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≪≪≪≪≪≪ ●メルマガ会報0033号 2011年3月30日配信● ≪≪≪≪≪≪≪
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┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃
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│田田田田田| │★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2011年春号 │
│田田田田田|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田| (http://www.supaa.com/)
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
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■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
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○-- 数百年に一度という未曾有の東北関東大震災。 --○ ∩
○-- 同窓生の中にも少なからぬ被害に遭われた方が --○ ⊂○⊃
○-- いると思います。お見舞い申し上げます。そし --○ ∪
○-- て松高からの名物教授・松崎一先生が亡くなら --○ ∞l∞
○-- れました。最近つとに「何を教えたか、でなく --○ ∞l∞
○-- 何を学んだか」を重視する傾向ですが、松崎先 --○ ∞l∞
○-- 生はず〜と古くからの実践者でした。合掌。 --○ ∞l∞
【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 第14回信州大学物理会総会について・・・第14回信州大学物理会総会 幹事
◇ 第14回信州大学物理会総会:記念講演講師からのメッセージ・・ 小河 勝
◇ 2011年度 信州大学理学部物理科学科入試状況・・・・・・ 志水 久
◇ 連載第11回【信州大学への追想】“あの日あの頃”
「新米学長右往左往」 ・・・・・・・・・・・・・・・・宮地 良彦
◇ 退官3先生(宮地良彦・鷺坂修二・辻村瑛)を送る言葉・・・・・ 勝木 渥
◇ 松崎先生の思い出 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小林 善哉
◇ ┃卒┃業┃論┃文┃┃修┃士┃論┃文┃┃の┃┃テ┃ー┃マ┃
◇ ┃T┃O┃P┃I┃C┃S┃ ・・・・・・・卒業生表彰者に当会から副賞
◇ 全学教育機構 現代職業概論の講義を担当して ・・・・・・・・太平 博久
◇ 【卒業生からの声】大学生活を振り返って・・・・・・・・・・井田 慧
◇ フリーランス特許翻訳者の日常 ・・・・・・・・・・・・・・ 杉山 範雄
◇ ▼△ウィーン便り(7)△▼ 大晦日から新年へ ・・・・・・ 大塚 直彦
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記
……………………………………………………………………………………………
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┃第┃14┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃に┃つ┃い┃て┃
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ことしの信州大学物理会総会の概要が以下の要領で開催されます。これまで
の総会との主な変更点は次の3項目です。
(1)現役・引退にかかわらす、恩師全員に招待状(無料)を差し上げその出欠
を事前にお知らせする
(2)同窓会員には不参加の場合には、1000円のカンパを要請する
(3)講演会の講師は全国的に有名な教育者なので、共催を理学部にお願いし、
一般に公開。教育委員会や地元紙の後援を得る
今回の案内書を2月末に発送しましたので、同窓会員のお手元に届いている
かと思います。すでに、お申し込みや同封の郵便為替で大勢の方からカンパを
いただいております。何卒、ご出席ご協力をお願い申し上げます。
2011年3月30日
記
(1)開催日時刻: 2011年5月28日(土)14:00 〜18:00
※講演会:14:00〜15:00、総会:15:10〜15:55、
記念撮影:15:55〜16:05、懇親会16:10〜18:00
(2)会場: 信州大学理学部講義棟階段教室
(3)記念講演講師:小河勝 氏(文理17回:大阪府教育委員)
(4)会貴:7,000円 学生:1,000円
(5)懇親会会場:理学部A棟 多目的ホール
●記念講演演題:「今日の学力の実態とモジュールの可能性──モジュール
(短時間集中型反復学習法)による画期的な学力向上」
《 講師略歴 》
1964年 信州大学文理学部自然科学科物理入学 1970年卒業(文理18回生)
1973年〜2006年 大阪市立加美中学校を皮切りに各中学校で理科教諭とし
て活躍、荒れた中学生に基礎学力をつけることで荒れの克服に成功。
1986年〜1987年 大阪市立教育センター(生活指導)2005年3月退職
退職後、和歌山大学非常勤講師(生活指導論)、松蔭女子大学非常勤講師、
樟蔭学園教育アドバイザーを歴任。JICA専門家としてスリランカ義務教育
課程改革に臨む。橋下徹大阪府知事の強い要請により2008年10月より大阪
府教育委員に就任
《 著書 》『未来を切り開く学力シリーズ 小河式プリント 中学数学基礎
編』(文芸春秋社)『小河式 3・3モジュール』(文芸春秋社)ほか
▲共催:信州大学理学部
▲後援:長野県教育委員会 松本市教育委員会 信濃毎日新聞 中日新聞社
市民タイムス テレビ松本ケーブルビジョン
__________________________________
◆記念講演講師 小河勝 氏 からのメッセージ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私は昭和39年、文理学部自然科学科物理学課程に入学しました。宇宙線研
究の鷺坂教授の教室に入りました。卒業後、自分では希望していなかったの
ですが、47年、ふとしたことから大阪市の中学校の理科教師となり、以来32
年間、市内の荒れた中学校ばかりを転々と勤務することになります。その中
で生活指導を担当してきましたが、結局、子ども達の荒れは「勉強が分から
ないからだ」ということに気付きました。それまで行っていた変形服を剥ぎ
取る、喫煙に対する別室指導、などの生活指導をやめ、子ども達の崩壊した
基礎学力の回復に打ち込むことになります。そしてこの道は間違っていませ
んでした。わけもなく荒れ狂う子どもたちが一挙に健全な様子に変わるので
す。それはまさに劇的な変化でした。
この道筋は「学力低下を克服する本」(文藝春秋社)に書いております。
2年前、その実績を橋下知事に買われて要請を受け、大阪府の教育委員に就
任し、現在に至っております。今、社会はあらゆる分野が激流のように変化
し続けております。改めて思うのですが文理で学んだことは余りにも大きい。
このミクロコスモスこそ本当の教育の場であったと認識する次第です。今回
日本社会の義務教育の現実、その未来への可能性の追求のあり方についてお
話できればと考えます。
= 第14回信州大学物理会総会 幹事 =
■赤羽徳英(文理10) ■藤惇(2S) ■渡辺規夫(4S) ■上條弘明(9S)
■志水久(91SA) ■河上陽介(01S) ■清水文崇(06S)
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□■□□■□ 2011年度 信州大学理学部物理科学科入試状況 □■□
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物理科学科の取り組み
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■学部【推薦入試、 一般入試(前期日程,後期日程)、 帰国子女入試、中国引
揚者等子女入試、私費外国人留学生入試、3年次編入学】
面接とセンター試験の結果で合否を判定する推薦入試を平成21年度
入試から定員5人で導入した。前期日程と後期日程は、それぞれ定員20
人、10人で募集し、後期日程はセンター試験の結果のみで判定している。
3年次編入学は、短大および高専の卒業生の進学先を提供するために実
施している。帰国子女、中国引揚者等子女、私費外国人留学生入試は、
志願者がいれば実施する。
■大学院(修士課程)
I期:7月上旬に面接のみで実施 II期:8月下旬に筆記試験により実施
今年度の状況
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●学部入試:今年で3回目を迎えた推薦入試は、定員5人に対して10人
の受験者があり、県内よりも県外からの受験者が多かった。前期・後期
日程の志願倍率は平均で前期3倍(昨年3.4倍)、後期6倍(昨年7.4倍)を
維持した。(詳しくは下記の表を参照)
理学部では夏にオープンキャンパスを開催し、高校生向けに理学部の
情報発信を行っている。また、理学部同窓会の援助により作成した冊子
『信州で学ぶ』を全国の多くの高等学校に配布している。これらの取り
組みの志願状況への影響は僅かかもしれないが、今後も引き続き実施し
ていく必要がある。
今年度については不況の影響により志願者数が増えているかもしれな
いが、地元指向の傾向は高くなく、全国から集まってきている。
●大学院入試:これまでは卒業生の半数以上が大学院に進学したが、今
年は就職希望者の方が進学者より多くなった。例年、進学者の多くは他
大学の大学院へ進学し、逆に他大学からの進学者がほとんどいないため、
内部からの進学者を確保するために面接のみの入試をI期入試として7月
上旬に実施している。
この入試は筆記が免除されているが、指導教員の推薦書が必要なため、
他大学との併願を希望する学生のために、従来と同様のII期入試も実施
している。
(志水久/91SA・記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ 理 学 部 出 願 状 況(2011年確定志願者数)
学 科 前期(A)(B)(C)(D)(E) 後期(A)(B)(C)(D)(E)
----------------------------------------------------------------------
数理・自然情報科学科 25 76 3.0(3.5)(2.8) 27 155 5.7(8.4)(9.4)
物理科学科 20 79 4.0(3.4)(1.9) 10 54 5.4(7.4)(5.4)
化学科 15 61 4.1(3.7)(3.3) 15 84 5.6(3.1)(8.5)
地質科学科 11 27 2.5(1.9)(1.7) 15 111 7.4(6.3)(10.5)
生物科学科 15 25 1.7(3.7)(1.8) 15 78 5.2(6.7)(5.2)
物質循環学科 10 40 4.0(3.6)(2.5) 10 57 5.7(10.1)(7.5)
----------------------------------------------------------------------
(A):募集人員 (B):志願者数 (C):志願倍率(倍) (D):昨年志願倍率(倍)
(E):一昨年志願倍率(倍) ※物理科学科では、前期はまずまずの伸び
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【信州大学への追想】┃“┃あ┃の┃日┃あ┃の┃頃┃”┃ 連載第11回
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■ 新米学長右往左往 ■
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宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問)
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*
学長選が終わった私を待ち構えていたのは、息吐く暇もない
●● 諸行事の連続であった。異例の長期間にわたった学長選挙によ
●※● る大学運営の遅れを取り戻すためであろうか、管理職の発令は
●\§ 候補者決定から1カ月後という慣例にも関わらず、私の文部省
∞\ での辞令交付は選挙終了から1週間後の6月11日であった。
引き続いて省内や国会議員への挨拶回りを済ませて、翌日は
神田の学士会館で開かれた国立大学長会議に初出席。東京からの帰路は上野か
ら上田市へ、続いて車で伊那市へと各地学部への挨拶回りに追いまくられた。
さらに大学として最も重要な事項である文部省への次年度概算要求の提出を月
末に控えていることもあって、信州大学への初登庁と事務引き継ぎもそこそこ
に、連日事務局から資料の説明を受けた後、19日には午前から午後にかけて学
部長会議、評議会等終日の一連の学内会議を経て学内の合意を取り付けるなど、
事務局の設定した学内事務処理の数々のスケジュールがやっと一段落したのは
6月下旬のことであった。
● 開かれた大学に向けての枠組み作り ●
こういった当面の諸行事への対応とは全く別に、当時大学をめぐる社会情勢
は大きく変わろうとしており、信州大学にはそれまでのあり方を見直さなけれ
ばならない課題が山積していた。しかしながら信州大学ではこれら諸問題につ
いての対応はそれまではかばかしく進んでいなかったというのが実情であった。
国立大学にはその発足当初から、文部省に対する国立大学学長会議とは別に
国立大学協会(以下国大協)という組織が作られていた。そこでは総会以外に
7つの常置委員会が設けられ、国立大学をめぐる問題を取り上げて、大学のあ
り方について検討・提言を続けてきた。
そういう諸問題の中で平成元年ごろから大きく取り上げられるようになって
きたのは、大学が自身を活性化して教育効果を上げる大学改革を行う「開かれ
た大学に向けての枠組み作り」であった。その具体的なテーマとしては、大学
の評価・点検と、大学設置基準の改正(いわゆる「大綱化」)に伴う新教育課
程の策定という二つの問題があり、これに対する取り組みが私の学長在任中の
重要課題となった。
● 評価・点検の課題 ●
社会との連携を目指す開かれた大学として重要なこととして国立大学協会で
取り上げられた課題の一つは、大学の教育・研究への取り組み体制とその成果
について評価、点検し、その結果を社会に公開することであった。この問題に
ついて信州大学では、外部との共同研究、国際交流、公開講座あるいは講義の
公開、外人教員の任用などの諸点について見直しが図られたけれども、問題の
中心となる研究業績の公開による教員評価については、「大学がその問題自体
を意識していない」(国大協第一常置委員会の「大学のあり方」昭和60。6)
と指摘されるほど、どの大学でもはかばかしい取り組みは進められていなかっ
た。
とくに文系学部の教官の間には、昔ながらの学問の自由の強い意識が残って
いた。実際私が学長に就任してこの問題の取り組みを進めるために提案した評
価・点検専門部会の設置に対して、平成3年(1991)10月の部局長会議で当時
の学生部長は、「教員評価は自己責任で行えば十分だ」と反対意見を述べたほ
どであった。
しかしながらこのころになると、文部省がこの評価・点検問題への取り組み
を大学の個別評価の目安にしているという憶測も手伝って、どの大学でも評価
・点検問題についての認識が浸透し、学部レベルあるいは大学レベルでの白書
作りが積極的に進められようになった。信州大学でも平成4年(1991)3月に小
委員会を設置して6月下旬には中間報告書、平成4年度中には学部別に評価・点
検白書作りが完了した。
この信州大学白書には、大学院の充実と改革、社会との連携の強化、国際化
の推進(留学生受け入れ、学術交流、姉妹校提携)、講座あるいは講義の公開、
共同研究の推進、学部施設の公開利用、研究・教育成果の公表と評価など多彩
な内容が盛り込まれている。結果的にみると、この評価・点検問題は、それま
で象牙の塔にこもりがちだった大学教師の意識を根底から揺り動かすことによ
り、それまでとかく親方日の丸意識の抜けなかった国立大学が、社会に対して
大きくその門を開くきっかけになったことは間違いない。文教政策の歴史にお
ける大きな変革であったということができるだろう。
● 卒業式と入学式 ●
ややこしい話が続いたから、話題を転換する。
入学式と卒業式が大学としての重要な行事であることは、どの大学でも変わ
りはない。ところが学部が県内に分散した信州大学では、この年中行事は学長
にとって大きな負担であることが次第に分かってきた。
学年暦に従って入学式から話を始めよう。
教養部が松本地区に統合される以前の信州大学では、入学式も卒業式も全て
学部ごとに行われていたから、県内の道路事情が現在ほど良くなかった頃の学
長は、前日から泊まり込みで各地へ出かけたと聞いている。教養統合以後は、
新入生が松本に1年間在籍することになったのに伴って、入学式は全学の新入
生を集めて松本で開催されるようになっていた。この点では学長の負担は大い
に軽減されたことになる。
ところがその後大学院課程が充実されて、信州大学の全ての学部に修士課程
あるいは博士課程が設置されると、人文と理学、教育学、経済・社会政策科学、
工学、農学、医学の各大学院研究科入学式がそれぞれ別に行われるようになっ
た。修士課程あるいは博士課程大学院はそれぞれの研究科の性格も異なり、入
学者の経歴も様々だから、決まり切った挨拶はともかくとして学長はそれぞれ
の研究科に向けて通り一遍でない言葉を考える必要がある。これが悩みの種な
のである。
一方卒業式については、学部の各地分散の事情に変化はないから、昔通り地
区別に行われる。長野地区(教育、工学の学部生と大学院修士課程(MC)修
了者)では女子学生の数も多く、名誉教授も多数出席してホタルの光を合唱す
る式典が、長野市の長野県文化会館で開かれる。これを皮切りに、上田地区
(繊維学部生とMC修了者)、伊那地区(農学学部生とMC修了者)と続き、
最後が学生数の多い松本地区(人文、経済、理学、医学の学部生とMC修了者
および医療技術短期大学部生)となる。
大学の制度は奇妙なもので、さらにこの上に、長野では工学部の、松本では
医学部の大学院博士課程修了者に対する学位記授与式が加わるから、卒業式の
数は昔と少しも変わらない。最近は合理化思想が行き渡ってきたので、この辺
の事情は改善されていると思われるが、年度末の3月から年度初めの4月にかけ
て、私は学部ごと、研究科ごとの式辞の原稿作りに頭を悩ましたものであった。
私の学長在任最後の1995年4月の入学式式辞に、私は次の言葉を入れた。少し
長いが引用しよう。
「……長野県では今日からほぼ千日後の1998年に、冬季オリンピック大会並び
に冬季パラリンピック大会が県内各地の会場で開催されることになっています。
諸君の本学在学中に確実にやってくるこのイベントは、これからの社会のキー
ワードである国際化と社会への貢献を実践する願ってもないチャンスです。こ
のことを信州大学在学中の計画の中に今から組み込んで、専門を活かしたボラ
ンティア活動や地域への社会奉仕、国際化への貢献等、皆さん自身にとっても
大きな飛躍のきっかけとすることをぜひ考えておいて戴きたいと思います。」
この年の入学生の一人が後年卒業生代表としての答辞の vvv
中で、入学式における私の式辞に言及し、「大きな励まし vvv ( )
となった」と言ってくれたということを、学長退任後私は ( ) ~|~
ある教官から知らされた。こんな苦労もいつかは報われる ~|~ | /
こともあるようだ。 |/\|/
(文中の肩書は当時のもので、敬称は省略いたします。) (以下次号)
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■ 1990.3.15 理学部親睦会 退職者送別会で述べた ■
■ 退官3先生(宮地良彦・鷺坂修二・辻村瑛)を送る言葉 ■
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勝木 渥 (元信州大学教授/東京都多摩市在住)
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今を去ること20年余、1990年の3月には信大物理科に ☆
とって大きな出来事がありました。理学部開設当時から /
勤めてこられた3教官、つまり宮地良彦先生、鷺坂修二 /\┌─┐
先生、辻村瑛先生がそろって退官されることになったの (~~/│~~│
です。その年の3月15日に開催された「送別会」で勝木 //~' 丶ノ
先生が読まれた“送る言葉”をご紹介します。礎を築か く _||_
れた草創期のいきさつや苦労された様子がしのばれます。
----------------------------------------------------------------------
*
物理教室では同時に3先生が退官なさる。3先生について、文理学部・理学
部への着任順に紹介しながら、送別の言葉を述べたい。
宮地先生は、文理改組・理学部創設に力をお尽くしになった。文理学部を改
組して理学部を創設するということがどんなに大変なことであったかについて
は、『信州大学理学部20年史』(注*1)に宮地さんがお書きになった「県の
森の物語」(および『信州大学教養部十年史』)にくわしいので省略する。
われわれは理学部創設のお陰でここにいるわけで、私もそのお陰をこうむっ
た一人である。一杯のコーヒーから・・・・という歌があるが、その歌を聞く
と、私はいつも、ある光景を思い出す。
今から25年前、1965年の6月頃だったと思うが、その頃私は、名古屋大学工
学部応用物理学科の物性理論の講座の助手だった。ある日、本当に全く偶然に、
日ごろはほとんど行ったことがないのに、私たち研究室の若い連中が中央図書
館の階下にある喫茶室にコーヒーを飲みに行ったら、そこに理学部素粒子論研
究室の坂田昌一先生や山田英二さんらが来ておられて、お客さん、容姿端麗・
眉目秀麗な紳士と話をしておられた。
私が研究室にもどったら、私のボス(志水教授)が部屋に来いというので行っ
てみたら、「今、坂田先生から信州大学に勝木はどうか、という電話があった
が、行く気はあるか」ということだった。私はすぐ行く気になって、翌日「そ
の気がある」と返事をした。のちに話が進んで、宮地さんにお目にかかる機会
があったが、そのときの容姿端麗・眉目秀麗な紳士のお客さんが宮地さんであ
ったと直ぐ思い当たった。
宮地さんは、教室作りのための行脚に名古屋まで出てこられたのであり、そ
の日たまたまコーヒーを飲みに行ったことが、私を松本や宮地さんに結びつけ、
今、ここでこうやって送る言葉を述べることになった、そもそもの始まりだっ
た。
私が宮地さんから学んだことは、議論を進めるさいの辛抱強さである。私に
はせっかちなところがあって、分かりきった結論だと私に思えることを出すた
めに、ああでもない、こうでもないと、ぐだぐだ議論することを時間の無駄だ
と思うようなところがある。宮地さんはそうではなくて、結論そのものの正し
さだけではなく、結論を出す過程が大事だ、結論が正しかったとして、その正
しい結論をみんなで出すこと、そのことによって、結論が出たとき、同時にそ
れが皆のものになっている、ということが大事だ、と強調された。
勝木は結論を出すことを急ぎすぎる、という忠告をよくもらった。確かにそ
の通りだと思い、そのように私もなりたいと思っている。
(注*1)『信州大学理学部20年史』は、正確には『信州大学理学部二十
年史資料』で、「県の森の物語」はその320〜423頁にわたる大作です。
*
文理改組・教養統合のときの大変なご苦労ということを先刻述べたが、その
苦労は文理学部に居られた人たちだけのものではない。
鷺坂先生は文理改組のときに、繊維学部から理学部に移られた。繊維学部と
理学部を比べたとき、繊維学部の方が条件がよかった・恵まれていた、という
面がいろいろとあったと思う。しかし、当時繊維学部におられた方々が、ある
面での条件の良さをなげうって、教養統合・文理改組の大義に馳せ参じたわけ
だ。鷺坂さんを含めた、そのような方々にも、理学部創設で恩恵を受けたもの
はお礼をいうべきだと、私は感じている。
人と人との間には、基本的にはほとんど同じ思いを持ちながら、ある具体的
な一つのことに対する評価や判断の違いから、そのことに関して正反対の立場
に立ってしまい、そのことが原因で互いの心が離れて行く、というようなこと
が、現実の問題として起りうる。
鷺坂さんは、計算機の導入と計算機の運用や運営の原則の確立に熱心に、献
身的に取り組まれた。他方、私はきわめて頑迷固陋であって、入試業務への電
算機の導入の最初の提案が教授会に出されたとき、それに反対した。
教室職員総動員でソロバンパチパチ、検算パチパチはいかにも非能率で、電
算機を使えば簡単至極と見えようが、ソロバンパチパチのときには、入試業務
が大変だということが誰の目にもはっきりみえるが、電算機を導入すれば仕事
は少数者に集中し、その他の人はその少数者の苦労など全然知らずに、電算機
を導入したから入試業務が楽になって良かった、などと太平楽を並べる、とい
う状況が生じるだろう、という私なりの見通しも、私の反対理由の中にはあっ
た。
皮肉なことに、実際に入試業務に電算機が導入されたのは、梶島理学部長の
もとで私が入試委員長をやった昭和57年度入試からであり、また、電算機なし
には入試業務の遂行が不可能である、ということが決定的になったのは、その
5年後、これまた黒田学部長のもとで私が入試委員長をやった昭和62年度入試、
つまり受験機会複数化の年であった。特にこの昭和62年度入試の仕事の中で、
私は鷺坂さんとかなり頻繁に接触したり、相談したりしたが、私の電算機導入
反対の理由の中にあった「少数者への仕事の集中」と「他の人はその事実を知
らずに太平楽」という点では私の予想は完全に的中しており、そのことに関し
ては、鷺坂さんと私は完全に意気投合した。
そのようなことで、私は、"鷺坂さんは「電算機の当事者以外で電算機の仕
事の大変さを理解しているのは、当初電算機導入に反対した勝木だけである;
安直に導入に賛成して、あとは気楽に他人任せにしてしまった賛成者よりよっ
ぽどましだ」と思っているのではあるまいか" などと勝手に思って、そのこと
で何となく再び心が近寄り始めた、というような気になってきた。そんな具合
に感じるようになってから、あまり時間の経たないうちに、こういう形で鷺坂
さんを送り出す、という時期を迎えたことは、いかにも心残りである。余情残
心という言葉で、その気持を表わしたい。
私は、鷺坂さんから、ほとんど誰の目にも触れない所での、縁の下の力持ち
的な仕事に対する誠実な献身、ということを学んだように思う。
*
いま、余情残心という言葉を使ったが、そんなしゃれた言葉を私が知ってい
るはずはないので、実は、それは茶道に造詣の深い辻村先生の言葉である。
辻村さんは信州に来られる前は徳島大学におられた。そこに厚井義隆という
先生がおられて、強磁性の核磁気共鳴という研究分野で、地方大学での物性研
究として大いに気を吐いておられた。真田幸村の真田十勇士という言葉がある
が、厚井三勇士か五勇士か、そんな言葉で当時の厚井グループのことを呼んで
みたいような気がする。
私が信州に来たとき、統計物理学の学科目の教授には、私の名大理学部の学
生時代の先生で物性物理学界の長老、有山兼孝先生が予定されていた。しかし
事情があって、信州にはおいでにならないことになった。物理教室としては、
物性実験の研究室を作るという方針があったから、どなたに教授として来て頂
くか、その候補者探しがとても大変だった。
いろいろな方に適当な候補者の推薦をお願いしたが、広島大学のある長老の
先生からの宮地さんあての候補者推薦のリストの中に、辻村さんのお名前があ
った。厚井グループの活発な研究のことは、当時広く磁性の研究者の間に知ら
れており、厚井三勇士だか五勇士だかの名前もそれに関連して知られていたか
ら、宮地さんからリストを見せられたとき、私は即座に辻村さんがベストだと
いい、宮地さんが徳島に出かけて、ともかく辻村さんをお迎えすることができ、
そのおかげで、信州大学に活発な磁性実験のグループを作ることが出来た。
物理学会創設百年の記念の年の物理学会会長は、磁性実験の分野での指導的
な長老、宮原将平先生であったが、地方大学で頑張っている研究者の登用を意
図されてであろう、辻村さんに物理学会理事に就任するよう要請され、辻村さ
んは1期、物理学会理事をお勤めになった。
辻村さんは、私のような、話の筋道ばかりを重んじたがる者が、得てして陥
りがちなある種の狭さ、ある種の偏狭さに陥ることなく、むしろ広い目配りを
お持ちだった。とりわけ、地域の産業界や技術界をも視野にいれて、それらと
のコンタクトを保ったり、アドバイスしたり、ということにも意を用いられた。
そのことによって、物理教室に、ある種の幅の広さをもたらしたと思う。
辻村さんの幅の広さを、私は学びたいと思っている。
*
今、人生経験豊かで、熟達の士ともいうべき3人の先生を同時にお送りする
ということになってしまったことは、23年前から分かりきっていたことだとは
いえ、いざ実際にそうなってみると、やや、途方に暮れる、の感がなくもない。
3先生在職中に3先生から学んだことを生かしながら、また、あとに残るもの
の個性を十二分に発揮しながら、今後とも生き生きとした、活発で明るい物理
教室を作るように努め、そのことを通じて理学部に貢献したいと思っている。
3先生には、今後とも物理教室と理学部を温かく見守って頂きたい。
3先生の前途の、セカンド・ライフの、さらなる発展を祈願する。
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┃訃┃報 ■ 松崎 一 先生がお亡くなりになりました。
┗━┗━
まことに残念なお知らせです。ご子息のいる埼玉県に引っ越されていた松崎
一先生が2011年2月16日に老衰のためご逝去されました。享年93歳。慎んでご
冥福をお祈り申し上げます。
●松崎 一 先生 1917年・大正6年、更級郡稲荷山町(現更埴市)
に生まれる。旧制松本高等学校から東京帝国大学理学部物理学科
入学。1942年・昭和17年、松本高等学校講師嘱託、同校教授任官。
信州大学文理学部を経て同大学教養部に在籍。1983年・昭和58年
に退官。その間、同大学図書館長、教養部長を歴任。同年、松商
学園短期大学学長就任され、1993年・平成5年に同大学を退職。
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___◆松崎先生の思い出__________________
小林 善哉(理学2S/電子研究室・広島市立美鈴が丘高等学校)
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(~) 恩師・松崎一先生が、2月16日に老衰のためご逝去されたとの
(こ※こ) 連絡を受けました。実に残念なことです。享年93歳とはいえ、私
(_)(_) たちにとっては、もっともっと長く生きていて欲しい先生でした。
松崎先生は、大学での物理を最初に教えてくださった方なので、
私にとっては、特別に思い出深い先生です。ここに、松崎先生の
ご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します。この機会に松崎先生
の思い出を振り返り、先生のご指導を受けた者として同窓生の皆
さまと思い出を分かち合いたいと思い、一文をしたためます。
※
私は、昭和42年(1967年)入学の2Sですから、松崎先生は当
時50歳くらいであったと思います。今の私の年齢からすると、50
歳というと「若い!」と感じますが、当時、新入生の私たちから
見れば、ご年配に映りました。
私たちは、松崎先生に教養部で教養科目としての物理学を教え
ていただきました。教養科目とはいえ、それまでの高校物理と比
べて格段に難しくなっていました。運動方程式も微分方程式を使
って表しますし、いかにも「大学の勉強をしている」という気持
ちになりました。同時に、数学の力が相当ないと付いていけない
と感じ、頂上の見えない高い山の麓に立ったような不安と期待の
入り交じった気持ちでした。
教養部の授業は人文科学、社会科学、自然科学、語学、体育な
どの広範囲の教官の授業を受けました。教官も多種多様で、たと
えば、法学の教官のように、学生が質問すると怒り出すというプ
ライドの高い方もいましたが、松崎先生は、常に学生の質問に対
して真正面からそれを受け止めるという姿勢をもっておられまし
た。
教養部であったため松崎先生の授業には、化学科や地質学科の
学生も出席していました。化学科のある学生が、「ニュートンの
運動の第2法則で、力が0の場合が第1法則になると考えれば、
運動の第1法則は第2法則にまとめられる、と考えてもよいので
はないでしょうか」と質問したことがありました。残念ながら、
松崎先生がどのように答えられたか覚えていませんが、学生の質
問にしっかり耳を傾けられ、納得のいく説明をされたことは確か
です。
また、別の時にも、「君の考え方はまちがっている」とはっき
り指摘されるなど、用語の理解や使い方の間違いもきちっと指摘
されるなど、ポイントを押さえた緻密さの感じられる授業だった
と記憶しています。私も一度は先生が「うーん」と、うなるよう
な質問をして、松崎先生に挑んでみたかったと、今残念に思って
います。
今、私の手元には、ザラ紙に印刷された手書きの「力学問題」
があります。これは、もうすっかり茶色に変色していますが、お
そらく松崎先生の直筆によるものだと思います。この「力学問
題」は、当時使っていた『大学課程物理学精説』(森北出版)に
はさんであったもので、これを見ると、当時教養部で私たちが勉
強していた物理の内容を知ることができ、とても懐かしい思いが
いたします。
また、松崎先生は身近な現象をとおして私たちの理解が深まる
ように心がけておられました。たとえば、角運動量の保存につい
て説明されるとき、フィギュアスケートのスピンを例に出して説
明されたことがありました。その折り、先生自らその仕草をやっ
て見せて、教室を沸かせられたことがありました。そのとき、先
生は笑いを取ろうとしてではなく、無意識のうちに、今ならさし
ずめ「浅田麻央のような」そのポーズをしてしまい、先生も苦笑
しておられました。これも、先生の熱心さから出た、おかしくも
懐かしい思い出です。こんなことを書いていると、そのころの松
崎先生のお顔や表情が自然に浮かんで来ます。
もう一つ松崎先生について思い出されるのは、私たち(2S物
理)が大学に入学して間もなく、松崎先生をお招きして「しづか」
でコンパを開いたときのことです。これは「理学部同窓会報」
(16号)に書いた内容と重複しますが、もう一度取り上げさせてく
ださい。
当時、教養部では第2外国語の選択によって、クラスが分けら
れていました。物理学科でドイツ語を選択した者は皆同じクラス
で、「担任」は松崎先生でした。同時に、私たちは教養部で物理
学を松崎先生に教わりはじめたばかりでした。昨今は、大学当局
が、新入生に対し飲酒を厳しく禁止しているようですし、教官も
学生と酒を飲むのを敬遠するようです。当時、私たちは、全員が
未成年でしたが、新入生ばかりで「しづか」の二階に集まって、
先生と一緒に酒を飲んだのです。
今になって、松崎先生もよく来てくださったものだとつくづく
感心します。これが今の時代・世相ならば、先生も学生も相当の
リスクを覚悟しなければならなかったことでしょう。その「しづ
か」でのコンパで、今でも私の記憶に残っていることがあります。
松崎先生は、「趣味は何ですか」と一人ひとりに訊かれました。
その時、誰かが、「私は小説を書いています」と答えると、松崎
先生は妙に感心され、「昔、そんな生徒がいた」と言われました。
はて、誰のことだろう・・・、と思っていたら、松崎先生は、当
時松高生であった北杜夫を教えられたことやそのときの思い出を
話してくださいました。
そして、「将来この中からもそんな人が出るかも知れないよ」
と言われました。最後に、松崎先生は、我々全員に、「いつでも
研究室に遊びに来てください」と言われました。私は、大学に入
学してこの機を境に、先生との距離が急に近くなった気がしまし
た。それから数日して、物理学科の友人と連れだって松崎先生の
研究室におじゃましました。
このように懐かしい思い出の多い松崎先生にも卒業後お会いす
ることはありませんでした。一昨年、信大創立60周年記念式典に
出席したとき、2S物理の仲間と再び「しづか」に行きました。
そのとき、「この二階に松崎先生や同期生の仲間たちと一緒に集
まったのだなー」と、しみじみと懐かしく見上げました。
※
松高生が書いた手記を集めた『われらの青春ここにありき』を
読むと、松崎先生ご自身が松高出身(17回理甲)であり元松高教
授でもあったという立場で、手記を寄せておられています。その
中に、先生のお人柄をよく表す出来事が載せられていますのでご
紹介いたします。
*________________________ *
彼らが、東京の大学に進んで、いよいよ来年は卒業という、あ
る夏の朝、私(松崎先生)の家の門をたたいて彼のいうのに「ク
ラス会を今日しますから、先生、御出席くださいますか」ときた。
「もちろん、よろこんで。場所はどこ?」と私。「先生のお宅と
言うことにして皆に通知してあります。よろしいでしょう」。万
事この調子。その晩ころげこんだ学生二十数名が、遅くまで隣近
所に「私の家ここにあり」と喧伝してくれたあげく、山に登りた
いと数名は泊まり込んでいった。
* ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ *
このように松崎先生はとても気さくで、何でも受け入れてくだ
さるという方でした。最後に、松崎先生のお人柄をよく表してお
り、私が感銘を受けたエピソードをもう一つご紹介します。これ
は先生がお書きになった「私の半生」に載せられているものを一
部抜粋という形で引用いたしました。
*________________________ *
「兄さん、家内が結核らしいんだ」
弟の困ったような声に、私は居ても立ってもおれず愛媛まで飛
んでいった。会社勤めの弟は一歳半の乳飲み子を抱え途方に暮れ
ていた。
「じゃあ、この子を松本に連れていってやろう」
当時、愛媛から松本まで何遍も列車を乗り継いで28時間余の旅
だった。私はおむつをかかえ、子供を背負って汽車に乗った。途
中、京都付近であまりにも泣くので下車し、おむつを替えると泣
きやんだ。おむつを駅のトイレで洗いながら切なさが胸に込みあ
げた。こんな状態でこれからどうなるかと、私は急に不安になっ
た。が、もう戻れない。実は妻にも連絡せずに連れて帰ったので
ある。家には長男が小学校3年生、次男が幼稚園児という二人の
子供がいた。しかし、妻はこの大きなお土産(?)を見て何も言
わなかった。
「二人育てるのも、三人育てるのも同じですから」
妻のその言葉が何より有り難かった。知らない人たちは、わが
家に第三子が誕生したと思ったらしい。
* ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ *
この出来事からも分かるとおり、松崎先生はとても人間味あふ
れる、思いやりのある方でした。(もちろん奥さんも同じくらい
えらいと思います)今から思えば、私が知っていた先生のお人柄
はそのごく一部分でしかなかったと思います。もっといろいろ先
生に接していたら……と返す返す悔やまれてなりません。
信大退官後、松商学園短大学長に就任された先生は、校歌を制
定される際、先生自ら作詞をお引き受けになり、才能教育の鈴木
鎮一先生が曲をつけられ、とても立派な校歌ができたとお聞きし
ています。
その後、松商学園短大を勇退され、今度は信大で聴講生として
若い学生と共に学ばれたそうです。そして、「今は週に一度、旧
制高校記念会館に遊びに行って、自称案内人(?)をつとめてい
る。」と「私の半生」に書いておられました。
こうして見ると、先生は長野県のご出身であり、松高そして信
大で教鞭を執られ、松本の地で常に学生と共に歩んだご生涯であ
ったと思います。私たちにとっても、信州・松本はこころのふる
さとです。これからも、松崎先生と共に過ごした、青春の思い出
を大切にして生きてゆきたいと思います。
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┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
┃松┃崎┃先┃生┃を┃し┃の┃ぶ┃会┃
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松本高校同窓会、信州大学文理学部同窓会、松本大学、松本東ロ
ータリークラブなどが主体となって、松崎先生をしのぶ会が開か
れます。お誘いあわせのうえご参加ください。
1.日 時 5月15日(日)13:30〜15:30
2.場 所 あがたの森文化会館 講堂(旧制松本高校講堂)
松本市県3丁目1番1号 電話0263-32-1812
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┃卒┃業┃論┃文 ┃修┃士┃論┃文 ┃の ┃テ┃ー┃マ
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◎本年卒業・修了された方々の論文のタイトルを以下にご紹介します。
________________________________
※ 学部卒業生
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井田 慧 :ファインマン則とその御利益
足立 直樹:量子計算
大澤 謙太:Fe_{0.2}Mn_{0.8}Rh_{1-y}Pd_{y}の磁性研究
岡田 賢一:ブラックホール
羽柴 規敏:ゲージ場の量子論
渡邉 謙介:弦の量子化
今井 宗幸:60Niγ遷移のスピン測定
稲吉 真次:チェレンコフ光測定によるTMCの性能向上
小林 秋人:新型MPPCの性能評価
崔 原碩 :電磁カロリメータのシンチレータと光センサの応答特性の研究
桐谷 直嗣:MPPCを用いたシンチレータの一様性の研究
原田 真琴:ハドロンカロリメータ2層の製作と性能評価
北川 宇宙:Geant4を用いたニュートリノ検出器のシミュレーション
玉川 耕介:プラスチックシンチレータを用いた原子炉ニュートリノに関する
基礎研究
飯塚 健, 清水 美貴子:ニュートロンモニターを用いた宇宙線長周期変動の
解析
菊地 拓郎, 小林 真:Nagoyaミューオン計データを用いた南北異方性の解析
柏木 崇哉, 東嶌 進悟:銀河宇宙線異方性の3次元解析と長周期変動
鶴指 眞李, 中野 義丈:小型試験機を用いたメキシコミューオン観測の
性能評価
野上 源太, 嶺井 拓:こまはなぜ倒れないか
安達 洋次郎, 久野 雄一郎, 矢野 雄也:パーコレーションにおけるスケーリ
ング仮説の数値シミュレーションによる検証
朴 相源, 石河:希BCS理論〜微視的超伝導理論〜
猪爪 彰 :光座標変換媒質
下嶋 健嗣:遍歴メタ磁性La(FexGe1-x)13化合物の磁気熱量効果
鈴木 皓司:反強磁性体Ce2Cu3Si5の高圧化電気抵抗測定
西田 翼 :メタアトム装荷光伝導アンテナにおけるテラヘルツ波の変調
小川 秋平:3次元メタマテリアルの透過率・反射率測定
藤本 日向子:ストリップリングリゾネータの透過率測定
皆川 敦史:Q値の異なる共振器を用いた電磁誘起透明化現象
西山 洋平:金属チェッカーボードパターンのテラヘルツ波応答特性
小川 真由:THz時間領域分光法を利用した装置について
荒木 遼平:ATR法によるTHz-TDSの作成
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※ 修士修了生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
小林 玲奈:宇宙論におけるインフレーション模型について
会田 倫崇:AdS/CFT対応の低エネルギー領域物理への応用
川元 集太:トフーフトフラックスを持つ高次元ゲージ理論におけるゼロモ
ードの導出と分類
戸塚 俊介:ILC用細分割電磁カロリメータ試作機のゲインモニタリング
藤原 拓也:Thick-GEMの硬X線画像検出器への応用に向けての研究
田中 健一:ディラック方程式を用いた電磁場‐電子系の微視的応答理論
小出 和樹:磁場下超伝導体の第一原理理論
窪田 志朗:テラヘルツ領域におけるメタマテリアルの電磁応答について
上條 元嗣:金属開口アレイのテラヘルツ応答特性
川田 達 :反強磁性体Ce2T3Ge5(T:Ir,Pd)の高圧下電気抵抗
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┃T┃O┃P┃I┃C┃S┃ ┃卒┃業┃生┃表┃彰┃者┃に┃副┃賞
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◎3月25日(金) に信大松本地区の合同卒業式が、松本市の県松本文化会
館で開かれました。人文、経済、理、医の4学部合わせて829人が卒業。 大学院6研究科で200人が修了しました。
午後からは各科に分かれて卒業証書の授与式が行われ、物理は3階8
番教室に集合。学科長の竹下先生から、出席者全員に証書が授与され、
その後、成績優勝者11名にも表彰状が授与。さらに当会から、今回で2
回めてとなる副賞(あずみ野ガラス工房製の【貝がらフォトスタンド】)
とお祝いのカードが贈呈されました。
なお、在学生の表彰は4月5日に開かれます。
▼卒業生の集合写真などは、次のWEBサイトでご覧ください。
◎WEB版→ ( http://www.supaa.com/pages/osirase.html )
【表彰者】
・卒業生(11人) 石河 希、久野 雄一郎、鈴木 皓司、小川 秋平、
西田 翼、西山 洋平、井田 慧、羽柴 規敏、今井 宗幸、
崔 原碩、原田 真琴
・3年生(3人) 佐藤 彰寿、中尾 健志、森口 真靖
・2年生(2人) 宮沢 渓、山崎 綾紗
・1年生(5人) 大里 洋輝、中島 寛人、福永 岳、堀 智裕、三木 瑛奈
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□■□□■□ ┃卒┃業┃生┃か┃ら┃の┃声(メッセージ) □■□
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本年ご卒業の皆さん、おめでとうございます。深刻な就職難のなか、
また、このたびの震災による困難のなかに船出されます。物理学科で
学んだことを糧に、乗り切っていただきたいと思います。同窓会とし
ても、どのような互助活動ができるか、真剣に考えていかなければな
らないでしょう。さて、卒業生のおひとりに心境を綴っていただいた。
* * * * * * * * * * * * * * /@) ⊃\/|
■ 大学生活を振り返って > ⊃⊃/\|
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井田 慧(信州大学理学部物理科学科 素粒子論研究室4年)
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大学で何をするのかという質問はよくあります。私は、ここは大“学”であ
り、私たちは“学”生なのですから、何かを学ぶと答えます。勉学に励むこと
が学生の本分なのですから、大学は勉学に励む場と言えるでしょう。しかし、
大学を卒業するための条件は必要な単位をすべて取得することであり、取得し
た単位ごとの成績は関係ありません。成績の良し悪しで勉学に使う時間を人そ
れぞれ調節できるということになります。卒業に十分な勉強をして、余った時
間を何に使うかは人の自由です。私は余った時間を勉強に使いました。
学ぶべき内容はたくさんありました。力学、電磁気学、熱・統計力学、量子
力学、物理数学、相対論などです。これらの内容を学ぶ方法もいくつかありま
す。授業で学ぶのは当然ですし、ほかに自主ゼミという方法があります。
私は入学当初から自主ゼミに参加し、特に仲間と議論ができたことはとても
良い経験でした。1人では解決しないことも数人で議論することで解決するこ
とはよくありましたし、自分の中の理解も整理されたので、今でも議論するこ
とは大切にしています。
私が最も重視してきた勉強方法は、勉強したい内容があればその内容が書か
れている教科書を探して自分で読み進めることです。“読む”というのは、そ
の本に書かれている式を追い、書いてある文章を理解するという意味です。こ
の勉強方法で学んだ内容は、主に量子力学、相対論、熱・統計力学ですが、や
はり自分で本を読んで勉強した内容はそうでない内容に比べて現在でもよく頭
に残っています。
よく言われることですが、教えられる内容だけで満足する受動的な学習では
なく、学びたいことは自分から学ぶ能動的な学習を心がけなければ、得られる
ものはありません。そして何か成果を得るには努力しなければなりません。
また、1年の頃には無かった、自分に合った勉強計画をたててそれを実行す
るにはどうすれば良いか、というノウハウの様なものも大学生活の中で見つけ
ることができたのではないかと思っています。
以上のように、説教くさいことをたくさん述べ、偉そうなことも色々書きま
した。これらのことが私自身できているとは思いません。まだまだ不十分な内
容もあり、あの時こうしていれば今の自分はもっと進んだところにいると思う
こともあります。しかし、これらの教訓を知ることができた大学生活だったと
考えれば、悪くはない大学生活だったと思います。今後は、大学で広い意味で
学んだことを生かして、一歩一歩自分の目標に近づいていきたいです。
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■ フリーランス特許翻訳者の日常 ■
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杉山 範雄(理学12S /統計研究室 東京都荒川区在住)
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/⌒ヽ彡 私は現在、フリーランスの特許翻訳者として生計を立てて
<)∂ ゝ います。ここでは、あまり知られていないフリー翻訳者の日
⌒ヽ‐/⌒フ 常、特許翻訳という仕事、そして最近出版しました著書につ
⌒( ミ彡 いてご紹介したいと思います。
_」」
最初に略歴を紹介します。信州大学時代は、4年時に統計
研究室に所属し、辻村教授の下でNMR関係の卒業研究をしていました。信州
大学を卒業後、名古屋大学で博士学位を取得し、その後、国内・外資系メーカ
ーを経て特許事務所に勤務し、2002年からフリーランスの特許翻訳者になりま
した。今から考えると、英語が好きだった気持ちが高じてこの仕事に就いたの
だと思います。
現在は、東京都荒川区に住んでいます。水泳の金メダリストの北島康介君の
実家(お肉屋さん)のそばです。マンションの一室を仕事場にし、毎日パソコ
ンの前でモニタを見つめる生活をしています。家族の顔よりモニタを眺める時
間の方が長いかも知れません。運動不足になりがちですが、毎朝、仕事前にス
トレッチをして体をほぐすようにしています。
特許翻訳とは、特許を出願するときに出す特許明細書という書類を、日本語
⇔英語間で翻訳する仕事です。必要なスキルとして、英語力の他に、何れかの
技術分野の専門知識、特許法の知識が求められます。特許翻訳には、理科系・
文科系の両方の素養が必要だと思います。物理学という分野は、電気・電子・
通信・光学・材料など多方面の技術を広く浅くカバーできるので、特許翻訳な
どの技術翻訳に向いています。
翻訳の仕事を頂いているクライアントは主に、翻訳会社、特許事務所、企業
の知財部です。
クライアントとのやり取りは電子メールで行ない、原稿や翻訳文の受け渡し
もそうです。インターネットの恩恵を大きく受けています。ネットがつながる
場所であれば、東京でなくても、どこにいても仕事はできます。実際、翻訳者
仲間には、東北地方に住みながら東京の翻訳会社から仕事を受けている人がい
ます。ただし、セミナーなどへの参加、翻訳者との情報交換等を考えると、東
京近辺にいることが便利です。
収入は、同年代サラリーマンの平均年収を大幅に上回る年もあったのですが、
リーマン・ショック以後大きく減りました。翻訳業界全体が同じ傾向です。
フリー翻訳者が収入を上げる方法は2つしかありません。翻訳レートを上げ
るか、翻訳スピードを上げるかです。
前者は、クライアントを上流側に移していく、たとえば翻訳会社→特許事務
所→企業知財部と上げていけば可能です。そのためには翻訳品質を高めなけれ
ばなりません。経験を積む必要があります。
後者は、パソコンを使って翻訳効率を上げる方法が一番効果的です。パソコ
ンを活用すればケアレスミスも減るため翻訳品質も向上します。市販の翻訳ソ
フトでは何十万円もするものもありますが、もっと手軽にパソコンを活用でき
る方法があります。
この度、本を出版しました。翻訳にパソコンを活用する方法を中心とした内
容です。
■書名:『あの手・この手の特許翻訳−誰でも使えるパソコン活用術入門』
■内容:特許翻訳をはじめとするフリー翻訳者のためのノウハウ本です。特に
パソコンの活用術、中でも「秀丸エディタ」の活用法、とりわけマク
ロ・ツール翻訳についてまとめました。
■版元:株式会社エイバックズーム
■本体価格:2800円
(アマゾン)http://www.amazon.co.jp/dp/4901298100/ref=sr_1_1?ie=UTF8&q
id=1296717818&sr=8-1
(出版社HP)http://www.zoomin.co.jp/patbank/books/anotekonote-trans.html
(元ブログ)http://www.zoomin.co.jp/patbank/rensai/sugiyama.html
一度、お手に取っていただければ幸いです。
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┃大┃塚┃直┃彦┃の┃ウ┃ィ┃ー┃ン┃便┃り ┃第┃7┃回
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◎大晦日から新年へ
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大塚 直彦(理学24S/国際原子力機関・IAEA勤務)
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路面電車に乗るとオーストリアの祝日でもないにも関わらず人が少ない。国
連のゲートをくぐって噴水の前に出ても、やはり人がまばらにしかいない。23
階のオフィスに着き、同じ階の邦人職員2人に年末年始の挨拶に行くがいずれ
も不在。年末年始を日本で過ごす邦人職員が案外に多いのは最近気づいたこと
である。
でも、私はウィーンの年末年始の雰囲気が好きで、この時期に帰国したいと
は思わない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ Happy New Year! と声をかけて徐々に帰宅
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
o 10時に秘書のA氏から朝のコーヒーの用意ができたという
⊂二二⊃ いつものメールが来る。A氏は1ヶ月ほどのビルマ旅行休暇
⊂| |⊃ が明けて、年末は通常出勤のようである。正午前に部長の秘
|___| 書のT女史から部長の部屋に集合するように一斉メール。行
()()()()() くとワインや乾物が並べられ、部長が一人一人にワインを注
いで労をねぎらう。
その後、早じまいするカフェテリアに急ぎ、豆と肉に揚げ芋を添えたものを
食べる。食事後、久々にコミッサリ(購買部)に行きお正月らしい食料品を探
す。日本の食材も全くないわけではないが、豆腐のような基本的なものはない。
職員みな昼過ぎにはHappy New Year! と声をかけて徐々に帰宅していく。こ
ういう時も私と隣室のZ氏はいつものように居残って仕事である。正午過ぎに
既に休暇に入ったはずの上司のS氏がやってくる。氏の奥さんに加えてHeidel
bergからの息子さんそのガールフレンドも一緒。今日は息子さんたちに職場を
見せに来たらしいが、霧が濃いために部屋の窓からの眺めが余り良くないのが
気の毒である。
我が家の冷蔵庫に余り食材がないことを思い出してスーパーの営業時間を調
べる。2大スーパーのSPAR,Billaいずれも大晦日は15時(ザルクブルクは14時)
閉店とある。それで慌ててZ氏にHappy New Year! の声をかけ、14時30分ころ
職場を出る。閉店前になると屈強な警備員が立って絶対中に入れないPraters
tern駅のBilla。幸い時間にも余裕があって今日は難なく店内に入る。
正月の買いだめで品薄になっているかと心配したがそうでもなさそうだ。お
雑煮の材料にと人参や大根、それに高くて普段買わない椎茸も買う。お餅は、
以前に東海村からK君が提げて来てくれた切り餅がまだある。普通に日本のス
ーパーで売っている切り餅だが、1年以上経っても全く劣化しない。一つずつ
個装されているせいだろうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 自宅の窓から花火を眺める楽しみ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
夕方はシュテファン寺院の年末のミサの中継をラジオで聴く。バッハのクリ
スマスオラトリオの序曲や様々な部分が抜粋された華やかな音楽ミサだ。大晦
日とはいえ、まだ降誕節の最中だから賛美歌もお馴染みのクリスマスのものが
多い。
夕食はお雑煮と同じ材料を煮込んで、年越しそばならぬ年越しうどんとする。
これにゴボウが入れば茨城名物のけんちんうどんであるがゴボウは手に入らな
い。
食後、仕事をしつつラジオを聴いていると、シュトラウスのワルツが混じっ
たようなオペラが耳に入ってくる。何の曲か調べたら、これがあの有名なシュ
トラウスのオペレッタ「こうもり」らしい。言葉が分からないが、音楽と軽妙
なやりとりが楽しく、皆が大晦日に聴きたがるのも分かる。
まだ12時前というのに気の早い人たちがもう花火を揚げ始めている。日本で
は考えられないような大型の打ち上げ花火を個人が打ち上げるのために、ひど
い場合だと指を失うようなけが人が後を絶たないらしい、と今朝のコーヒーの
時間に聞いた。
けが人は出て欲しくはないけれども、この調子だと例年通り花火があがりそ
うで楽しみである。そのうち日付が変わり、期待通り自宅周囲至るところから
1時間ほど延々と花火が揚がる。これを自宅の窓から眺める楽しみを考えれば、
日本に帰国しての新年というのは考えがたい。
●『OB/OG』第6回→( http://www.supaa.com/kikou/otsuka01.html )
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<再掲>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
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1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。
2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
関連事務局員に伝達する。
4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。
5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
して、 卒業生からの会費徴収に勤める。
6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
告し清算する。
7.会計年度を4月から翌年3月とする。 ┳ξ
会計はすみやかに決算報告を作成 ●●●
して会計監査担当から監査を受ける。 ●●
●
8.本細則の改正は総会で行う。
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▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
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◆郵便局の場合/通常郵便貯金
記号:11150 番号:20343411
口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
住所:390-8621 松本市旭3-1-1
◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
店番号:421 普通預金 口座番号:650215
口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
住所:390-8621 松本市旭3-1-1
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄
●・・故松崎先生の松高・信大・松本大学に残された功績は、
/\ ☆ あまりにも大きい。北杜夫『どくとるマンボウ青春記』では人
│○│ 情味のある教師として登場されますが、今号、小林くんの追悼
│ │ 文にも随所に先生の人柄の良さを散見することができます。学
/| |\ 生といつも共にあった松崎先生、やすらかにお休みください。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ●・・ことしの卒業生のなかには、就職できなかった方が複数
|||| いるとお聞きします。全国的に大卒の就職内定率が6〜7割と
いわれるなかで、信大物理はよく健闘したとも言えます(就職
については次号で報告)が、同窓会としてもなにか手助けできないか。たとえ
ば、東京の私学では当たり前になっている、志望先企業の先輩との就活面談、
といったものが考えられます。これは、理学部全体で取り組む課題かもしれま
せん。名簿の整備も必要です。就職セミナーと同時にこの線の追求が急務かも。
●・・東京電力の福島原発による被害が深刻化しています。想定外の津波が襲
ったとはいえ、あまりにもメンテナンスがずさんでした。非常時、送排水ポン
プの電源となるディーゼル発電機が動かなかったことが引金でしたが、なぜ、
もうひとつ自前の小さな発電装置を用意していなかったのか、大前研一氏が指
摘するところです。これで、日本の原子力産業は終わるかもしれません。OB
の中にも原子力発電にたずさわる人たちがいるだけに、残念です。 (MT)
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○・・去る3月11日に発生した東北関東巨大地震は第2次大戦以来最大の自然
災害となった。併せて福島原子力発電炉4基の損傷は放射線が漏れる大事故。
原子炉の破壊は深刻。核分裂は収まったのか、ひじょうに危険な状態にあるの
ではないか、状況報道がされるだけで、眞の情報が伝わらず隔靴掻痒はがゆい。
〇・・タイミング良く武田理学部長から川村教授の「福島原発の放射能を理解
する」解説を転送して頂き、その仕組みがよく解り非常に役に立った。物理専
攻した者として、事ある毎にこれを利用させて頂き啓蒙活動したい思います。
〇・・この大災害とその対処方法を世界が見守っているが、時間はどんどん過
ぎ、災害救助から非難場所探し、電力不足対策へと問題は拡大している。これ
からが正念場となる。どうなるのか、どうするのか考えると恐ろしい。(MM)
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■ MAILMAGAZINE BULLETIN 『信大物理同窓会報』0033号(2011年春号) ■
□ 201年3月30日 編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10)藤惇(2S)太平博久
□編集長:藤 惇 □ 発行人:根建 恭典
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