[ 信大物理同窓会報0030号(2010年夏号) ]
2010年6月28日配信




・。・゜☆・゜・。・☆  ・。・゜☆・゜・。・☆  ・。・☆・゜・。
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
≪≪≪≪≪≪  ●メルマガ会報0030号 2010年6月28日配信● ≪≪≪≪≪≪≪
          ┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓   
          ┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃    
    ┌─┐┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛
┌─┘○└─┐           ______________________
│田田田田田|          │★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2010年夏号 │ 
│田田田田田|            ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田|             (http://www.supaa.com/) 
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
(当メルマガは《表示》→《文字のサイズ》→《等幅》でご覧ください)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ○-- 25年続いた「信州寮歌祭」が幕を閉じました。--○   ,〜,ξ
  ○-- 主催する白線会会長・宮地先生の挨拶にその  --○  ( 人 ),〜,
  ○-- さわやかな惜別とくやしさが滲んでいます。  --○   '〜'( ◇ )
  ○-- 全文を転載しました。また、小林善哉さんの --○   <⌒⌒>'〜'ζ
  ○-- 松高シリーズ3回目は文集に残る“武勇伝”。--○    ( /( ◇ )ξ
  ○-- 併せてお読みください。剛毅な学生像からは  --○   ξ  '〜'
 ○-- 今日的な学生指導に苦悩される先生方(学科  --○   
 ○-- 長に10の質問)の姿は想像だにできません。--○ 
 
      【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 連載第8回【信州大学への追想】“あの日あの頃”
        「信州大学大学院のその後(追記)」 ・・・・・・・・・宮地 良彦
◇ 物理学科長の竹下先生に10の質問 ・・・・・・・・・ご回答:竹下 徹
◇ 平成21年度理学部物理科学科表彰者には次の皆さんが決定!
◇ 2010年春 卒業生・修了生の進路状況 ・・・・・(まとめ/藤 惇)
◇ 第13回信大物理会総会 審議事項/収支決算報告・・・・・ 事務局各担当
◇ 第13回信州大学物理会総会の報告・・・・・・・・・・・・・・近藤 一郎
◇ 同窓会総会初参加 感想  ・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木 庸平
◇ 6月16日 信大理学部内で次回総会幹事が初会合
◇ <寄稿> 思い出すままに(総会講演を終え、母校を振り返る) ・松本 節子
◇ 大学生活4年間を振り返って・・・ 清水 文崇
◇ [新入学生からの声]・・・・ 伊藤 潤/大倉 そら/鈴木 拓也/仲屋 諒一
◇ イベントご案内 ◎信州自然誌科学館 2010「自然のからくり」
◇ 新聞に出たけど… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鳥塚 潔
◇ 青春の気概 − 炸裂する松高魂《松本高校に寄せて(3)》・・・ 小林 善哉
◇ ┃T┃O┃P┃I┃C┃S┃ 信州寮歌祭に幕 
◇ = ご挨拶 = 信州白線会 第25回 寮歌祭 ・・・・・・・・宮地 良彦
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記
 
======================================================================
             ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
   【信州大学への追想】┃“┃あ┃の┃日┃あ┃の┃頃┃”┃ 連載第8回 
             ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
                   ■ 信州大学大学院のその後(追記) ■
----------------------------------------------------------------------
      宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問 松本市在住)
----------------------------------------------------------------------
                  *
         前回総合大学院計画の項では、「1991年4月には・・・農学
   ●●    部は岐阜大学大学院連合博士後期課程に参加することが決定し
  ●※●    た。」と書いたが、その後武田三男理学部長から大学院の現状
   ●\§   についてお聞きする機会があった。それによると、農学部は20
    ∞\   05(H17)年4月に岐阜大学大学院連合農学研究科(博士課程)
        を脱退して信州大学に復帰し、これを受けて2005(H17)4月、
       理、工、繊維、農学部が参加した総合工学系研究科(博士課程)
が信州大学に設置された。なお、武田氏は現在この総合工学系研究科の研究科
長であり、理学系の存在を明確に打ち出すために研究科の名称を理工学系研究
科と改めることを目下検討中とのことである。
 
                   ● 信州大学図書館長の頃 ●
 
 理学部の大学院について述べるにつれて、つい時間系列をオーバーランして
しまったが、もう一度昭和50年代に立ち戻ろう。
 
 昭和53年の6月、私はそれまで住みなれた蟻ヶ崎の大学宿舎から、現在の横
田の住宅へ転居した。その年の10月には家内がくも膜下出血で入院・手術とい
う事件もあったが、これは私的なことだから詳細は割愛する。
 
 昭和51年4月に大学院が発足すると、それまでの学部教育の他に修士課程の
研究指導も重なって仕事は確実に増えたけれども、しばらくすると大学院設置
に伴う各種の雑用も少なくなり、研究・教育という大学として日常的な生活が
続くようになっていた。
 
 ところが1979(S54)年5月になって、思いがけず信州大学附属図書館長に任
命されることになった。もともと学部が各地に分散していた信州大学では、附
属図書館(本館)といっても名ばかりのことで、実質的には各学部に設置され
た5分館が図書館としての実質的な機能を果たしていた。
 
 しかしその後一般教育統合と文理学部改組に伴い、教養部、人文学部・理学
部の学生を迎えて一挙に膨れ上がった松本キャンパスでは、中央図書館を設置
することが本格的に検討され、昭和48年3月には附属(中央)図書館(3,216u)
が竣工し、昭和49年4月には、人文、経済、理学、教養課程及び当時信州大学に
併設されていた医療技術短期大学部(現医学部保健学科)の教官・学生を対象
とした信州大学附属中央図書館が開館される運びになった。
 
 こうして発足した中央図書館の初代館長は教養部の松崎一教授、第2代館長
は経済学部の武居良明教授、そして私は第3代館長ということになる。上にも
述べたように、中央図書館のほかに、医、教育、工、農、繊維の5分館を抱え
た信州大学では、中央図書館長といっても本館独自の仕事はあまり多くはなく、
年間数回の分館長会議のほかは一日一回図書館に出向いて事務を処理すればよ
いという極めて気楽な職場であった。
 
 このころは、持病の胃潰瘍も思い切った禁煙と節酒により快方に向かってい
たし、くも膜下出血という災厄に見舞われた病後の家内の健康も家事は大した
負担にならない程度に順調に回復しつつあって、お引き受けすることとした。
 
 館長としての在任中の大きな出来事の一つは、北信越地区に担当が回ってき
た昭和57年度の全国国立大学図書館協議会総会の開催を信州大学附属図書館が
引き受けさせられたことである。当時国立大学は93校だったから、「百年に一
度の厄年だ」などとぼやきながら、わずか15人しかいなかった本館職員の献身
的な努力と信大本部や各分館からの応援を得て、2日間参加者240人ほどの総
会を松本市市民会館において開催することができた。
 
 こうした苦労も過ぎてしまえばよい思い出となり、任期中は年2回の図書館
長会議を通じて各大学の図書館長ともご面識を得ることができたし、さらには
沖縄をはじめとする各地への出張など、数々の楽しい思いをさせていただいた。
この間、大型学術資料の購入による図書館の充実、懸案だった夜間開館の実施、
図書館業務の電算化など、図書館の開放と業務の近代化などいくつかの仕事を
進めながら、昭和54年から58年にかけて2期4年の任期を無事満了することが
できたのは幸いであった。
 
                   ● 宝の山の発見 ●
 
 図書館といえば、私には忘れられない思い出がある。正確な日時は記憶にな
いが、文理学部改組により理学部が発足して間もない昭和41年のある日、県町
分館の係長から、旭町の医学部図書館には物理関係の文献が大量にあると教え
られた。「医学部が物理の本を?」と、半信半疑で大学本部に同居していた医
学部分館を訪ねた私は腰を抜かすほど驚いた。
 
 というのはそこには、Annalen der Physik, Physikalische Zeitschrift, 
Zeitschrift fur Physik, Proceedings of the Royal Society of London, 
Philosophical Magazine など、ヨーロッパ物理学全盛時代のドイツ、イギリ
ス、フランスの学術雑誌が、1900年ごろから1945年の終戦頃まで見事に製本さ
れて並んでいたからである。
 
 戦時中松本に疎開していた陸軍関係の研究施設が終戦時に撤退するとき、当
時の松本医学専門学校に残していったものだというが、医学部でも管理を持て
余していたところから早速理学部に移管していただくことができた。これらの
雑誌には、相対性理論、量子論、量子力学、原子核物理学から近代物性理論と
いった広い分野にわたって、古典物理学から現代物理学へと変貌してゆく物理
学の発展に寄与したアインシュタインをはじめとして、ハイゼンベルグ、シュ
レーディンガー、ディラック、ボルン、パウリなど、20世紀物理学の建設に大
きな役割を果たした巨人たちの original paper が掲載されている。
 
 第2次世界大戦後は物理学の中心がドイツからアメリカに移り、学生向きの
わかりやすい教科書も数多く発行され、情報検索の手段も画期的に発達した21
世紀では、学術雑誌によって原著論文を読む機会は極めて少なくなってしまっ
ているが、著者の風格がにじみ出ている original paper を生の形で読むこ
とは、研究者にとっても学生にとっても大きな意味がある。
 
 私は学生時代の京大物理学教室図書室でこれらの雑誌を読んで論文をノート
に書き写した経験があるが、その後勤務した広島大学理論物理学研究所でもこ
ういった戦前の学術雑誌にはお目にかからなかった。おそらく全国でも旧制大
学の物理学教室以外にはこういった貴重な文献を所持しているところはないの
ではなかろうか。
 
 これらの雑誌は長く理学部物理教室の図書室に置かれて
いたが、書庫も手狭になったため、現在は中央図書館の書
庫に移管されている。理学部物性物理学講座に着任された       vvv
勝木渥教授は、この文献をかなり利用されていたようであ   vvv (  )
るが、偉人たちの足跡に直接触れてみたい方あるいは科学    ( ) ~|~
史に興味のある方に活用していただきたいと思うので、こ    ~|~  | /
こに記しておくことにする。                 |/\|/  
 
(文中の肩書は当時のもので、敬称は省略いたします。)   (以下次号)
 
======================================================================   
   ■  信州大学理学部物理科学科長の竹下先生に10の質問 ■
----------------------------------------------------------------------
 ご回答:竹下 徹 (理学部物理科学科 学科長/高エネルギー研究室)
----------------------------------------------------------------------
                 少子化、理科離れ、交付金の削減など、物理科をとりまく
 V ?       状況はなかなか厳しいものがあります。同窓会としてはどの
(∵)       ように支えていけばいいのか? 当会報の編集委員会では、
 \(@)⊃      学科長に気になる部分を質問してみようということになり、
〜〜〜〜〜〜  10項目にまとめてみました。ことし学科長に就任された竹下
        先生から、以下のようなご回答を頂戴しました。就職難の折、
学生の「就活」前にOB/OGからレクチャーしてもらうのも一考との案をい
ただき、その具体化に向けて当同窓会事務局でも動き出すことになりました。
 
1) 現在の学生気質・特徴を3つほど挙げるとすると・・・ 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 静か、従順、自己中心(回りを見ない)
 
2) 現役学生に望むこと、おこごとや注文などについて 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 回りの学生とコミュニケーションを取ってほしい、自分の主張をきちんと科
学的に説明する努力をすること。人の話や考えを聞いて、理解して、科学的に
同じ土俵の上で適性に批判や指摘を行ってほしい。
 
3) 学生の勉学意欲や質を高める方策を講じておられるのでしょうか? 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 個人的試行錯誤ですが、学生一人一人の考えている事を述べもらう機会とし
て、
  (1)授業の終わりや宿題として書いてもらう
  (2)これに書きこみ返却する、その後のやり取りを期待してます
 が、進展しません。点数評価をするものではないので、コメントを書きます
が、コメントに議論が発展しません。
  (3)ゼミ形式で調べたことを発表してもらい議論を進めます
 しかし 議論になりません、調べた事が薄っぺらで底が浅いので進展しませ
ん。まただれも突っ込みを入れる学生がいません。
 
4) 信大物理科学科に求められていることとは、どのようなものでしょう?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 物理学をマスターすることにより基本が分かる学生を輩出することと思いま
す。社会に出てぶちあたる種々の問題を基本に立ち返り解決する能力を磨いた
学生を育てて欲しいと思われているのでしょう。
 
5) 現在の物理科学科のかかえる最大の問題点は何だとお感じですか? 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 物理学科だけの問題というより、理系全体の気がします。というのは学生が
大学を学部を学科を決めるのは、せいぜい理科系かそれ以外か程度の違いで決
めてきている節があります。
 物理学科の抱える問題があったとしてもそれを解決できればばんばんざいと
いうような話はあり得ません。理科系の論理的思考が日本社会で重く見られて
いない風潮が最大の問題と思います。感情や印象だけで事が動く社会の存在が
理系の存在を低くしています。論理的で科学的思考と検証の上に立った社会運
営がなされてい ない事が最大の問題と思います。
 
6) 上記問題点・課題に対する解決策としてはどんなことが考えられますか? 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 論理的で科学的な検証を繰り返し社会現象に当てはめる努力を粘りづよく続
けることでしょうかね。
 
7) 信大物理科学科は教育重視・研究重視、どちらだとお考えですか? 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 大学としては 教育重視しか生き残る道はありません。上層部は分かってい
ますが、教員は自分の研究が大事です。結果は、教員の研究最重要の上に立っ
た教育と言うことになっています。実際最先端研究に参画できる学生はごく少
数です。
 
8) 数年前に国立大学は独立行政法人化されましたが、その後の変化について 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 大学の最上層部の権力が相対的に上昇しました。いままでは全て文科省に押
さえられていました、今は重しがとれて、学長ら役員がその役を担っています。
もし役員が失敗をするなら、大学がつぶれる事態が生じます。またその内部で
は、最近特に会社経営的な手法を取り入れる役員がいると、即断速攻が良いこ
とになって、いまままでの大学内部の秩序や民主的運営が損なわれて行きます。
 
9) ことしの入試について、応募倍率や受験率などどのようにお考えですか? 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 当学科は2〜3年前2倍を切って危機に瀕しました。努力が実を結んだとは
思えませんが、2倍以上を取り戻し、危機を脱したのですが、理由は定かでは
ありません。従って、今後も同様の危機が訪れると想定されます。
 その度に新しい入試制度が導入を余儀なくされて、バラバラの学生が入って
くることになります。これらの学生が切磋琢磨する事ができればより良くなる
でしょ う。。。。このバラバラな学力をどうまとめるかが問題でしょう。
 
10) 当同窓会に期待していることや、要望がありましたら教えてください 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 今の学生は上下間のコミュニケーションがほとんどありません。従いまして
同窓会の存在も現実味が学生にはないと思われます。卒業後も個人的な動機と
友人関係だけて生きている風で、もっと大きな枠組みのなかで動き回れると良
いはずですが、その気概は見れ ません。
 卒業や就職活動が身近にある学生に社会の構造を教える会でも開いていただ
けるなら、聞く耳を持つかもしれません。
 教員に取っては、うううううむ、同窓会は難しい存在です。ご利益が直接見
えないので、難しいです。
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ 平成21年度理学部物理科学科表彰者には次の皆さんが決定!   
----------------------------------------------------------------------
(当会からは、副賞としてあずみ野ガラス工房製の特注「一輪ざし」を贈呈)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 □1年生:飯塚 将馬、佐藤 雅裕、田中 晋哉、宮沢 渓、山崎 綾紗
 □2年生:佐藤 彰寿、中尾 健志、森口 真靖
 □3年生:井田 慧、今井 宗幸、崔 原碩、朴 相源、羽柴 規敏、原田 真琴
      渡邉 謙介
 □卒業生:小財 正義 「比例計数管ミューオン計の性能評価」
       小多 亜弥 「一般相対性理論と重力場の正準形式」
      清水 文崇 「パーコレーション理論」
      野中 淳平 「Thick-GEMの基礎特性の測定及びシミュレーション
                          による性能評価」
            花岡 直樹 「金属チェッカーボードパターンのテラヘルツ波
                          偏光特性」
 
======================================================================
 □■□□■□ 2010年春 卒業生・修了生の進路状況 □■□
----------------------------------------------------------------------
 学部卒業者は30名。内訳は、進学:22名、就職:5名、未定:3名となった。
進学者は、一昨年26名→昨年18名と大幅減少したが、ことしはやや持ち直し。
学部卒の進学先として信大大学院へは、04年:13名 →05年:8名 → 06年:
15名 → 07年:14名→08年:14名→ 09年:11名→ことし13名と、ほぼ安定傾
向。修士卒は逆に進学(博士課程)2名に対し就職10名と、大半が就職している。
トータルで、就職先は人気の公務員が学部卒1名と院卒2名の3名を除き、他は
すべて民間企業。ただし昨年までと比べて一部上場企業の顔ぶれが減ったよう
で、就職の厳しさを表す? 学部卒、院卒とも若干名の「未定」が気になる。
----------------------------------------------------------------------
 ■ 学部卒業生/30名 →進学22名 →就職5名 →未定3名
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《進学先》信州大学大学院工学系研究科修士課程(13)、名古屋大学大学院(4)、
東北大学大学院(2)、埼玉大学大学院(1)、大阪大学大学院(1)、専門学校(1)
《就職先》 
○公務員:1 教員 
○民間:4 (株)東芝 大洋テクニカ(株) (株)シューマート 中部プラント
    サービス(株)
----------------------------------------------------------------------
 ■ 大学院修士課程修了生/13名 →進学2名 →就職10名 →未定1名 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《進学先》信大大学院工学系研究科博士課程(1) 大阪大学大学院博士課程(1)
《就職先》
○公務員:2 教員(1)、群馬大学(1)
○民間:8 (株)シーエスイー みずほ情報総研(株) (株)NTTデータ 
(株)金融情報サービス 日本電産(株) (株)エイ・イー・エス (株)アスモ 
八十二システム開発(株) 
----------------------------------------------------------------------
 ■ 大学院博士課程修了生/1名 →就職 ■ 博士課程退学者/1名 →就職
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《就職先》
○民間:2 (株)電算 西日本旅客鉄道(株) 
 
……………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………
┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓  ┏━┳━┳━┳━┓
┃第┃13┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃=┃審┃議┃事┃項┃
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛  ┗━┻━┻━┻━┛
 5月29日(土)に東京・大手町で開催されました第13回総会において、事務
局から提案された2件の「審議事項」が承認されました。
___________________________________
【審議事項の決議結果】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(1) 会計報告(決算・予算案)/会計監査報告 →承認 
(2) 人事案、新役員/志水久さん(理学91SA)が事務局長就任。清水さんは会計
監査に就任。 三枝成男さん(文理10)、福井眞さん(理学3S)、石田悟巳さん
(理学19S)が退任。 →承認
●なお来年の第14回総会は信州で開催することに。総会幹事として、藤(2
S)がとりまとめていくことを了承。
___________________________________
【収支決算報告09年度】(2009年4月〜2010年3月)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

<数字の部分は、こちらWEBページでは省略いたします>

----------------------------------------------------------------------
▲2009年度決算報告を上記の通り報告致します。             2010年5月6日
                         会計/近藤一郎 志水久
 
▲以上 監査の結果正確である事を確認致しました。     2010年5月29日
                         監査/松原正樹 三枝成男
 
======================================================================
    ■ 第13回信州大学物理会総会の報告 ■       
---------------------------------------------------------------------- 
            近藤 一郎(理学12S/物性論研究室 東京都在住) 
----------------------------------------------------------------------
          2010年5月29日(土)午後2時から5時まで東京大手町サ
   V ?      ンケイプラザにて開催され、32名が参加と盛会になった。
 (∵)       01S(2001年度入学)からの4名の参加が無ければ30名を切
  \(@)⊃      るところであったものの、こうして若い方向へ参加者を広
 〜〜〜〜〜〜  げながら会の参加者規模を維持していくという形になった
         ことは良かった。
 
 遇数年開催の総会では、多くの役員(任期2年)の留任が承認事項となるの
で、新しい体制の役員名簿を示して一括承認をもらった。新体制では、清水さ
ん(文理11回)から、現役大学教員である志水さん(91SA)へ事務局長が交代
した。講演会では、明治大学理工学部物理学科の松本節子教授(文理13回)が、
今よりもさらに少なかった女性物理研究者としての歩みと、現在行っている真
空紫外光を使った物性研究について紹介した。懇親会では、年次を越えて現況
を伝え合う会話が活発に交わされた。
 
 【続き・全文→ http://www.supaa.com/soukai100529//ndex.html 】
 
======================================================================   
    ■ 同窓会総会初参加 感想■ 
----------------------------------------------------------------------
       鈴木 庸平(理学01S/テラヘルツ分光研究室 長野県箕輪町在住) 
----------------------------------------------------------------------
  、∩∩    去る5月29日、第13回信州大学物理同窓会に参加させて
  ⊂田田⊃  いただきました。
  ⊂田田⊃
  /∪∪    昨年武田先生より、テラヘルツ分光研究室の研究室幹事とい
       う大役を任されましたが、実際は同じ研究室の方々の連絡先も
ほとんどわからず、私事ですが昨年結婚したこともあり、申し訳ないと思いな
がらも、研究室幹事としての活動を停滞させてしまっておりました。それでも、
ぜひ一度は同窓会に出席したいと思っておりましたところ、同じ01Sの学年幹
事の高橋さんから「ぜひ一緒に参加しよう」と誘ってもらいました。こうして、
このたびは01S計4名で参加させていただきました。
 
 物理同窓会総会には学生時代に松本で開催された節に、少しだけ顔を出させ
ていただいたことがありましたが、若年者が少ない印象があり、改まった場に
不慣れであることもありまして、今回の参加も少し不安な気持ちがありました。
 
 しかし、そのような思いは良い意味で裏切られ、非常に楽しい時間を過ごさ
せていただきました。学生時代は物理の先輩方とは交流の機会があまりなく、
初対面の方ばかりで気後れしてしまっておりましたが、同じ学科を卒業した者
ということで、温かく迎えていただきました。さらに、人生のアドバイスを数
多く頂戴し、会社と家庭との往復生活に早くも倦みつつあった私としては視野
を大いに拡げることができまして、本当にありがたく思っております。
 
 このように、本同窓会総会は非常に貴重な機会ですので、若年の皆さんにも
多く参加していただき、さらに活発な会となるよう願っております。そして、
今回出席させていただいた01Sの同級生共々、今後も微力ながらお手伝いさせ
ていただけたらと存じます。
___________________________________
 ▲▼ 6月16日 信大理学部内で次回総会幹事が初会合 ▼▲
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 来年第14回物理会総会に向け、総会幹事候補が一同に会しました。これは、
先の総会で委嘱を受けた高藤(2S)が信州在住者に呼びかけたもので、とりあ
えず、次回の総会幹事として以下の7名が決まりましたので、ご報告します。
 
■赤羽徳英(文理10) ■藤惇(2S) ■渡辺則夫(4S) ■上條弘明(9S)
■志水久(91SA) ■河上陽介(01S) ■清水文崇(06S) 
 
 第2回会合は、理学部の恒例イベント「信州大学自然誌科学館」開催中の7
月31日(土)午後2:00から、A棟6階ラウンジで。新たな幹事も募集中です。今
回欠席された方あるいは呼びかけが届かなかった方もどうぞご参加ください。
 
====================================================================== 
        ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
   【寄稿】 ┃思┃い┃出┃す┃ま┃ま┃に┃   
        ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
     ■ 総会記念講演を終え、母校を振り返る ■
----------------------------------------------------------------------
        松本 節子 (文理13回卒/明治大学理工学部 教授 川崎市在住) 
----------------------------------------------------------------------
   /⌒ヽ彡    私が信州大学で過ごしたのはS36年4月からS40年3月の4
  <)∂ ゝ   年間でした。実家が浅間温泉でしたので、高校の延長のつ
 ⌒ヽ‐/⌒フ  もりで大学に入学しました。そうしましたら、なんと何浪
 ⌒(  ミ彡      もしたようなブレザー姿の大人っぽい学生がいて、女子校
   _」」    (蟻ヶ崎高校)を出たうら若き乙女は、大変戸惑いました。
                  最初の頃は下を向いて歩いたものです。
 
 文理学部は人文系と一緒でしたが、それでも女子は数えるほどで、いつもお
昼は、草の上でエンジンになって食べていました。(写真1)今でも当時の仲
間の顔は思い出せます(むしろ今お会いしてもわからないかもしれません)。
  (写真1→ http://www.supaa.com/kikou/im/smatsumoto/30_m01.jpg)
 
 入学して間もなく合唱コンクールがあり、一位に入賞したことを覚えており
ます。(写真2)先輩たちと一緒に行動できたことに感動しました。また、コ
ンパでは、コンロに炭をおこし、寮から借りてきたアルマイトの洗面器ですき
焼きをして、「さあ食べなさい」と言われた時は戸惑いました。
   (写真2→ http://www.supaa.com/kikou/im/smatsumoto/30_m02.jpg)
 
 当時の大学の授業は、どの大学も一般教育に力が入れられており、そのため、
語学の先生方は、大変力を持っていたように思います。学生は単位をバンバン
落とされ、いつもびくびく、留年は当たり前のような風潮でした。
 
 専門科目になると単位を落とすことはないというのが常識だったようで、3
年でドイツ語の単位を取り終わったときはほっとしました。確か量子力学か統
計力学だったと思いますが、試験が終わったとき、「君たち、『優』がほしい
か『良』がほしいか書きたまえ」と宮地先生に言われたのを覚えております。
私は何と書いたか記憶にありませんが、たぶん『優』とは書けなかったと思い
ます。木造の平屋の建物には、いつも将棋をうつ音が響いておりました。「下
駄履き無用」の札が廊下にかかっていたのが懐かしく思い出されます。
 
 さて、卒業後の話をしますと、先日講演会案内にも書きましたが、高度成長
期の真っただ中で、明治大学工学部でも学生数の増加に対処するため、1年生
の学生実験の手伝いとして、女性の実験助手を何人か採用したようです。たま
たま東京の大学にいた友人の紹介で就職し、今日まで44年間も居ついてしまっ
たわけです。その間幸運にもお二人の恩師に出会え、学位をいただき、教員と
してのポストを譲ってもらうことになります。
 
 研究活動は、学位をいただいた先生に学んだ、真空紫外光を用いた物性研究
で、固体の中の電子の状態について研究を続けて参りました。教育活動として
は、1年生の必修科目になっている基礎物理学実験のシステム化を仲間ととも
に手掛け、他大学にはない教育を行っております。
 
 学生支援活動としては、学生部委員、セクハラ対策委員、学生相談員などを
歴任し、学生と真剣に向き合ってまいりました。そのなかで一貫して言えるこ
とは、残念ながら、親も教員も、学生を自立した一人の人間として見ていない
ことです。学生自身もそのように思っているようです。
 
 現在の信州大学の学生さんがどのような状況かはわかりませんが、かつての
信州大学の雰囲気が懐かしく思われます。この雰囲気の中で私は育てられたの
だと、改めて認識を新たにし、先生方や先輩に感謝するしだいです。(写真3)
   (写真3→ http://www.supaa.com/kikou/im/smatsumoto/30_m03.jpg)
 
 つたない文章を書いてしまいましたが、同窓会の皆様のご健勝をお祈り致し
ます。             
 
====================================================================== 
     ■ 大学生活4年間を振り返って ■ 
----------------------------------------------------------------------
  清水 文崇(理学06S/物性理論研究室 信州大学工学系研究科修士課程)
----------------------------------------------------------------------
  |)     今回、初めて投稿させてもらうことになりました。自分なりに
'―o―,   何か面白い話題はないかと必死に考えたのですが特に思い浮かば
 (| \     ず、せっかくなのでこの機会に信州大学で過ごした4年間を振り
      返ろうと思います。
 
 まず、何といっても一人暮らしを始めたことが高校生までとの大きな違いで
しょう。当然のことながら、炊事や洗濯なども一人でやらなければならず最初
の頃は大変でした。まあ、料理の腕は4年間たった今もたいして変わりません
が。また、家賃や公共料金を支払うのも新しい体験でした。
 
 そういえばあの頃は新聞の新規勧誘がたくさんあったな、と今となっては懐
かしい思い出です。自動車の免許を取得して遠くへ出かけるようになったこと
も大きな変化でした。ちょっと大げさかもしれませんが、このような体験が社
会への第一歩だった気がします。
 
 大学で1番の思い出は何か? と問われたらやはり友達と多くの時間を過ご
したことです。ここではっきりと勉強と言えないことが辛いところですが…。
信州大学の一つの特徴としてキャンパスが分かれている(松本、長野、上田、
伊那)ことがあります。僕は、幸い、他キャンパスにも多くの友達を作ること
ができました。
 
 しかし、この制度(キャンパスが離れていること)は、正直に言ってお金も時
間もかかるので面倒臭かったです。ただ、だからこそ会いに行くのが楽しいみ
たいなところはあったと思います。長野や伊那で夜遅くまで遊んで、次の日の
1限の授業に間に合うように帰ってくるという無謀なこともしました。大学で
の友は一生の友というけれど、まさしくその通りだなと思えるほど有意義な時
間を過ごすことができました。
 
 大学生活の後半になると自分の進路を決めるという大きなテーマがあります。
僕は比較的早い段階で進学と決めていたのですが、それでも本当にこれでいい
のか?と思うところはありました。また、やりたいことがなかなか見つからな
い友達や、いわゆる就職氷河期なので、何十社も面接を受けている友達を見る
と、自分の進路を決めることがいかに困難なものか身にしみて感じました。こ
れほど将来のことを深く考え、自分を見つめ直すことは今までなかったことで
した。
 
 大学での4年間は本当にあっという間でした。その中で自分が成長できたな
んて立派なことは言えませんが、いろいろな経験をし、楽しい時間を過ごせた
ことは間違いないです。最後に、僕は信州大学の大学院に進学するので最低で
もあと2年間は学生なのですが、勉強のほうでもしっかり頑張らないといけな
いかなと思います(笑)
 
======================================================================
 □■□□■□ ┃新┃入┃学┃生┃か┃ら┃の┃声(メッセージ) □■□
        ┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━
----------------------------------------------------------------------
     ことし入学した4名から、現在の心境などを伝えていただきました。
    誰しもが通った通過点。さて、ことしの皆さんからはどんなことが?
 
 * * * * * * * * * * * * * *  /@) ⊃\/|  
 ■  信州大学物理科でのこと        伊藤 潤(理学10S) > ⊃⊃/\|
----------------------------------------------------------------------
 僕は正直物理がそれほど好きなわけではありません。高校時代の退屈な授業
のなかで唯一嫌いではなく、ある程度理解できたのが物理だっただけです。物
理が好きな人の多くは物理の見せてくれる不思議な世界に興味を持った人が多
いと思いますが、僕は物理の論理的なところがまあ好きです。
 
 そんなわけで物理科に入ったのですが思っていたより難しいです。論理的な
物理、それを支える数学の双方が厳密で複雑になり、もうすでにちんぷんかん
ぷんです。最近は中間試験がいくつかあるのでもう大変です。でもまあ公式に
突っ込むだけの問題より、大変ではあるけれども導き出す問題なので楽しくも
あります。
 
 上に書いたように学習はもう切羽詰まってるので他のこともやってみようか
と考えております。大学生といったらサークルなど楽しいことがありそうなの
でこれから起こることにたいする期待は膨らむばかりであります。
 
 そんなこんなで楽しく暮らしているので入ってよかったです。
 
 * * * * * * * * * * * * * *  /@) ⊃\/|  
 ■  信州大学物理科学科に入って  大倉 そら(理学10S)  > ⊃⊃/\|
----------------------------------------------------------------------
 信州大学に入学して、もうすぐ3カ月が経ちます。入学当初のとても緊張し
た気持ちはあまりなく、だいぶ大学生活に慣れてきたのだなあと感じます。こ
の3カ月はとても過ぎるのが早く、充実した大学生活を送っているのだと正直
ホッともしています。
 
 私は大学受験の時、信州大学の志望動機の一つに、「自然に囲まれたキャン
パスで伸び伸びと自分のしたい勉強を学びたい」と考えていました。実際、信
州大学はキャンパスが山々に囲まれ、自然に恵まれたいいところです。ですが、
高校とは違い、自分で時間割を組むなど、自分でしなければならないことが一
気に増えました。
 
 また、自分と向き合う時間が増え、自分のやりたいことは何だろうなど、し
っかり自分のやりたいことを決めなければといけません。大学にはたくさんの
人々がいます。周りも自分の目標を考えています。お互いに目標を言い合って
みると、全く考えが違い、毎回おもしろい発見ばかりです。
 
 物理科学科には入ったけれど、入学してからすぐに専門科目をやるわけでは
なく、微分積分学や線形代数学といったこれから専門科目をやっていくのに必
要な知識を蓄えなければいけません。物理にはとても数学が必要で、力学の授
業では一回の授業に何回も微分積分を使います。教授が必ず受けるように言っ
た意味がわかったような気がします。
 
 私の将来の夢は中学校の理科の教師になることです。大学4年間を有意義な
ものにして、教師になった時、生徒としっかり向き合えるようにしたいです。
そのためにも今、しっかり目標を持って、毎日頑張っていこうと思います。
 
 * * * * * * * * * * * * * *  /@) ⊃\/|  
 ■  信州大学に入って          鈴木 拓也(理学10S) > ⊃⊃/\|
----------------------------------------------------------------------
 僕は、信州大学に入ってやりたいことがたくさんあります。
 
 一つ目としてソフトボール部でインカレ予選に出場することです。部活をや
るからにはきちんと目標を決めてやっていきたいです。高校とは違い先生がい
なく、自分達でやるので、みんなできちんと一つ一つ話し合いながらやれるの
ですごく楽しいです。正直、高校での野球部は厳しくつらく練習が憂鬱でした
が、今は部活があると日だとウキウキします。でも、高校の厳しい練習を乗り
切れたからこそ勉強にも耐えることができ、今の自分があるのです。とにかく
部活に燃えたいです。
 
 二つ目に将来の夢の教師になるために教員免許をとることです。物理科に入
ったので高校の物理の教員になりたいと思っています。そのためには、きちん
と授業に参加し、教職の科目では自分が教師の立場だったらどうするか考えな
がら授業を受けたいです。物理を教えたいならば自分が本当に物理に詳しくな
り、そして好きにならなければいけないと思うのでどの授業もおろそかにする
ことなく受けたいです。
 
 三つ目はやはり物理学を学ぶことです。信州大学に入った目的はやはりそれ
だと思います。一年の今は力学と物理実験学ですが、これから学ぶ基礎となる
ので完璧にしたいと思っています。とにかくすべての基礎となる力学をがんば
りたいです。また、教職を取っているので数学は物理学につながっていますが、
聴講なので授業をサボりやすいですが、そこを頑張って参加したいです。高校
までで知っている内容は物理学のなかではほんの一部だと思うので、新たな法
則を知り、より深く物理学を学びたいです。
 
  その他にもバイトをやったり、友達とはしゃいだり、遊んだりと有意義で
楽しい大学生活を送っていきたいです。
 
 * * * * * * * * * * * * * *  /@) ⊃\/|  
 ■  信州大学に入学して          仲屋 諒一(理学10S) > ⊃⊃/\|
----------------------------------------------------------------------
 信州大学に入学して2カ月半ほど経ち、様々なことに戸惑っていた大学生活
もようやく落ち着きました。今はこの良い環境の中で充実した毎日を送ってい
ます。
 
 私が大学生になってまず初めに戸惑ったのは大学生活における自主性の高さ
です。自分で履修する科目を決めたり、サークルを決めたり、バイトを決めた
りと自分から行動することばかりでした。ですが、このようなことをする中で
仲の良い友人がたくさんでき、また先輩や先生とのつながりもできました。信
州大学にいる人は皆高い目標を持ち日々努力しているので私も目標に向かって
頑張ろうと思います。
 
 さて、物理のとりわけ応用物理と呼ばれる分野の研究がしたくて物理科に入
学したのですが、大学の物理は高校の物理とは全く異なりもはや数学です。今
は、物理の必修として力学Tを受けていますが微分積分を使って様々な場合の
物体の運動を計算するので微分積分がわかっていないとまったく授業について
いけません。しかし、物理の分野で研究していくには数学は必要不可欠なもの
なので数学の土台作りを今のうちにしっかりとして今後ますます増える専門科
目に備えたいと思います。
 
 信州大学に入学してよかったと思っていることは、大学生活の初心者である
1年生へのサポートが多かったことです。1人では何をすればよいか全く分か
らないことも先輩や先生との相談会で解決することができました。また、自然
が多く静かで勉強する環境が整っていることもよかったと思います。
 
 私は今のこの充実した環境の中での充実した日々に満足しています。しかし
現状に満足せずにより高いところを目指して日々努力していきたいと思います。
 
======================================================================
 ┃イ┃ベ┃ン┃ト ┃ご┃案┃内  
 ┗━┗━┗━┗━ ┗━┗━┗━         
◎信州自然誌科学館 2010「自然のからくり」
---------------------------------------------------------------------- 
■ 日時:7 月 31 日(土)、8 月 1 日(日)
■ 会場:信州大学理学部 (松本市旭3-1-1) TEL:0263-37-3142
■ 対象: 一般の方、企業の方、学生
■ 参加費:無料
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 昨今、新型インフルエンザや大地震の発生など、自   〜〜〜〜〜
然に由来する災害が多発しています。それらの災害か   \______/
ら身を守り、安全で幸せな生活をおくるためには、自    /   \、 
然の「からくり」を理解したうえで、対策をたてるこ   o。 _/}  ,\
としかありません。                                 <')_><{ l
 本イベントは、子供たちが、自然の不思議さを知っ    \ `  `/ 
て自然現象への関心を深めることができるよう、そし
て楽しみながら科学的な自然観を身につけることができるよう、理学部教員・
学生一同、多彩なブース展示、体験講座を企画しております。
 学外の皆様からのブース開設も歓迎いたしますので、ぜひご参加ください。
 
           信州自然誌科学館 2010「自然のからくり」実行委員長 森清寿郎
 
====================================================================== 
  ┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━
   ┃新┃聞┃に┃出┃た┃け┃ど┃…
----------------------------------------------------------------------
   鳥塚 潔(理学13S/東京大学物性研究所外来研究員 千葉県柏市在住)
----------------------------------------------------------------------
 2010年3月16日付けの毎日新聞に、私のことが記事にな   ⌒/\     
って掲載されました。私は、50歳を過ぎても定職になく、  -/| \ ⌒⌒
大学非常勤講師をやりながら、東大物性研究所(物性研)  /_|___\
に無給の外来研究員という形でおいてもらって、それで研  __L____
究環境を何とか確保しつつ物性研究を続けています。その  \_____/〜〜
ことが珍しかったようで、2009年末に毎日新聞の記 者から   〜〜〜〜〜〜
取材を受けました。
 
 その記者は、勝木先生がお書きになった日本物理学会誌への投稿記事「ある
非常勤講師の場合」(63巻6月号(2008年)pp.461-464)を読んで、その記事
中の「T君」に興味を持ったようです。著者の勝木先生を探し出してから私を
探し出しました(「T君」とは私のことです)。今度はその記事を読んでくだ
さった信大物理同窓会の編集部の方から、何か寄稿文を書いて欲しいと頼まれ
ましたので本稿を書いております。
 
 2009年12月7日に勝木先生から、「毎日新聞のK記者という人が、物理学会誌
の記事『ある非常勤講師の場合』の中の『T君』に会って取材をしたいと言っ
ているが、取材を受けてみる気があるならその記者にその旨連絡しなさい」と
メール連絡があり、K記者の連絡先が書いてありました。
 
 私は、新聞記者が勝木先生の記事を読んで連絡して来るとは、きっと非常勤
講師の労働条件の悪さに関心をもってそのことを取材しに来てくれるのだと思
いこみ、すぐにK記者に自分の居所を伝えました。ところがK記者から来た返信
には、「国立大学法人化の前と後での研究環境の変化を私がどう見ているかを
知りたい」という趣旨のことが書いてありました。私は非常勤講師であり、研
究環境は大学法人化されようがされまいが悪いままで変わりはないのだから、
そんなことを自分に聞くのはスジ違いだろうと思って、その後は返事も書かず
に放っておきました。
 
 数日過ぎ、もうK記者からは連絡はないだろうと思っていたところ、物性研
の自分の研究室に電話がかかってきました。電話が来たときは私は物性研を留
守にしていたので、研究室の大学院生が応対してくれたようです。その後も何
度も「鳥塚さんいますか」と研究室に電話がかかってきて、大学院生も迷惑が
るだろうと思ったので、自分の方からK記者に電話連絡しました。そして「法
人化前後の研究環境の変化を聞かれてもお答えのしようがない」旨伝えました。
そしたら「普段どのような(非常勤講師の)スケジュールで動いているのか、
研究への意欲を失わない原動力は何か、現在進められている大学改革に対する
現場の研究者の思いなどを聞きたい」と言うので、取材に応じることにしまし
た。
 
 12月25日に大阪本社のK記者が千葉県柏市の物性研まで来てくれて、取材を
受けました。労働環境の悪さの具体例なんかも随分と聞かれました。つまり、
非常勤講師は週に15コマ授業を持っても年収が500万を越えることはないこと、
健康診断もロクにやってもらえないこと、年金や健康保険も全額自己負担であ
ることなどを、私は答えたと思います。
 
 そのような質問が多かったので、K記者は、最初の取材目的である「法人化
前後の研究環境の変化」というテーマをやめて、非常勤講師の労働環境の悪さ
の方に取材テーマを移したのかなと思ったほどです。私が非常勤講師の組合も
存在することを話したら、彼は知らなかったようです。連絡先を教えてあげた
ら、2010年の1月頃、非常勤講師組合にも取材に行ったそうです。
 
「もう研究をやらないという選択肢もあると思うが、それでも研究を続けてい
る理由は何か」と聞かれました。私は大学教員なら専任、非常勤にかかわらず、
研究をやるべきだと考えています。「最先端の知識を伝えるわけではないから、
研究は不要で、教え方さえ上手であればよい」という主張をする人は案外多く、
中小の私立大学では教授になっても全然研究をやらない人が結構います。しか
し、授業を通じて学生に伝わることは、単に物理の知識だけではなく、教師の
学問に対する熱意とか、誠実さとか、生き方とか、そういった直接目には見え
にくいことも多く伝わっていきます。そうしたものは研究を通じてのみ磨かれ
ていくものなのです。そんなふうに偉そうに答えたと思います。
 
 私は、現在大学非常勤講師として、今年も4月から3大学で毎週14コマの授
業や実験科目を受け持っています。授業については、大学1,2年生向けの力
学、電磁気学が中心です。こうした科目は、高校時代の物理のように単に計算
して答えを出して終わり、というのではいけないと学生に言っています。
 
 最先端の研究をする研究者は、自分が得た結論がリーズナブルかどうか、さ
まざまな角度から自分でチェックします。力学の計算問題でも同様で、答えを
出したらそれが正しいかどうか、テキストの後ろの解答を見て確かめるという
高校式のやり方ではなく、自分の出した答えが直観的なイメージと合っている
かどうか調べるとか、特別な状況や極端なケースを考えてみて矛盾がないかど
うか検討するとか、そういう思考をすることが重要と考えています。こういう
教え方は、研究の現場にいる人でなければやれないことだと思っています。物
理の最先端の知識が直接必要となるのではなく、研究の過程で出会う問題を少
しづつ解いてゆく際の思考のプロセスが、そのまま教育の中で必要とされるの
です。
 
 長年にわたり大学で授業を持ってきた経験を買われたのか、昨年、大学生向
けの物理学のドリルを書く仕事を頼まれました。多くの先生方と共著で書く作
業をやっています。実は、私はそのドリルとは別に力学の教科書を約10年前に
4人の共著で出版したことがあります。しかしそれは、上述した私の教育方針
に反する出来栄えだったので早く改訂したいと常々思っておりました。今年や
っと改訂の話をまとめることができました。私以外の3人の著者を入れ替えて
その仕事に着手することになりました。現役の研究者が書いたと評価されるよ
うな教科書を作りたいと思っています。
 
 K記者からは、2010年3月に入ってからも電話で何度もインタビューを受け
ました。自分の年収のことだの、埼玉大学での給与や交通費の支給状況など、
こと細かく聞かれました。一つ一つ誠実にお答えしたつもりです。たくさんの
ことを聞かれてその中のほんの一部のことが3月16日付けの新聞記事になりまし
た。
 
====================================================================== 
■ 青春の気概 − 炸裂する松高魂 ■ 《「前身」松本高校に寄せて(3)》
----------------------------------------------------------------------
      小林 善哉(理学2S/電子研究室 広島市立美鈴が丘高等学校) 
----------------------------------------------------------------------
       前回ご紹介した『われらの青春ここにありき』(注*1)を読
 (・>    むとき、私がいちばん強い印象を受けるのは、松高生のほとばし
 /彡))    る青春のエネルギーです。私が松本で学生生活を送っていた
/ /      とき、果たしてあのような活力に満ちた日々を送っていただろう
/"?k_       か・・・、と後ろめたさを感じずにはいられません。言うまでも
            なく、彼らが置かれていた時代や社会背景は我々の時とはまるで
違っています。
 
 しかし、この信大物理同窓会報・前号29号の巻頭で、藤惇君(理学2S)が
「我々も松高生のDNAを受け継ぐ者・・・」と書いていたことからすれば、
時代は違っても、同じ松本の地で学生生活を送っていた者として、彼らの青春
の軌跡をたどることにより、なにかが伝わって来るような気がします。今回は、
彼らの手記に書かれた2つの事件を通して松高生のエネルギーを感じとってい
ただければ幸いです。
 
   (注*1)松本高校同窓会が、松高創立60周年を記念して、卒業生と元
   教官の手記を集めて作成したもの。まえがきには、「形式的な校史とは
   異なる、各時代の松高生の脈々と躍動した青春の日の生活の諸相を、そ
   れぞれの時代の校友及び教師の寄稿によって収録している」と書かれて
   おり、旧制高校の様子や校内外の出来事を、当事者の記録として興味深
   く読むことができる。そして、まえがきは、「今はなき旧制松本高等学
   校の存在意義を考えるに足りる公開の記録としての価値をもつものと自
   負している。」と結んでいる。昭和53年(1978年)9月10日発行。
________________________________
  #  「芳の湯事件」と校長追放
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 自分の上司に不満がある場合、「あなたは上司としてふさわしくないので、
辞めてください」と言えるでしょうか。よほどのことがない限り、いや、
あったとしてもなかなか言えることではありません。せいぜいブツブツと
陰口を利くことで終わりでしょう。
 
 しかし、当時の松高生は、それを実行したのです。相手は校長。ことの次第
はこうです。以下、春田俊郎氏(22回理甲1)の手記「芳の湯事件」、小谷隆
一氏(26回文1)の「終戦前後の寮と学校」、大谷浩二氏(26回文2)の「校長
追放劇と五十嵐君」を抜粋・要約して引用します。
 
       ※         ※          ※
 
 昭和17年4月、文部省科学課長であった築地宜雄新校長が着任。桑木ケ雄(あ
やお)前校長が物理学者(注*2)で、九大名誉教授であったのに対し、新校長
は文部省の役人である。
 
   (注*2)日本人として初めてアインシュタインに会った人で、相対性
   理論の紹介に努めたことで知られている。日本科学史学会初代会長。
   著書多数
 
 権力、官僚に対して嫌悪、軽蔑を感じていた松高生にとって、この人事は最
初から不快を感じるものであった。人物も、温厚な前校長に比べ、高圧的、官
僚的であったため松高生の不満はすべてこの校長に向けられていった。さらに
生徒の文化祭を「愚劣」と批評したため、生徒の腹の虫はおさまらなかった。
 
 次に、生徒が毎年楽しみにしていた伝統の行事・駅伝を一方的に中止させて
しまった。生徒の代表がその理由を尋ねに行ったが、明確な理由は示されなか
ったため、生徒の不満に油を注ぐ結果となった。3年生は、卒業が半年繰り上
げられ、残りの高校生活は実質4月から7月半ばまでの3ヶ月半のとなってし
まった。その先に待っているものは徴兵である。
 
 3年生には、この貴重な、高校での最後の3ヶ月半をこんな官僚校長に支配
されてはたまらないという気がみなぎってきた。7月には、学校のすぐ近くの
民家で火災があり、生徒は全身ずぶぬれになって奮闘したのに、校長はこの消
火に協力した生徒に対し、褒めるどころか「反省を求める」と言った。火災の
原因が生徒の不始末にあると勝手に考えたと思われるが、結果として、「校長
は敵である」という宣言となってしまった。
 
 卒業間近の7月12日、3年生は高校最後の教練の査閲があった。これに合格
しなければ卒業できないので、全員が緊張していた。しかし、定刻になっても
校長が現われなかった。金沢の師団からやってきた査閲官倉石少将は「校長
が来ないような学校の査閲はしない」と怒り出し、険悪な空気となった。築地
校長は遅刻して到着したが、後に、「腹痛のため」と弁解したことは生徒にと
っては許し難いことであった。
 
 詳細は省略するが、このような出来事が次々に蓄積されていき、とうとう3
年生は卒業間近となった7月18日、浅間に会合してコンパを開き、その後、築
地校長が住んでいる芳の湯に勢揃いして校長に面会を求め、校長を面責した。
その流れは中浅間の玉之湯に向かい、配属将校の宿舎を襲撃し、軍靴などを放
り投げた。同じ夜、酒に酔った松高生たち(理甲1)は松本城の広場で寮歌を
歌い、広場にあった在郷軍人の銃剣術訓練用の俵を抜き取り、そのいくつかを
濠に投げ込んだのである。
 
 翌19日、松高生(理甲1)は浅間の旅館に集まり最後のクラスコンパを開い
たが、酒が回り、だれからともなく「芳の湯を襲おう」ということになった。
芳の湯の玄関で番頭と押し問答のあげく、番頭を突き飛ばして上がり込んで、
「校長の部屋はどこだ」と大声で怒鳴りつけるのであった。
 
 この騒ぎに駆けつけたのが警察の特高課であった。制服の警官は芳の湯の外
を包囲した。また、前夜の松本城広場での騒動については、すでに憲兵隊から
警察に捜査依頼がきており、この件についても特高課が捜査することになった。
 
 警察の聴取に対し、松高生は、「校長が勅語の誤読を繰り返す不忠の臣であ
り、われわれはそれを注意する愛国者である」と主張し、供述書とも反省文と
もつかぬ作文を書いた。その結果、「愛国思想の幼稚な行為で、背後関係なし」
ということになった。そして、これは、特高の仕事ではないと判断され、俵の
事件も含め、お咎めなしとなった。(実際、校長は式典のたびに勅語の誤読を
繰り返していた)一方、配属将校は、「生徒の指導不十分」の理由で師団司令
部に召喚、つまり、クビになり、校長は、勅語誤読で警察にたびたび呼び出さ
れ、厳重な注意を受けることになった。
 
 松高の名物教授蛭川幸茂氏は、著書「落伍教師」の中で、もう一方の当事者       
である軍がどう見ていたかについて、次のように書いています。
 
「陸軍では、生徒のあばれたのを、上官に対する反抗と解釈した。秋の軍事教
練査閲に、稀に見る酷評が下されたのはその為であった。」
 
 ということは、在校生は卒業生のとばっちりを受けたことになり、複雑な心
境だったことでしょう。
 
 以上が「芳の湯事件」の事の顛末の概要です。
 
 全校生徒にここまでそっぽを向かれたら、校長の職責を果たすことは難しい
でしょう。内田尚彦氏(24回理乙2)は手記「鳥居松綺譚」に、冒頭部分から
築地校長の人物像を次のように書いています。
 
「校長築地宜雄は生徒を勤労動員で工場へ出す場合、その作業内容が過酷であ
ればあるほど国家のために貢献すると思っていたようである。そのため松高生
はみな大変な苦労をし、病気になって、これがもとで死んだ者もいたが、戦時
中のことであり、問題にもならなかった。」
 
 このような校長を松高生は黙って見ていたわけではありません。小谷隆一氏
(26回文1)の手記「終戦前後の寮と学校」によると、戦後、全国各地で学校
改革運動が起こったことが記されています。それは一部教授の戦時中の言行を
とらえて排斥する運動でした。松高でも、寮の会議室に生徒が集まり、校長と
3名の教授の追放について具体策が練られました。
 
 その結果、生徒の代表が築地校長と3教授の自宅を訪問し、態度釈明を求め、
辞職する意志を問いに赴いています。また、別の松高生の代表は何度も上京し、
文部省に行政的善処を要請しています。小谷氏は、事前に先輩である手塚富雄
(注*3)を東大に訪ね、助言を受けて、文部省大学課長と会っています。 
     
   (注*3)松本高校卒業/ドイツ文学者 松高教授を経て東大教授 文化
   功労者(1981年)
 
 その結果、昭和20年11月25日、築地校長と3教授の更迭が文部省より発表さ
れました。
 
 生徒の考えを一つにまとめ、生徒の総意として校長に辞職をうながし、同時
に先輩との繋がりも利用して文部省にも働きかけていく。このように、前面と
背後から、2つの作戦を同時並行で進めていくという戦略を、高校生が実行し
たということに驚かされます。まるで、山鹿流の兵法を地でいっているような
気がします。また、このような深慮遠謀があったとしても、彼らの行動力や青
春のエネルギーなくしては目的を達成できなかったことでしょう。まさに松高
魂の発露といえます。
 
 では、彼らは校長を追放することに何のためらいもなかったのでしょうか。
 
 この点について、大谷浩二氏(26回文2)の手記「校長追放劇と五十嵐君」
には、当時松高生の集会では、「一市民とその家族を路頭に迷わすことが学内
改革の本旨ではない筈。改革に名を借りた追放運動には賛成しがたい」と激し
く抵抗した者も少数ながらいたようです。また、この手記には大谷氏が校長の
自宅に生徒会の決議を伝えに行ったときの様子が次のように書かれています。
 
「昨夜と同様、彼(五十嵐君)はその夜も校長の前で泣きくずれた。校長も涙
を流しておられたように見えた。(中略)しかし、あの夜、この目で見た新派
劇のような感動を忘れることができない。混乱の中でかい間見た人間五十嵐君
と築地校長との出会いであった。脳裏に残る一脈のすがすがしさでもあった」
 
 この手記を読んで、当時の松高生は冷酷非情に校長を追いつめていったので
はなく、そこには様々な葛藤や苦しみがあったことを知ることができました。
同時に、彼らの血の通った人間的な思いやりや温かさも感じることができ、
救われる思いがします。
________________________________
  #  警官と乱闘
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 学生運動華やかなりし頃、警察のご厄介になった同窓生もいることでしょう。
でも、警官と格闘や乱闘まではしなかったと思います。それが、松高生の場合
はいたのです。松高生の場合、治安維持法違反で第1次検挙にはじまり、第5
次検挙に至るまで警察の激しい弾圧を受けていますが、このような時代が訪れ
る前、夜の縄手通りで巡査と一対一の格闘をした松高生の話を次に紹介します。
 
 以下、福林正之氏(3回文甲)氏の手記「福田美亮巡査に斬らる」より抜粋・
要約引用。
 
       ※         ※          ※
 
 松高生福田は夜ひそかに寮を抜け出し、縄手の「弁天楼」へ行き、馴染みの
芸妓を呼んだ。その帰り、芸妓が送ってきた。福田は芸妓をマントの中に入れ
て、肩を抱きながら女鳥羽川沿いの道を歩いていた。背後から巡査が近づいて
きて、声をかけた。
 
   「おい」
 
 福田は立ち止まって振り向いた。
 
   「どこへ行く」
   「ウチへ帰る」
   「ウチはどこだ」
   「筑摩だ」
   「フーン、きみは高校生ずら」
   「見ればわかるだろう」
 
 福田には日頃から人をからかう癖があったのでこう答えた。ところが、巡査
は、一向に恐れ入らないふてぶてしい態度がアタマにきて、語気が荒くなった。
 
   「その女は何だ」
   「それも見ればわかるだろう」
   「芸者だな」
   「そうだ」
   「学生が芸者など連れ歩いていいのか」
   「学生が芸者を連れて歩いてはいかんという法律でもあるのか」
   「生意気いうな!」
 
 いきなり巡査は拳で福田の胸を衝いた。福田はその腕を掴み、巡査の腕をた
ぐり込んで足払いをかけた。
 
 ひっくり返され、不覚を取った巡査は猛然と組みかかってきた。柔道二段で
めっぽう腕力の強い福田は、川っぷちに巡査を抱え込んで仰向けに押さえつけ
た。巡査の帽子が川に落ちた。巡査は福田の腕の下で口惜しそうにもがいた。
 
 頃合いを見て、福田は相手が跳ね返してこないのを見て、手を離した。巡査
はよろよろと立ち上がったかと思うと佩剣(はいけん)を抜いた。咄嗟に福田
は身をよじったが肩先を斬られた。二の太刀は左手で受けた。激痛が走った。
自制を失った福田は、がむしゃらに剣を奪い取ると、後ろに投げた。剣は川に
落ちた。
 
 怒れる猛牛となった福田は、巡査を膝の下に組み敷くと、佩剣の鞘(さや)
に手をかけ、ぐにゃっと曲げてしまった。巡査は訳のわからぬ叫び声をあげて、
くの字に折れ曲がった剣鞘を跳ね上げながら逃げていった。福田の左手から血
が吹き出ている。胸の当たりにもなま暖かいものが流れている。
 
「早くお医者さんへ! 早くお医者さんへ!」と芸妓は叫び、かかりつけの医
者へと手を引いていった。寒さに弱い福田は厚着をしていたのでそれが幸いし、
肩の傷は思いのほか軽かったが手のひらはざっくりと口を開けていた。
 
 学生が警察官と渡り合い、官帽と剣を奪い取って川へ投げ捨て、剣鞘までへ
し曲げてしまったとあってはただでは済むまい。警察はその威信にかけ徹底的
に捜査をするであろう。相手が高校生で負傷しているということもわかってい
るので隠しようもない。
 
 今後の対応を考えた寮の2名の総務委員(福田は総務委員長)は、この事件
を他の寮生には極秘にして、福田をかくまうことにした。そして、万一事件が
明るみに出た場合は寮を挙げて福田を擁護し、絶対に処分されないようがんば
ることが申し合わされた。
 
 そして、一日、二日、三日と日がたっていった。不思議なことに1週間たっ
ても何も起こらないことに気がついた。総務委員たちは、おそらく、あの巡査
が警察に本当のことを話していないのでは・・・と考えるようになった。たと
え報告があったとしても、警察官たる者が高校生を相手に喧嘩して、剣を抜い
て斬りつけるなど言語道断。警察側にとっても表沙汰になっては困る事件かも
知れない。その場合、捜査はせず事件はうやむやになる公算が大きいというこ
とになる。果たして、警察の動静はどうだったのか。動きはとうとう最後まで
なかったのである。
 
       ※         ※          ※
 
 ここまで読んで、「巡査と喧嘩をすることが、そんなに偉いことなのか」
と眉をひそめる方もいることでしょう。この手記を書いた福林氏は、「おろ
かなエリート意識、罷(まか)り通る若さの特権・・・そういったものが、知
らず識らずのうちに私たち高校生を驕慢(きょうまん:おごり高ぶって、人を
侮るの意)にしてはいなかったか。その驕慢が惹(ひ)き起こした事件であり、
(以下略)」と反省のことばを残しています。
 
 単に巡査を腕力で負かしたことを誇るのであれば、チンピラと変わりはない
でしょう。そうではなく、彼らが謙虚に反省の気持ちになったことに青年らし
い清々しさを感じます。そして、福田は左手に白い包帯を巻いた姿で、2人の
総務委員と一緒に縄手通りの写真館で記念写真を撮っています。福林氏は、こ
れは、「その反省を忘れないためにも、といった意味での、いわば『心』の記
念写真であった」と書いています。その写真が手記と一緒に収められています。
 
 卒業後、福田は東大に進み、渡米。その後、戦後間もない日本に、在米同胞
によって組織された日本難民救済会副会長として、たくさんの救済物資を持っ
て訪れました。そして、天皇、皇后両陛下に拝謁しています。このとき、福田
はつかつかと両陛下の前に笑顔で進み出て手を差し出したそうです。ほんの少
し前まで天皇は「神」であったということを考えれば、周囲の人びとはさぞう
ろたえたことでしょう。
 
 ここにも福田という人物の痛快さを見ることができます。また、福田が持っ
てきた物資は、多くの日本人から感謝されたにちがいありません。
 
 この他にも、同様の事件として、昭和16年、松本城のほとりで憲兵と乱闘を
した内田信也氏(22回理乙)のことも、手記「憲兵との乱闘」に記録されてい
ます。機会があれば、またの機会にご紹介いたします。
 
 今回は、この2つの事件を紹介するにとどめましたが、他にも、彼らの底知
れぬエネルギーを感じさせる逸話や事件が数多く収められています。
 
 当時は校長にしても、警察にしても、今よりはるかに大きな権限や権威をも
っていたはずです。この権威に対し、全く卑屈になることなく立ち向かった松
高生の反骨精神にただただ脱帽するのみです。できることなら、(乱闘はしな
いとしても)このように堂々と、そして謙虚に生きたいと思います。
                            (一部敬称略)
 
======================================================================
   ┃T┃O┃P┃I ┃C┃S  ┃信┃州┃寮┃表┃祭┃に┃幕 
   ┗━┗━┗━┗━┗━┗━  ┗━┗━┗━┗━┗━┗━┗━       
    ◎ 6月12日(土) 、松本市のあがたの森文化会館の講堂で、「第25回
    信州寮歌祭」(最終回)が開かれました。
 
     旧制高校の出身者も、最若者でも80歳台を迎えようとしており、
    「余力を残して」(松村好雄・寮歌祭実行委員長)今回で最終回とな
    ることが決まっていました。主催する「信州白線会」の会長は本会名
    誉顧問の宮地良彦先生。冒頭の挨拶で「寮歌祭がなくなっても松本に
    来てほしい。・・・旧制高校の魂は永遠に不滅です」と語っておられ
    ました。会場では、参加者がハンカチを目頭に当てる光景があちこち
    で見られました。 
 
     全国から集まったオールドボーイたちは、学帽や袴そして揃いのハ
    ッピなどに身を包み、青春時代さながらの晴れ姿。その数(一般市民
    も含む)360名。これまでで最高の参加者でした。学校ごとに登壇し
    て、長くうたい継がれてきた寮歌や応援歌を熱唱。最後に松高思誠寮
    寮歌「春寂寥(はるせきりょう)」で祭りを締めくくりました。 
 
       ▼以下写真などは、次のWEBサイトでご覧ください。
     ◎WEB版→ ( http://www.supaa.com/pages/osirase.html#100612 )
___________________________________
    ■ = ご挨拶 = 信州白線会 第25回 寮歌祭
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     白線帽、釣鐘マントに朴歯の下駄。そんな見かけの形に憧れて入学
    した旧制高等学校は、それまで考えたこともなかった全く新しい世界
    であった。
     辞書なんか引いているようじゃ問題にならないという英語の教授。
    アルファベットの読み方を教えただけでデル、デス、デム、デンの文
    法を始めるドイツ語教授。教科書は一度も開かぬままメービウスの帯
    とクラインの壷の講義を続けて1ヶ月、「みんなもう教科書は読んだ
    だろうから来週試験をする」とのたまう数学教授。一年間硫酸の講義
    だけに終始した化学の教授。現在の教育では想像もできないこんな旧
    制高校の自由奔放な教授たちを通じて、学問の配電盤からの電流は流
    れ、知的世界の光は生徒の乾板に感光したのである。
     学校教育は授業だけにあるのではない。24時間起居を共にする寮生
    活から自己批判と人間形成の哲学を学び、日曜以外には休みのない運
    動部の練習から黙々と耐える不屈の精神力を学ぶ三年の青春。今信州
    寮歌祭に集う老年たちが高唱するのは、こういった若き日の思い出を
    秘めた寮歌である。
 
     25回を迎えるこの信州寮歌祭も本年をもってその幕を閉じることに
    なったけれども、これからもぜひ縣の森を訪ねて欲しい。ここには松
    本高等学校のキャンパスと青春の碑が残る。旧制高等学校の魂は永遠
    に不滅である。
 
       詩人は我に語りにき   実に人生は旅にして
       我らは道行く旅人と   わが友若き旅人よ
       忘るる勿れ丘の日を   我らが旅の尽くるまで
       長き旅路のひとときを  君と憩ひし丘の日を
 
            第八高等学校大正六年度寮歌「光りのどけき」より
 
  平成22年6月12日   信州白線会 会長 宮地 良彦(第八高等学校)
 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
======================================================================
 <再掲>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
----------------------------------------------------------------------
 1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
 人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。
 
 2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
 を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
 
 3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
 後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
 関連事務局員に伝達する。
 
 4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。
 
 5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
 して、 卒業生からの会費徴収に勤める。
 
 6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
 その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
 払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
 告し清算する。 
 
 7.会計年度を4月から翌年3月とする。           ┳ξ
 会計はすみやかに決算報告を作成                  ●●●
 して会計監査担当から監査を受ける。               ●●
                                                  ●
 8.本細則の改正は総会で行う。
            ┏━┳━┳━┳━┓
 ▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
            ┗━┻━┻━┻━┛
 ------------------------------------------------------------------
  ◆郵便局の場合/通常郵便貯金 
  記号:11150 番号:20343411
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1
 
  ◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
  店番号:421 普通預金 口座番号:650215  
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1
           
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄
 
       ●・・恒例の5月最終土曜日に開催される当会・物理会総会が
  /\ ☆  ことしは東京で開かれ、盛会のうちに無事終了しました。総会
 │○│    幹事の皆さんご苦労さまでした。初の女性講師をつとめられた
 │ │     松本節子先生も素晴らしく堂々と熱弁をふるわれ、後輩として
/| |\   とても誇らしく感じました。おつかれさまでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄    ●・・さて、来年の総会は松本の番です。ます、総会幹事さん
 ||||     を決めなくてはなりません。小生は、知りうる範囲で、信州在
       住の物理科OB約20名にメールで呼びかけましたところ、何と
7名もの方が集まってくれました。欠席の通知も3名からいただきました。か
くも多くの方が興味を持っておられ、協力的であることに意を強くしています。
●・・理学部同窓会報では「文理学部から理学部へ」の主旨の特集を企画して
いるとか。そこで目をつけられたのは、小紙に連載されている宮地先生の“あ
日あの頃”。早速、転載の申し出あり。歴史的証言の重みが違います。(MT)
〇::今年の物理会総会・東京地区開催には、松本から武田理学部長が駆けつ
けて下さいました。公務で多忙のところ恐れ入ります。ありがとうございまし
た。また今年は01Sの若い卒業生が4名も参加されました。当会が若い方々に
引き継がれる気配が見えて来て嬉しく思いました。
〇::講演には松本節子氏(文理13回卒、現明治大学教授)の「真空紫外光で
透明物質を見る」話がありました。光学に興味ある同窓生から多くの質問が有
りまた懇親会でも氏を囲んで質疑が交わされておりました。
〇::宮地先生の掲載はとても好評です。今回の図書館の宝の山のお話には驚
き。医学部の図書館に昔見聞した物理の論文集(Annalen Phisik)があったと
は! 文理の図書館は閉架式で閲覧し難くかった事を思い出しました。(MM)
===================================
■ MAILMAGAZINE BULLETIN 『信大物理同窓会報』0030号(2010年夏号) ■
□ 2010年6月28日  編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10)藤惇(2S)太平博久(6S)
□編集長:藤 惇 □ 発行人:根建 恭典
 
             ┌──┐  (http://www.supaa.com/)
               │\/│ (info@supaa.com/) (makoto@insatell.co.jp) 
             └──┘     
            ___________________________________________________
      (C)信州大学物理同窓会事務局 無断複製・転載を禁ず
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 
 
 
 
 
 











●「信州大学物理同窓会」事務局●

◎ご質問・ご連絡はメールまで