての現状を知るにつけ、学生の基礎学力が年々下がって
いるという教育の大きな問題も含めて、大学としていかに取り組むのか、同窓
会としても注目していくことが必要と思います。 (HT)
●民主党の圧勝によって政権交代が実現した国政ですが、当然
/\ ☆ 文部行政の見直しも期待されます。国立大学の行政法人化も小
│○│ 泉改革で強引に推進されましたが、負の部分も拡大しています。
│ │ 鳩山内閣は“理系”内閣ともいわれますが、基礎科学軽視の流
/| |\ れを見直してほしいもの。そのためには、大学人がもっと声を
 ̄ ̄ ̄ ̄ 挙げる必要があるようにも思われます。
|||| ●8月2日に「青少年のための科学の祭典」に孫ふたりを連れ
て行ってきました。ここ数年は恒例となっていますが、ことし
の充実ぶりには目をみはるものがありました。おかげで、孫たちが1つのブー
スに張り付いてしまい、イベント全体を見て回るのにたいへん時間がかかって
しまいました。 (MT)
〇夏休みが終わりぼんやりしておりますと、瞬く間に時間が過ぎ去り秋の便り
が聞かれる季節になりました。
〇当会報に投稿して下さいました先生、OB/OGの方々は日常業務に忙殺されて
いる中で、貴重な時間を割いて頂き懸命にお書き頂いております事に頭が下が
り有り難く深く感謝致します。
〇当会を運営する事務局会議を開き懸案事項の進捗状況を検討しておりますが、
進行は停滞気味です。ご苦労して投稿して頂く方々の熱意に応える為にも、精
力的に取り組まなければならない事を痛感しております。 (MM)
===================================
■ MAILMAGAZINE BULLETIN 『信大物理同窓会報』0027号(2009年秋号) ■
□ 2009年9月26日 編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10)高藤惇(2S)太平博久(6S)岩田真(19S)
□編集長:高藤 惇 □ 発行人:根建 恭典
┌──┐ (http://www.supaa.com/)
│\/│ (info@supaa.com/) (makoto@insatell.co.jp)
└──┘
___________________________________________________
(C)信州大学物理同窓会事務局 無断複製・転載を禁ず
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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