[ 信大物理同窓会報0046号(2013-2014年冬号) ]
2013年12月28日配信



・。・゜☆・゜・。・☆  ・。・゜☆・゜・。・☆  ・。・☆・゜・。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
≪≪≪≪≪≪  ●メルマガ会報0046号 2013年12月28日配信● ≪≪≪≪≪≪≪
          ┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓
          ┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃
    ┌─┐┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛
┌─┘○└─┐     _________________________
│田田田田田|    │ ★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2013-2014年冬号 │ 
│田田田田田|      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田|             (http://www.supaa.com/)
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(当メルマガは《表示》→《文字のサイズ》→《等幅》でご覧ください)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ○-- 毎年、交付金の1%削減によって信大を巡る状 --○
  ○-- 況は厳しく、財務担当副学長の武田先生はたい --○
  ○-- へん苦労されています。理学部も数年後には、 --○
  ○-- 数学科と理科の2学科制にせざるをえないとい --○
  ○-- う。一方、卒業生を統括しようと本部が「校友 --○
  ○-- 会」を立ちあげようとしています。が、前号で --○       ● 
 ○-- 各学部同窓会が拠出金を出すと決まったと伝え --○     _(__)_ 
 ○-- ましたが、一転、大学予算から資金を…と迷走 --○   _(______)_   
 ○-- (?)の様子。そんななか、卒業・就職を控えた  --○  ( ________ )  
 ○-- 学生院生たちは、自らの将来を真剣に考える時 --○  [_____◇◆___] 
 ○-- 期を迎えました。当会OBによる4回目の就職 --○    | ◆  ◇ | 
 ○-- 支援セミナーを開催。講師各氏からは感銘深い --○  |◇/\◆|     
 ○-- お話が……。今号の特集としてお伝えします。 --○     
 ○-- 新年が実り多き年であらんことを願います。  --○

      【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 「太陽の影」の観測に成功、そしてこれからの課題・・・・・・宗像 一起
◇ 三年日記(「松本平タウン情報」より転載)・・・・・・・・・宮地 良彦
◇ ┃第17回信州大学物理会総会のご案内┃・・・・・・・ 物理同窓会事務局
◇ ┃第17回総会 記念講演に三上浩佳 氏┃・・・・・・  物理同窓会事務局
  ┌─┐┌─┐ ______________________________
◇ │特││集││就職支援セミナー│・│その1│
  ◆◇ 学生と卒業生の交流講座「物理学生への就職セミナー」第4回開催
   ■□ 講師ごとの懇談(個別相談)会も白熱!・・・・・三澤 進/藤 惇
  ■□@ 仕事を楽しめ! =第4回セミナー講演記録=・・・・・好広 修三 
  ■□A 講演後の懇談(個別相談)会での質疑応答・・小財 正義 三澤 進
  ■□B 就職とは「職に就く」こと ・・・・・・・・・・・・・・澤田 裕
  ■□C 就職支援についての雑感・・・・・・・・・・・・・・ 加藤 千尋

◇ 研究を続ける =第4回= ・・・・・・・・・・・・・・・・・武田 三男
◇〔 リレーコラム・第6回 〕雪の研究(前編)・・・・・・・・ 佐藤 篤司
◇ [TOPICS] サイエンスポッド信州2013「ヒッグス粒子とその発見」
◇ ┃信州大学東京同窓会から総会のお知らせ┃・ 信州大学東京同窓会事務局
◇ ▼△ウィーン便り(16)△▼ 財布をなくす ・・・・・・・・・大塚 直彦
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記

======================================================================
       ■ 「太陽の影」の観測に成功、そしてこれからの課題 ■
----------------------------------------------------------------------
      宗像 一起(信州大学理学部物理科学科宇宙線研究室教授)
----------------------------------------------------------------------
【 前号(45号)で「Physical Review Letters誌に宇宙線研究の成果を発表」
と題して信大HPから転載してお伝えしましたが、宗像先生にこのチベット高原
での日中共同実験に関する内容について、直接、書いていただきました。】
---------------------------------------------------------------------   

  ▼▲ 「太陽の影」の深さは11年周期で50%も変動している ▼▲

 チベット空気シャワー実験(Tibet AS-gamma実験、以下「チベット実験」)
は、日中共同研究として標高4,300mの中国チベット高原で行われています。日
本側代表機関である東京大学宇宙線研究所の主導のもと、信州大学を始めとす
る日本各地の大学の研究者が参加しています。

 チベット実験は、高エネルギー宇宙線の「太陽の影」の観測に成功しました。
エネルギーの高い宇宙線は、太陽−地球間をほぼ直進します。太陽の背後から
地球に飛来する宇宙線は太陽に遮蔽されるため、地球では太陽方向から飛来す
る宇宙線が減少して観測されます。これが「太陽の影」です。

 こう書くと「太陽の影」が観測できて何が面白いかと思われるかも知れませ
んが、「太陽の影」の観測によって太陽磁場の大規模構造を知る手掛かりが得
られる点に意義があります。ご存じのように、月と太陽は地球から見た視直径
がほぼ同じ(約0.5度)で、チベット実験は「月の影」の観測
にも成功していますが、磁場を持たない月の「影」の様子が毎      ☆ ☆
年変わらず一定であるのに対して、「太陽の影」の深さが11年   /☆/
周期で50%も変動していることが判りました。すなわち、「太  ///☆
陽の影」が太陽活動極小期に「深く」なり、極大期に「浅く」   ///
なっていることが判ったのです。              ///
             
  ▼▲ 太陽圏内空間の磁場構造は未だ良く判っていないが… ▼▲

 太陽は磁場を持つ標準的な恒星で、その磁力線は太陽風(プラズマ流)によ
って周囲の空間に引き出されています。この太陽磁場は、太陽を中心とする半
径が数百天文単位の領域を満たしており、銀河系内で太陽圏(Heliosphere)と
呼ばれる太陽の勢力圏を形成しています。

 NASAが1970年代半ばに打ち上げたVoyager1衛星が、約40年を経て最近ようや
く太陽圏境界を越え、銀河系空間へと抜け出たらしいことは、ニュース等でご
存じの方も多いかと思います。ところで、太陽表面の太陽磁場はゼーマン効果
を用いて詳しく光学観測されていますが、太陽圏内空間の磁場構造は未だ良く
判っていません。

 宇宙空間の磁場分布を光学観測で正確に知ることは出来ないので、唯一の方
法は衛星等による直接測定(その場観測)ですが、太陽圏内磁場の大規模な空
間分布を観測することは、現在でもほとんど不可能です。太陽の周りを公転し
ている地球の軌道付近(黄道面内)の太陽磁場は、衛星観測で比較的詳しく調
べられていますが、太陽の高緯度帯の磁場はほとんど測定されていません。現
在でも、太陽磁場の大規模構造を知るには、光学観測された太陽表面磁場を宇
宙空間に引き出す様々なモデルに頼らざるを得ない状態です。

 1990年代に入り、衛星を木星重力による「スィングバイで」黄道面に垂直な
軌道に乗せ、太陽磁場を太陽圏の子午面に沿って「その場観測」した結果が報
告されました。Ulyssesの名で知られるこの衛星は、太陽の南北両極上を数年
の周期で「公転」します。その観測結果によると、高緯度帯の太陽磁場が、そ
れまで考えられていたモデル(ここでは仮にモデル1とします)では説明でき
ないことが判りました。

 特に太陽風が太陽極域から引き出した磁場が、予想を越えて低緯度帯にまで
広がっていることが明らかとなり、この様子を再現できる新たなモデル(モデ
ル2)が提唱されています。

 太陽極域磁場は太陽活動極小期に強くなり、極大期に弱くなるので、最初に
述べた宇宙線の「太陽の影」は、太陽極域磁場の影響を受けていることが想像
されます。我々は、地球から太陽に向けて打ち出された負電荷の高エネルギー
「反宇宙線」が、地球と太陽表面の間のモデル磁場中を運動する様子をシミュ
レーションし、観測された「太陽の影」が再現できるかを調べました。

 その結果、モデル2を仮定した場合にのみ、観測された「太陽の影」の様子
を上手く再現できることを定量的に示しました。これは、高エネルギー宇宙線
観測による太陽磁場モデルの検定が可能であることを、世界で初めて示した結
果です。

  ▼▲ 角度分解能を向上させ、太陽圏内磁場構造をより明らかに ▼▲

 理学部物理科学科の宇宙線研究室は、「宇宙線強度の非等方性」の観測を長
年にわたって世界的に展開して来ました。ここで述べた「太陽の影」の研究も、
こうした研究活動の一環として行われたもので、鷺坂修二先生、森 覚先生、
安江新一先生等、研究室の諸先輩によるこれまでの研究成果の積み重ねの上に
成り立っています。

 残念ながら、現在のチベット実験は、宇宙線入射方向の判定誤差(角度分解
能)が0.9度と大きく、太陽視直径(約0.5度)を上回っているため、「太陽の
影」のより詳しい様子を調べるには至っていません。例えば、我々のシミュレ
ーションは、「太陽の影」が太陽活動極小期に南北方向に細長く引き伸ばされ、
11年ごとに反転する太陽双極子磁場の極性に応じて、影の中心が東西にずれる
ことも示していますが、こうした興味深い現象を現在のチベット実験で調べる
ことは未だ出来ていません。

 将来、角度分解能を10倍(0.1度)程度にまで向上させれば、太陽圏内磁場
構造をより詳細に明らかにすることが可能です。最近の日中関係の悪化など、
チベット実験をとりまく社会情勢等は必ずしも予断を許しませんが、様々な困
難を克服して、今後も信州大学宇宙線研究室の名に恥じぬ研究成果をあげるべ
く、努力を重ねるつもりです。
      
======================================================================
    ■ 三年日記 ■    (「松本平タウン情報」2013年12/7より転載)
----------------------------------------------------------------------
            宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問) 
--------------------------------------------------------------------- 
  (・>   【 宮地先生が地元紙「松本平タウン情報」一面の連載コラム『展
  /彡))   望台』に寄稿された記事のひとつを全文ご紹介します。88歳の先
 / /     生はとても記憶力が良く、古い出来事を詳細に覚えておられるこ
 /"?k_     とはもちろん、最近のニュースなどについても克明に記憶されて
      おられます。今回はその秘密の一端が明らかに……。 】
     ---------------------------------------------------------

 今使っている三年日記が最終の月に入った。

 若いころは日記をつける習慣を持っていなかった。それが40歳代に1年間外
国出張したとき、余った時間に異国での生活状況をノートに書きつける習慣が
できた。帰国してからは元の木阿弥に戻ったが、その後長と名のつく雑用をや
らされるようになって、その日その日の仕事の経過を大学ノートに覚書風に記
録するとともに、要点を三年日記にメモする習慣が出来上がった。

 大学ノートのほうは責任のある仕事から遠ざかるにつれて尻切れトンボにな
ったが、三年日記のほうはところどころに空白を残しながらも続いて、来年ば
14冊目に入ることになる。

 A5判1ページに同じ日の記録が3年分並んでいる形式のこの日記は、私のよ
うな筆無精にとっては、広過ぎもせず、かといって足りないこともない手ごろ
なスペースである。

 筆を執りながらページを遡って見ると、昨年あるいは一昨年のこの時期には
こんなことをしていたのかと、思いがけない記録を見い出すこともしばしばで
ある。

 たとえば毎年4月にデパートで開かれる京都物産展に今年も暇に任せて出か
けて購入したのは、下鴨茶寮の特製弁当、かわみち屋の蕎麦ぼうろと京名物の
千枚漬。ところが、昨年もー昨年も同時期の物産展でまったく同じ3種類を購
入したと書かれているではないか。

 年々歳々花ば変わらないのに、人間は歳とともに老いてゆくばかりである。

……………………………………………………………………………………………
  ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
 ┃第┃17┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃の┃ご┃案┃内┃
 ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
 次回2014年の信州大学物理会総会は、東京での開催になります。その概要が
固まりましたのでご案内します。毎回、年次報告、記念講演会と懇親会を行い
ますが、講演会では、三上浩佳 群馬県立医療短期大学名誉教授(文理10回)
にお話いただくことになりました。幹事と開催日程は以下のとおりです。

  ■開催日: 2014年5月24日 (土) 14:00 〜17:00
   <※13:45から受付開始 総会:14:00〜14:30、講演会:14:30〜15:
    30、懇親会15:30〜17:00の予定 >
  ■会場:大手町サンケイプラザ(東京駅から徒歩8分、東京都千代田区
      大手町1-7-2、TEL 03-3273-2258〜9)
               http://www.s-plaza.com/access/index.html
  ■講演会講師:三上浩佳 氏( 文理10回 :群馬県桐生市在住 )
  ■会費:10,000円  30歳以下の方は7,000円
  ■二次会として、宮地先生の卆寿のお祝いを実施する予定です(会費別途)
  ▼講演会のご案内
  ◎講師:三上浩佳 群馬県立医療短期大学 名誉教授(文理10回 : 群馬県
   桐生市在住) 研究分野:原子核・素粒子理論(ハドロン領域) 特に、
   中間子及び核子の散乱構造に関する研究
  ◎記念講演演題:「解ったことと分からなかったこと−研究ノートから」

  ◆記念講演講師 三上浩佳 氏 からのメッセージ(再掲載)
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ものごとを理解するしかたや深さは人それぞれ違いがあります。「頭が
  良い」と言われる人はそれなりに、そうでない人もそれなりに理解したり
  分からなかったりします。よく、あの人は「頭がいい」という言葉が使わ
  れますが、これはどういうことなのか考えてみたいと思います。頭の良さ
  は研究者にとって重要な要素なのでしょうが、それが全てかというとそう
  も思えません。研究過程で「解かったこと」といまだに「分からないこと」
  を思い返しながら、「分かる」ということについて感じていたことをお話
  しようと思います。
           =第17回信州大学物理会総会 幹事= 
           ●太平博久(6S) ●近藤一郎 (12S) ●武原一記(22S) 

┌─┐┌─┐ -----------------------------------------------
│特││集││就│職│支│援│セ│ミ│ナ│ー│・│そ│の│1
└─┘└─┘└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─
======================================================================
 □■  卒業生との交流講座「第4回物理学生への就職支援セミナー」  ■□
 □■  講師ごとにグループ分けした懇談(個別相談)会も白熱!    ■□
----------------------------------------------------------------------
  *    *  ※ 。      今年の「就職支援セミナー」は12月10日午後1時
*:.   .:   *.  *:  半より、理学部A棟1階多目的ホールで行われまし
 *  ※:  Д    ※     た。主な受講対象者は物理学専攻の学部3年生と修
:*   \ (∵) /    *  士1年生で、ことしの受講者は少々寂しくて15名ほ
 *   (    )   *   どでしたが、講演の内容はたいへん深く、参加した
            学生、院生の皆さんには参考になったようです。
 講師を引き受けてくださったOBの方々3名と演題は以下の通りです。いつ
ものように、若手、実業界、教育関係者の立場から自らの体験を中心に発言さ
れました。司会は就職委員の加藤千尋先生が担当しました。

 # 講 師:小財 正義 氏(06S/宇宙線 元カネテック株式会社社員)
   演  題:『就職について』 
  # 講 師:渡辺 規夫 氏(4S/素粒子論 元上田東高校教頭)
     演  題:『教職をめざすみなさんへ』 
  # 講 師:好広 修三 氏(3S/物性論 元日立ハイテクフィールディング
             海外営業部部長)
     演  題:『仕事を楽しめ!』 
---------------------------------------------------------------------- 
 今号の特集にちなんで、企業の人事担当として長年にわたって実際に採用側
から学生をみてこられた、澤田裕氏(理学2S)にも寄稿いただきました。加
藤先生からも一文が寄せられました。併せてお読みください。

 各講師には一人30分ていどのお話をしていただきましたが、講演の中身につ
いては、今号と次号の2回に分けて再録いたします。今号では好広修三さんの
『仕事を楽しめ!』の講演記録(抜粋・下記)をご覧ください。

---------------------------------------------------------------------- 
 │特││集│@ ■ 仕事を楽しめ! ■
                 =第4回物理学生への就職支援セミナー講演記録から=
----------------------------------------------------------------------
 好広 修三(3S/物性論研究室 元日立ハイテクフィールディング海外営業部
       部長 東京都狛江市在住)
----------------------------------------------------------------------
  ∧m∧     【 今回、講師をつとめていただいた三氏の講演記録を2号に、
  /・・ Σ  分けて載録させていただきます。まずは、好広修三さんの講
 /  ) Σ  演から。学生時代には思誠寮の寮長を務め、1972年に卒業。
(∞)´ \   日製産業(後に「日立ハイテクノロジーズ」に社名変更)に入
       社し、科学機器・医用機器のセールスエンジニアとして、欧米
       各地に駐在するなど、活躍されてきました。趣味は登山。】
       --------------------------------------------------------

 本当に久しぶりに来ました。十年くらい前にちょこっと近くには来たんです
けれど、この理学部のキャンパスの中に入るのは卒業以来です。周りにいっぱ
い建物が立っているのでびっくりしました。我々の時には何もありませんでし
た。

 さて、「仕事を楽しめ!」ということでお話をさせていただきます。やはり
経験談をお話して、こういう生き様もいいなあ、こういう生き方もあるんだな
ーということで、以下1から5の順番で話を進めていきます。 [※スクリーン
に写し出す]    
          1 イントロ  2 営業マンの経験談  3 得られた教訓
          4 皆さんへの提言  5 終わりに  

 11月に、日本百名山のうち71山目の那須岳に登ってきました。63歳まで40年
間にわたる仕事をやめて1年半、私の趣味の登山をしつつ、現在に至ってます。
只今、登山家であり、随筆家の深田久弥の「日本百名山」を征服しようと言う
事でやっております。今年は31山に登りました。これは結構頑張りましたね。
冬場とか冬山とかは避けてますので、春夏秋と殆ど毎週登って、今まで全部で
71山。あと来年は29山。百山達成ということで信大時代からの夢を実現したい
と思っています。まあこういう形で「仕事を楽しめ!」と40年間仕事を頑張っ
てきたために今遊べるんじゃないかなと思っています。


 │■ 国内営業の極意を体得(5年)
 └─────────────────
 それではその40年間の営業マンの体験談ということで。1番目、日立ハイテ
ク理化学機器、ここから入っていきます。取り扱い品目ご存知かどうか分かり
ませんけど、電子顕微鏡(透過型、走査型)、質量分析計、核磁気共鳴装置、
それからいろいろ各種実験に使われております分光光度計ですね。これらの製
品を農水省、経産省、環境庁の研究機関に、セールスエンジニアとして営業ス
タートしました。

 営業ですから、上司からは受注の可能性が1%でもあれば諦めるなという事
で鍛えられました。まあ皆さんは多分これからやらないと思いますけれどね、
我々の時代は「夜討ち朝駆け」と申しまして、夜自宅へ押しかけて何とかなら
ないですかというお話をしたり、朝、予めその研究者の通勤経路を確認してお
いて、パッと現れて「偶然お会いしましたね」と話しかけ「実は何とかならな
いですかね」と話をして顔つなぎをして受注につなげたこともあります。

 まあ殆どの場合、その時の受注にはつなげられなくても、次の受注には結び
つけたということもありました。まあ日立の営業の極意ということで随分勉強
をさせてもらいました。


 │■ 海外と付き合いたい気持ちが強く…ドイツ駐在を志願する(5年)
 └────────────────────────────────
 ぜひ海外で仕事をしたい、海外に行きたいと積極的に手を挙げて、ドイツ駐
在5年を勝ち取りました。
 
 初めの頃はアテンド(世話係)業中心、ドルトムントにあるSpectroscopy 
Research Labに、日立のドクターの面々をお連れし通訳業務のようなこともし
ました。研究者同士の議論の中身は分からなくても会議の進行係にはなれまし
た。

 とにかく営業では人と人との繋がりが大切なため殆んどの日本からの出張者
は、わが家に来てもらいゆっくりとしていただきました。現理学部長の武田三
男さんも出張に来られまして、まあ、ドイツの学会か何かだと思いますけれど、
我が家に来てもらっていろいろお話したことを覚えています。こういう人との
繋がりというのはいろんな情報が得られます。これから先のビジネスに大いに
役立ちました。

 INTERKAMA展示会が3年に1回、デュッセルドルフで開かれるんです。今で
も開かれています。[スライドを写しながら]そこに日製産業というのがありま
すね。こうしてSHUZO YOSHIHIRO という人が説明しているわけです。私はその
当時分光光度計を取り扱い、研究所に行ってデモをする或いは顧客サンプルを
測定する「Dr.日立」と言われていました。研究者の方々のご相談に応じて、
いろいろお話しをさせていただきました。

 私の駐在後半はこのROCHEとのビジネスが中心に成って来ます。みなさん
ROCHEという会社をご存知だと思いますが、スイスの製薬/試薬メーカーです。
ここに対して、日立製の血液自動分析装置の売込みが成功しまして、その活動
が中心になっていきます。

 今では日立・ROCHEで全世界シェアのナンバーワンです。皆さんは日立の強
い製品何かご存知ですか。残念ながらあまりありません。でもこれはナンバー
ワンです。数少ないヒット商品を産み出しました。そのビジネスのスタートの
仕事が出来たのは営業冥利に尽きます。今ではこの自動分析装置の販売だけで
年間売上高1千億円の商売になっています。

 まあこの頃、貿易、国際契約、国際取引、技術情報、語学なんでもこなすオ
ールマイティへの道を進んでいくことになります。


 │■ 日立のハード(分析装置)とROCHEのソフト(試薬):新製品の開発(5年)
 └─────────────────────────────────
 ドイツから日本に帰ってきて血液自動分析装置ビジネスにどっぷりつかりま
した。この日立血液自動分析装置、いまも少し言いましたけれどもエンドユー
ザーは全世界の病院(ベッド数で300床以上)と検査センター。小さい病院は、
自分のところで測定せず、検査センターにサンプルを持ち込みます。

 それから、最近どんどん増えてきていますけど、検査センター。病院は測定
を全部検査センターに任せている、あるいは病院の中に検査センターのグルー
プが入り込んで、そこで検査をして結果を出すという事をやっています。

 日立のハード(分析装置)とROCHEのソフト(試薬)……血液中の血清を取
り出して酵素反応をさせて結果を出す試薬、その抱き合わせ販売を全世界(日
本、台湾、韓国は別ですが)ROCHEにお願いしてやってもらう。測定項目はま
あみなさんお若いですから成人病検査をうけてないでしょうが、まあ前列にい
らっしゃる方は毎年お世話になっている(笑)。血液中コレステロール、ナト
リウム、カリウム、クロルの電解質、血糖値、中性脂肪、尿酸値、γ―GTP、
等。これらの測定です。非常にポピュラーです。

 売り渡し金額、機種によってまちまちですがこれがだいたい一台1千万円か
ら5千万円。競合メーカーは、東芝、日本電子、オリンパス(その後、診断装
置部門は、ベックマンが買収)。島津製作所(ここは理化学機器に特化すると
言う事で、医用機器からは撤退しました)。それと海外メーカーです。

 東京での仕事:装置開発段階から、製造メーカーの日立開発設計部門と試薬
の供給部門のROCHEと、日立で、あるいはROCHEドイツの開発部門で打ち合わせ
のスタート段階から営業が入りました。営業としては技術的に装置と試薬の最
低限の知識を一生懸命得る努力して、開発交渉に臨みます。

 ここで重要なことは立場上メーカーよりになりますけれど試薬メーカーの要
求も製品に反映すべく、日立に強くインプットする。それが営業の仕事です。
メーカーにべったりくっついていたら何のための営業かよく訳が分からなくな
ります。それで装置の仕様決めあるいは試薬内容についての交渉をやってきた
わけです。夕食あるいは会食が設定されていても、それをスキップして夜遅く
まで喧々諤々(けんけんがくがく)とやったこともあります。しかし話がまとま
ったときはお互い和気藹々、夜中まで飲み交わしたものです。それも営業です。


 │■ アメリカ中西部駐在:交渉力(6年)
 └───────────────────
 つづいてアメリカ、シカゴ、インディアナポリス駐在での医用機器販売を6
年。現地アメリカに駐在しているときは試薬メーカー(この場合はROCHEです
けれども)の立場を考えないと試薬メーカーから相手にされません。彼らに
とっては、「その為に(ROCHEの立場の代弁者として)駐在しているんでしょ」
と言うことになります。

 でも一方、私は日本の営業部門から派遣されているわけですから、日立及び
営業部門からは、日本の立場からの説明を絶えず求められます。この両者の間
にいる立場でのネゴシエーション(交渉・折衝)は、大変ですが、駐在員とし
て一番営業の力を発揮できる時です。

 ここからまたがたがた経験談を続けますと夕方になってしまいます(笑)の
で割愛して。時間がずーとたちまして、最後に、2009年2月5日、日立の退職前
にROCHE欧米の連中がSteve(私のニックネーム)と別れるのは残念だけれども
仕方がない。じゃあROCHEドイツに来てくれと、皆でFAREWELL PARTY をやり
ましょうと言う事でやってくれた。これがその時の写真です。"BUSINESS 
PARTNER BECOME FRIENDS."写真集(Memories for Steve Yoshihiro,2009)と
して、頂いてきました。


 │■ 日立卒業後は正反対の仕事、米国部品を国内に売り込む(3年)
 └───────────────────────────────
 日立卒業後、私はどこの誰だかは知らないけれどもちょっと来てくれと言わ
れまして、その会社の副社長の面接を受けて、米国系部品メーカー IDEX JA
PAN に採用されて3年間働きました。日本担当のセールスマネージャーとして
科学機器、医用機器本体に使われる米国製主要部品を東芝、島津、オリンパス、
日立、日本電子、怱々たる日本のメーカーの開発設計者に情報提供と販売活動
をしました。

 全く違う正反対の輸入販売ですね。日本はご存知と思うのですが、トヨタに
しろ日産にしろ、日立でも東芝でも皆そうですよ。親会社・子会社・孫会社・
曾孫会社……とあるわけです。それだけの部品会社があるわけです。

 そこは殆んどの場合、そこ(系列会社)の部品を日立なら日立が使っている、
東芝なら東芝が使っている、トヨタならトヨタ、まあ最近は大分、外様も入る
ようになりましたよ。だけど、この場合はアメリカの部品を東芝なり、日立な
り、オリンパスなり島津なり、メインのパーツとして使ってくれと言う……。
でも、やりました。具体的に言うとあまり良くないかな(笑)。売り込み成功。

 製品開発構想から、製品量産まで大体5年位かかるんですよ。主要部品の開
発部門への売り込みも5年前にスタートするんです。それから2年ー3年かか
って、プロットタイプの部品供給までこぎつけられれば、こちらの勝ち。メー
カーは部品はこういうものが必要だ、新しいことやっていかなきゃならない。
その時に、極秘にそれぞれ部品メーカーにあたるわけです。

 1回注文を取れれば、プロダクションスタートから大体5年から7年同じ製
品の注文が来ます。それを何千個、何万個と使ってくれる。

 非常に大きな一つのビジネスで年間5億円。それが5年続けば25億円とな
ります。これは大変ですけれど、その長い長い商売、ずっといてくれといわれ
たけれど、私はもうこれ以上働くと自分の人生を楽しめる時が無くなるもう充
分働いたからと言って3年目でやめました。

 とまあこんな経験談だけで、終わらしても良かったんですが、せっかくです
から、「これらから得られた教訓」並びに「皆さんへの提言」をしたいと思い
ます。


 │■ これらの仕事から得られた教訓
 └─────────────────
 ・人生は一度きり。自分の目指すことを仕事上で実現。
 ・苦しい仕事も、努力次第で楽しくなる。「仕事は楽しめ!」
 ・製品設計、研究開発だけでなく、営業も面白いよ。
 と言いたい。

 日本にいるときは、まず日本時間で働き、次にドイツが朝を迎えると引き続
きドイツの為にドイツ時間で働き、さらに、アメリカが朝を迎えるとアメリカ
時間で働き、24時間オールナイトで働いたこともあります。そう出来ることで
はありませんが、仕事であれば、ヤッちゃいました。全世界の仕事仲間と一緒
に働くことは、本当に楽しいことです。

 私のように、初めから、営業をやりたい、貿易をやりたいという人は、ここ
にいらっしゃるのは少ないかもしれません。しかし、物理を学んだ或いは、自
然科学を目指した頭の構造は、営業に大いに役立ちます。取り扱い品目が、研
究機器、分析装置ということであれば、結構その知識は生かせますし、面白い
かもしれません。なかなか民間企業に入って、こういう理工系の仕事をしたい、
研究をしたいと言っても、なかなかそうはさせて貰えません。

 私の場合は、あらゆるチャンスを得て、ドイツ、アメリカでの11年の海外
経験が出来ました。また、学生時代苦しんだ語学が、夢の中で、英語、ドイツ
語をペラペラしゃべれるようになったときは大感激でした。ヨーロッパアメリ
カ、アジアのいろいろな人達と仕事でも、遊びでも大いに付き合えることは、
楽しいことです。

 そんな仕事を探してみたらと言いたいです。


 │ ■ 皆さんに贈りたい言葉は「意思あるところ道は開ける」
 └────────────────────────────
 目指す民間企業に行くために:
 (1番目)* 自分のしたい事を熱心にアピールする。
   その企業を研究し、その企業の得意分野専門分野に立ち入ってなんとし
   ても自分がその企業の開発・研究部門に設計あるいは営業部門にはいり
   たい。自分の入社後のああなりたい、こうしたいというしっかりしたビ
   ジョン、展望、見通しを示す。

 その企業に言えるチャンスがあるかどうか分からないけれど、どこか取っ掛
かりを見つけて必ず言うことです。

 (2番目)* 自分が物理の世界でやってきたこと、その意義、その成果を
   アピールする。
 (3番目)* 自分をいかにPRするか。
   ・クラブ活動(体育系がベター)で、リーダー或いは取り纏めをやって
    きた経験がある。⇒仕事は体力勝負。そして取り纏め能力は重要。
   ・社会貢献活動:グループで、ボランティア活動、植樹作業を行った経
    験がある。⇒企業としても社会貢献CSR(Corporate Social Responsi
    bility)活動を行っていて、これらの経験に理解を示します。
   ・語学に長(た)けている。(例えば、英語:TOEIC650点以上---大
        卒新入社員の上のレベル。⇒即戦力です。
   ・何か一芸は、特別な資格は。
    人より何か優れた技能、技術。或いは資格。これがあれば強いですよ。

 最後に自分の明るい性格、行動力、実行力を実例をあげて説明してください。
そうすればあなた方の望むところは目前です。

 終わりに、最近覚えたスペイン語。“Querer es Poder.”という言葉を贈
りましょう。英語でいえば
  "If you do, it will become.”“There is a will,there is a way.”

「意思あるところ道は開ける」「為せば成る」。

 どうも今までご清聴ありがとうございました。

----------------------------------------------------------------------
 │特││集│A ■ 講演後の懇談(個別相談)会での質疑応答 ■
----------------------------------------------------------------------
 【次に、講演後の懇談(個別相談)会ではどのようなやり取りがあったのか、
  小財さんと渡辺さんのグループでの主な質疑を紹介します。】
----------------------------------------------------------------------
 《 小財 正義 氏のグループでの主な議論……》   (報告・小財 正義)
  --------------------------------------------------------------------
  [ ※ Q:学生たちから出された質問や疑問 A:講師やOBによる回答]
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 Q・大学院に進むか就職するかで悩んでいます。どのような仕事や進路が自
  分に合っているか分かりません。
 A・自分は何が得意かというのも仕事を選ぶ上で大事かもしれないが、好き
  な事に関連していれば苦手でも頑張れたりするし、自分が好きな物に関係
  した仕事かどうかというのも大事だと思う。
 A・修士卒で就活しても学部生より不利になる事は殆ど無い。修士へ進んで
  研究の世界を覗いてから考えるという手もある。博士卒は不利になる事が
  多い。

 Q・研究者になってみたいという気持ちがあります。物理の勉強も好き。教
  科書は読めても研究ができるとは限らず、自信がない。また、企業の研究
  者と大学の研究者の違いがよく分かりません。
 A・企業の研究者については良く知らないが、大学の研究者の方が企業より
  も自分で研究対象を決めやすいのではないかと思う。

 Q・大学院へ進むと社会に出る事が遅くなってしまうのが気になります(現
  在24歳なので)。大学院へ行くと就活で不利になる事はないでしょうか。
 A・大学院へ進んだ人は、周りよりも社会に出るのが遅れて気後れする事は
  あると思う。結局、研究をやってみたい気持ちと、自分の履歴に傷が付か
  ないようにする(大学入学や卒業が2,3年遅れたくらいでは大した事ないと
  思うけど)事のどちらを優先するかという問題だと思う。

 Q・理論と実験のどちらの研究室が自分に合っているか分からないのですが。
 A・実験か理論かというのは学部を卒業した後でも変えられるので4年生で
  あまり気にしなくても良いと思う。
 A・素粒子分野などは実験と理論で別れてしまっているが、宇宙線などは実
  験も理論もやっている先生もいる。理論か実験かという考え方もあるが、
  分野によって、実験の中でさらに分業していたり、逆に混ざっていたり、
  全く様子が違う。
 A・4年生で入った研究室が将来を決めるわけではないので、来年4年生に
  上がったら、悩むのは程々にして研究を頑張った方が将来が開けると思う。
 A・頭が冴えている時とそうでない時では研究の進み具合や出来が全く違う
  ので、研究室に入ったら規則正しい生活をして、精神的にも体力的にも健
  康な状態を保つのが良いと思う。
                        
 《 渡辺 則夫 氏のグループでの主な議論……》    (報告・三澤 進)
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 Q・高校の教師を目指していますが、社会人になってから教員になったとい
  う例はありますか。
 A・社会体験を経てから教師になるような人は大勢いる。義務教育の分野で
  も大勢いる。むしろキャリアを積んだ人は歓迎される。

 Q・仮説実験授業に興味を持って講演を聴きに来ました。どのような点に気
  を付けたらよいでしょうか。
 A・大切なのはプロセス。プロセスを大切にした授業を構築することが必要
  である。

 Q・大学での学習もよく分からないことが多いのですが、高校生にはどのよ
  うに指導したらいいのでしょうか。
 A・後で考えてみたら簡単なことであっても生徒にとっては大変難しく理解
  できないことが多い。丁寧に指導することが必要である。中学校では、4
  領域を教えなければならないので大変である。
	
 Q・教育実習は楽しかった。教師になりたいと思っていますが、実際教師に
  なって現場に行った時、予想と異なったことは何かありましたか。
 A・教育実習は、短い期間であり、本質は捉えにくい。学力の差が問題では
  なく勉強の必要性の有無により対応が変わる。自分がおもしろいと思う実
  験が生徒にとっても楽しいものとなるとは限らない。
 A・簡易導通実験においては、金属と炭素だけが電気を通すということの大
  前提が理解されているかが問題である。しかし、金属は電気を通すという
  ことを知っていながら一円玉が電気を通すかどうかが分からない。従って、
  仮説実験授業を通してやることが大切である。
	
 Q・教員の待遇についてどうなのか、それから教師の条件とは何でしょうか。
 A・教員の給料は、平均的ではあるが良い方である。鉄鋼やJALなどは、
  入社したときは良くても20年後30年後は分からない。教師としての仕事は、
  楽しいものである。また、仕事はつくるものである。 

 Q・人にものを教えることが好きである。おもしろい授業をすることが好き
  です。でも、そればかりやってしまって学級担任などに手が回らなくなり
  そうで尻込みしてしまう。生徒への影響も心配ですが。
 A・担当教科は、自分の専門になるとは限らない。むしろ、現実的には、専
  門外の教科を受け持つことさえある。部活動の顧問もしかりである。体育
  科の教師でさえ専門の種目を担当することはまれである。部活動の指導も
  大きな負担になっている.
 A・すべての活動の結果にあまり自己の責任と感じることはない。まず教科
  指導に全力を尽くすこと。そのことによって良い授業ができるようになっ
  て初めて生徒の信頼を獲得できるものである。きとんとした教科指導がで
  きてはじめて学級担任として責任を持つことが出来るようになる。

 講師ならびに参加されたOBの皆様、後輩のためにたいへんお忙しい時期に、
お越しいただいて貴重な講演ならびに相談に応じていただき、まことにあり
がとうございました。  (信大物理同窓会事務局担当  三澤 進  藤 惇)
                                              
---------------------------------------------------------------------- 
 │特││集│B ■ 就職とは「職に就く」こと ■
----------------------------------------------------------------------
    澤田 裕(理学2S/物性論・元ヤマウチ株式会社総務部長 大阪府在住)
----------------------------------------------------------------------
        私は2S(昭和46年学部卒業)の澤田です。卒業後は一般企
              業で大半を人事畑で過ごした関係上、求人活動を通して北海道
  V ?     から沖縄まで、大学教授と交流、採用側から学生を見てきまし  
(∵)     た。今回のメルマガ会報は就職活動特集とのことで、拙文をし  
 \(@)⊃     たため学生の気質の変化などを書いてみます。
〜〜〜〜〜〜 --------------------------------------------------------
               その前に、在籍していた元の会社を少し紹介して背景をご説
明します。資本金3億1千万円、従業員数380人、分類上は大企業でも「最小」
規模ですが、海外に100%子会社が8拠点あり、グループとしては約2,000人の
中堅部品メーカーで、40人ほどの日本人マネージャを順次派遣し常駐させてい
ます。技術・開発力が持ち味で、日本の本社の開発部隊が従業員の20%ほどを
占めており、商品群は特殊な分野で大きなシェアを持っています。

  # 将来性とか安定性という「会社の」属性だけを重視して決める 
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 さて本題に戻りまして、まず最初に、いま求職活動中の学生には「あなたは
就職して、その会社(公務員・教職など)で何をするつもりですか?」と質問
したいと思います。

 私が卒業した1970年代は、経済成長率は平均して10%と今から思えば嘘のよ
うな好景気の中にあって、企業からの求人も引く手あまた、私などじっくりと
将来の仕事のことを考え企業研究することもなく採用試験に臨み、しかも選考
試験で都内を一回りしてくると(本命でなければ)何件かの内定をもらえた気
がします。

 結局今思えば、私は自分の能力・個性が生かせるか否かなど考えることもな
く、郷里に近くて、中堅だけれどそこそこ歴史があって、親会社のない独自の
技術力を持つ、将来性とか安定性という「会社の」属性だけを重視して、この
会社に生活の糧を求めました。その後は、1971年のニクソンショック、そして
1973年は石油ショックと続くのですが、田中角栄の列島改造論でインフレは加
速、物価は狂乱、賃金もこれまた嘘のような10%〜15%の改訂が続きました。

 その頃の企業の採用人員も、家電・自動車など多くの輸出企業で量的拡大に
注力していましたから、わが中堅企業でさえ同期の入社は、何と70名もの新入
社員がいました。従業員380人ですから、10人程度を採用すればよいはずです
が、辞めてもすぐに次の職場は見つかることから、歩留まりも悪かったのでし
ょう。

  # 冷めた目で、能力を生かせる場をじっくりと見ているが……
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 先ほど述べたように、私は求人に伺った大学で、その年の学生の資質や求人
動向を聞き、時には3年生・院生に会社PRをし、学生達との意見交換をしてき
ました。そんな中ある団塊同世代の教授に、毎年自分の学科に配属される学生
の名前はおろか、趣味・嗜好まで必死で暗記して学生を受け入れていらっしゃ
る方がおられました。

 それだからこそ、学生も毎年慕ってくるのですが、逆に学生の方が「欲」が
ないような気がしてなりません。淡泊と言うか、さらっとした対応と言うか、
食い下がるような思いを受けないのが少し残念です。

 でも大学も、文系では就職課、キャリアセンターといった窓口が企業訪問に
応対していますが、何となく「事務的」な感じは否めず、近年は理系でも、就
職担当の当番年度だからと教授が順番に「やむなく」対応している態度が見ら
れます。そういう若い先生が増えた感じで、学生の求職意欲を少なからず阻害
しているような気もします。

 でも最近の学生は、昔の私が選んだように企業の将来性とか安定性のみを重
視した企業選択ではなくて、客観的に冷めた目で、自分の能力を生かせる場が
あるのかどうかをじっくりと見ている気もします。だったら、欲出してもっと
そばに寄ってこいよ、と言いたいのですが、そこには自信のなさも見え隠れし
ています。挨拶さえも満足にできず社会性のない者が多いとも聞きます。

 今春の新入社員のタイプは「ロボット掃除機」型だそうです。「一見どれも
均一的で区別がつきにくいが、隅々まで効率的に動き回る。一方、段差(プレ
ッシャー)に弱く、たまに行方不明になったり、裏返しになってもがき続けた
りすることもある」からだそうです。

  # 近年企業は「質」を重視、面談した時点で採否を7割方決める
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 しかし、意欲・社会性までを育成する暇は、私の勤務していた「最小」大企
業には余裕がありません。ですから、先ほど述べたような、熱い先生に紹介し
ていただいた学生であれば、企業としては入社選考試験が必要なくなるような
気がします。

 近年企業が「質」を重視するのも納得で、私もWEBなどでの応募には重きを
置かず、大学訪問し面談した時点で採否を7割方決めていました。

 さすがに知識レベルを見てからでないと、決定できない配属部門はあります
が、表から一見して見える気質こそが大事で、見えていない、即ち発揮も出来
ていない知識など「ない」に等しいのです。

 学生も、就活解禁当初はよく名前を見聞きする企業に目が行きがちで、いわ
ゆる特徴ある中堅企業へはまったくと言っていいほど目が向かず、というより
そういう企業の見つけ方を知らないのだと思います。基本的に、定年退職者の
補充が求人である以上、新たなフィールド展開以外には、いかに大企業と言え
ども何百人、何千人もの採用が毎年必要であるはずもなく、内定不合格が重な
ってきてやっと見方を変え、企業を探すのではなくて、早くから「自分」を探
し、見つけることが自分を生かすことになります。

 大阪の中堅企業から人工衛星が生まれ、東京の下町企業から深海探査機が80
00mを潜ったニュースは小回りの利く中堅企業の強み、面白さかもしれません。
逆に、大手企業には生涯賃金や、在職中の福利厚生、安心感・安定感などがあ
り、決定するまでには色々な検討項目はあります。

 ただ言える事は、就職は「職に就く」のであって、会社に取り込まれるので
はないという矜持と、これは自分の骨を埋めるに値するかという疑問符を常に
胸にして就活をしてみなさいということです。ほんとうに生涯自分のやりたい
ことをやるのに、どこで発揮するべきかを考えて。

---------------------------------------------------------------------- 
 │特││集│C ■ 就職支援についての雑感 ■ 
----------------------------------------------------------------------
  加藤 千尋(信州大学理学部物理科学科宇宙線研究室准教授・就職委員)
----------------------------------------------------------------------
  〜_A          就職セミナーなど就職支援関連のイベントを行うと、
 /^  ミミ    _   学生に出席を促すことが必要になります。就職活動を
 sノ\   ̄□ ̄ \  目前に控えた、または活動中の学生にしてそうです。他
   l   人 人  学科の就職委員の方とお話しをしても、あまり状況は変
   ll ̄ ̄  ll   わらない印象です。なぜ、このようなことが起こるので
   ll    ll  しょう。

 ある学生によれば、”就職活動に必要と思われる事柄については、周りの先
輩等に聞いたほうが早いし、役に立つ”とのこと。つまるところ、セミナーに
出ても得るところがない、と思っているようです。

 サンプル数が少ないので、決めつけるわけにはいきません。ただ、就職活動
に際しては、自己分析や企業研究の方法、エントリーシートの書き方から面接
での作法まで様々な事柄について、より実践的なノウハウを知りたい、と思う
のはある意味当然でしょうし、また、そうした情報は巷にあふれているのです
から、こうした考えがあることは判らないでもありません。

 この場合、就職活動についての実践的なノウハウを提供するのが常道なので
しょうが、そうした情報はこちらで用意しなくとも学生は手に入れます。キャ
リアサポートセンターという組織も在ります。そもそも、学生に”来てもらう”
ことが目的ではありません。

 では、学科として(学部として、でも良いのですが)できる支援とは何でしょ
う? 近年は、小学校から”キャリア教育”がなされるようになりましたが、
それを踏まえると、卒業後30年、40年と続く職業人生において、キャリアデザ
インをどのようにするか、そのために必要なものは何かを考える材料を提供す
ることなのではないかと思います。

 ななめ読みしたキャリア論に関する本の中に、大まかな方向性に沿って節目
毎にキャリアをデザインする、というものがありました。著者によれば、キャ
リアは人生における仕事生活のパターンであり、キャリアの方向性を考えるう
えでは、”才能・能力”、”動機・欲求”および”意味・価値”についての主
観的な理解(要するに、得意なこと、やりたいこと、やる意義を感じられること
についての考察です)が役に立つという主張をしていました。

 学生が就職活動に際して行う自己分析はこれにあたると思うのですが、こう
したことは、就職時だけではなく、その後のキャリアをデザインするためにも
重要である、というものです。また、キャリアをデザインする際に、”自分で
決定した”という意識が大切であると同時に他からの助言や機会、応援といっ
た要素も等しく重要である、と述べています。

 節目(転機) は誰にでもあるものです。この論に沿って考えると、”節目を
どのように乗り越え、生かしたか”という話を聞くことは学生が彼/彼女等の
キャリアをデザインする上で役に立つのではないかと思います。ただし、キャ
リア(デザイン)の考え方や、自己についての主観的な理解の重要性などを学
生が知っていることが前提です。

 学生がどの程度、知識や自分なりの考えを持っているかは判りませんが、キ
ャリア論的なものに触れる機会を設けることは学生にとってプラスではないか
と思います。キャリアサポートセンターのような部署にキャリア論のセミナー
等をお願いするのも一案ですが、学科としては”学生がキャリアについて考え
る機会を増やす”ことに尽きるのかもしれません

======================================================================
  ■ 研究を続ける  ■   =第4回=  
----------------------------------------------------------------------
  武田 三男(理学4S/素粒子論研究室・理学部長 副学長 安曇野市在住)
----------------------------------------------------------------------
┏━━━━━━━━━……−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
┃ 同級生の田中泉氏との再会、そして友人(語学?)の大切さを痛感
┗━━━━━━━━━……−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 大学の運営・管理の仕事から解放されたら、研究生活    ┏━━┓
に復帰したいというつもりで雑文を書き始めましたが、  ┏━┃田田┣━┓
17年も前の在外研究での思い出話になってしまいました。 ┃田┃田田┃田┃
暫く間お付き合い下さい。今回もプラハ滞在記の続きです。┃田┃田田┃田┃ 
                           ┃田┃田∩┃田┃
                  ※

 物理学科の同級生(4S)の一人である田中泉氏がジュッセルドルフからわ
ざわざプラハまで訪ねて来てくれたのはチェコに来てから2ヶ月が経とうとし
ていた6月の下旬でした。プラハはドイツからは当然地続きです。田中氏から
ドルトムント経由で電車を利用して行くという連絡を受けました。

 当日、プラハ駅に迎えに行きました。プラハ駅は市街中心部のバツラーフ広
場から5〜6分歩いたところにある大変大きな駅です。降りてくる乗客の中に
田中氏を見つけたときには大変懐かしく(後から考えると彼に再会できたのが
懐かしかったということもありますが、久々にアジア系の顔をみたからと思い
ます)、また日本語が話せることもあり安心感もありました。

 田中氏にはホテルマザンカの近くのペンションMという民宿のようなホテル
を確保して泊まってもらいました。彼は奥方がドイツ人でドイツの会計事務所
に努めていることもあり当然ドイツ語は堪能です。ホテルの主人らとも気軽に
会話をしていて大変うらやましく思いました。やはりグローバルに活躍するに
は外国語に堪能でなければなりません。

 ところで、田中氏は後に日本人としては始めてドイツの公認会計士ライセン
スを取得した人物で、現在もジュッセルドルフで活躍中です。学生時代から物
理のクラスでは飛び抜けて活動的で体力・気力ともずば抜けていました。どち
らも軟弱な小生とはまったく好対照な学生だったと思います。彼は思誠寮に入
っていて、寮恒例の駅伝大会で優勝しました。なんと、全区間1人で走り優勝
してしまったという逸話があります。

 また、当時の学生がヨーロッパに旅行する手段として、ナホトカからシベリ
ア鉄道を利用してモスクワ経由でドイツやフランス等に行くことがありました。
彼は、リンゴの収穫のアルバイト等で資金を貯めて、学生時代に2度もシベリ
ア鉄道で西ヨーロッパに出かけています。その経験を生かしてジュッセルドル
フに支店のある企業に就職しました。

 そこで、饅頭を作る機械を販売する傍ら、大学に通い、会計士のライセンス
を取得しました。(今回の海外出張に行くかなり以前に1度ジュッセルドルフ
の彼のところに寄せてもらいました。パリで開催されたピエール・キュリー.
コロキウム出席のついでに彼を尋ねました。このとき、件の饅頭を作る機械を
見せてもらいました。もちろん、ヨーロッパでは饅頭は作ないと思いますが、
内側のアンコの部分をチーズに外側の皮の部分をひき肉にすれば、なんと、チ
ーズ入りハンバーグが出来上がります。ただし、この装置が売れたかどうかは
定かではありません。)
                  ※

 さて、田中氏とは3日間ほどプラハ城やカレル橋などの市内の名所を中心に
散策して過ごしました。この市内観光にも路面電車(トラム)を利用しました。
運賃が安い(先にも書きましたが、60円くらいでした)のとゆっくり車窓から
の景色を楽しめるところが大変魅力的です。トラムの路線はバツラーフ広場を
取り囲む様に市街から郊外に縦横無尽に張り巡らされています。これに対して
地下鉄(メトロ)は当時は3系統のみで、科学アカデミーの近くには駅がなか
ったことと、スリなどの治安上の問題で2回ほどしか利用しませんでした。さ
て、そのトラムについての体験談を一つ。

 田中氏と市内観光をしてレストランで食事をして、少し遅くなったから帰り
のトラムに乗車しました。時刻のせいか乗客は始めから十数人しかいませんで
したが、市内中心部を過ぎ、ブルダヴァ川を越えた頃には数人しかいなくなり
ました。普段は一人ですのでそんなに遅い時刻にトラムに載ったことはありま
せんでしたが、今回は田中氏がいたせいもあり、遅くなっていました。

 とある駅で地元の女性客が降りた後は、私達2人、小さな姉妹を連れた家族
らしき4人組と単独の男性客の3グループとなりました。いわゆる終電車であ
ったようです。さて、まだ、めざすLadvi駅にはかなりありそうな途中の駅に
止まったとき、やおら運転手が客席にやって来てなにか言い始めました。

 チェコ語のため何を言っているのか全く分かりません。男性客はぶつぶつい
いながらも納得した様子で降りてどこかに行ってしまいました。英語で話しか
けたのですが、全く通じません。そのうち、家族の1団の夫とおぼしき男性が
始めに英語次にフランス語(らしい)で盛んに問いただしています。なかなか
埒が開きません。そこで、田中氏がドイツ語で質問し始めました。

 チェコ語、ドイツ語、フランス語、時々英語が乱れ飛ぶ国際色豊かな会話
(?)が30分以上続きました。そのうちなんとかドイツ語が通じるらしく、田
中氏と運転手の間で会話らしくなりました。どうもこのトラムはここが終点で
この後車庫に格納するから降りてほしいとのことの様でした。

 Ladvi駅にはこの線路沿いに歩くしかないのかと思い、田中氏に尋ねてもら
いました。どうやら、いつもの路線からは2つ前の駅で分岐していたらしく、
その2つ前の駅まで戻ればまだLadvi方面行きのトラムの最終便に間に合う可
能性があることが分かりました。真っ暗な中、このときほど友人(語学?)の
大切さを認識したことはありません。(実はこのあと数週間後に、語学の大切
さをもっと再認識する機会が待っていましたが、このときには知る由もありま
せんでした。)

 フランス人家族と一緒に線路伝いに2駅ほど戻り、Ladvi方面行きの最終便
に無事乗車できました。偶然、彼らも同じLadvi駅で降りる予定でした。フラ
ンスの南部の田舎から観光でやって来たとのことで、気の良いご夫婦とかわい
らしい姉妹の一家でした。ご夫婦も一時はどうなるかと思ったが、ドイツ語を
話せる人物(田中氏)と偶然一緒で助かったとしきりに感謝していました。私
も気を揉みましたが、楽しい思い出がまた一つ増えました。

 前回予告しました、プラハ城と変身のカフカの住居跡や郊外の古城、西澤社
長とのエピソードはまたまた次回以降になってしまいました。再びご容赦を。

                                【 以下次号 】

=====================================================================  
   〔 信州大学物理同窓会(メルマガ)会報リレーコラム・第6回 〕
----------------------------------------------------------------------
     ■ 雪の研究(前編)■ 
----------------------------------------------------------------------
  佐藤 篤司(理学4S / 素粒子研究室 防災科学技術研究所 雪氷防災研究
       センター元センター長 長岡市在住) 
----------------------------------------------------------------------
 _===_  編集委員で同級の渡辺君から依頼されたので、急いで駄文をした
  ( ^^)  ためた。研究生活から一歩引き始めた、この時期ではあるが今まで
 o-o-)) の経歴を紹介しようと思う。人それぞれ、特異な道を歩むのが人生 
     であろうが、私の歩んできた道もやはり一風変わった人生だろうと
思うからである。 

    [ 北を目指し、北海道大学低温科学研究所へ ]

 人は2種類に分かれる、北へ行く人と南へ行く人である、と言う言葉がある。
極めて単純な二分法ではあるが、人が移動すれば北か南に偏るのはほぼ間違い
ないから、論理的ではある。なにより北とか南と言う言葉が人それぞれに何か
しらのイメージを膨らませるのだと思う。 

 ところで、私は明確に北を目指す部類であった。

 松本での青春、誰もが経験するであろう喜びと悲しみなどに別れを告げ、
「北帰行」を口ずさみながら連絡船で津軽海峡を渡った。北海道大学・低温科
学研究所が5プラス1年間の大学院生活を送るところとなった。信大では素粒
子研の宮地先生、高尾先生、寺沢先生のご指導を受けた。ただ、宮地先生はフ
ランス留学中で、ご帰国後の一年間ほどゼミをやって頂いた。

 物理の美しさを体験し、思考プロセスが鍛えられ、磨かれたことは、後年に
幾度か感じるところとなり、物理を専攻したことを心から良かったと思ってい
る。 

  しかし、そのまま理論物理学の道へ進むには、私にとってあまりに物質世界
の誘惑が強いことに気づいた。夏は北アルプス登山とバスケットボール、冬は
スキー部活動という贅沢な生活を送ったせいもあろう。越後の豪雪地で生まれ
育った人間故、最も嫌いで、かつ最も好きな「雪」を研究する道があることに
驚き、喜び勇んで北大行きを決心した。 

 寺田寅彦を高校時代に読み、中谷宇吉郎の随筆にその後接したので、中谷先
生の門に入いることも期待した。もっとも中谷先生はとうに他界されており、
吉田順五先生の主導された積雪の物理を主とする部門に所属した。

 低温研究所と言っても、物理学で言う極低温ではなく、地球上における低温
科学を対象にしている。従って、雪や氷の関与する様々なことを研究する講座
があり、研究者が居て、まさに雪や氷の何でも屋が育つ環境であった。氷の結
晶転移や電気的性質、結晶成長、積雪の物理的性質(力学、熱、光、音、電気)、
雪崩、吹雪、融雪さらに海氷や凍土の研究も間近に体験することが出来た。昆
虫や植物、細胞などの耐凍性を研究する生物部門もあった。氷河や凍土の研究
でアラスカ、南極へ出かける先生もおられたのでいつかは自分も、と夢を抱い
ていた。 

    [ 身につけた技術の一つに高速度撮影 ]  

  結局、私は吉田先生、若浜五郎先生の指導の下、積雪の高速圧縮という実験
研究を与えられた。要は、積雪を高速で押しつぶす作業である。何とも馬鹿げ
た幼稚な作業であることか、最高学府での研究として、ひとに説明するのに羞
恥を感じ、手こずったものである。

 当時、雪国にも新幹線が走ることになり、そこで生ずる高速車両と積雪との
問題への対応でもあった。積雪内に一種の衝撃波が生ずるのだが、これを雪の
密度、温度、含水率、圧縮速度など諸々の条件を変えて調べた。そのため、高
速圧縮体を発射するためのバネの設計をやったり、高圧空気を用いた小型大砲
のようなものを使ったり、最後は街のゲームセンターからバッティングマシー
ンを借りてきて、低温室で雪のブロック目掛けて剛速球を飛ばしたりした。何
しろ時速200kmを超える速度が必要だったのである。 

 そんな中、身につけた技術の一つに高速度撮影がある。その頃は未だ高速ビ
デオはなく、16o映画フィルムを用い、一秒間に100から450コマ程度を撮る高
速度映画撮影カメラが主流であった。通常の映画は24コマ/秒だから、十分に
高速度ではあった。ところが、我が先生からは、研究費が付いたのか、米国製
の3万5千コマ/秒も取れる世界最高速のカメラを買ってもらうことになった。

 これは直径数十センチの薄い金属円筒が恐ろしい速度で回転する代物で、ま
るでジェットエンジンのような大音響を発生し、今にも飛び出そうな勢いであ
った。残念なことに、雪の圧縮には高速度過ぎて使えなかったが、後日、氷の
クラック速度の測定に成功した。破壊に伴うクラック速度は氷中の音波、すな
わち縦波速度の3割、横波の6割ほどの速さであった。 

 このような高速度撮影では、大光量のフラッシュが必要で、使える時間は一
秒位。速い方では一秒の千分の一のオーダー(3ms)である。従って、高速圧
縮実験では、何時間も、ときには何日もかけて準備しても勝負は一秒前後でつ
いてしまう。

 修論の審査会でのこと、同じ地球物理学科の大御所M先生がウチの学生はわ
ずか1,2時間の雷雲の観測で修論をまとめたのだ、と自慢されたとのこと。
すかさず、我が先生はウチの佐藤は1秒間の実験で修論を書いた、とM先生の
向こうを張って大いに自慢してきた、と誉められた? ことがあった。 

     [米国留学とセントへレンズ山の噴火による影響調査 ]   

 寒い低温室だけではもの足らず、夏になると大雪山の雪渓調査と銘打って、
堂々と山登りが出来たことも幸せだった。ただ、そんなのんびり学生は大いに
尻をたたかれ、D論をまとめると、公開本審査を通った翌日には米国行きとな
った。以前からアメリカの大学からポスドクとしての招聘をもらっていたが、
指定された赴任期日まで6日しか残っていなかったのである。 

 モンタナ州立大学という、アメリカでも最も知名度の低いモンタナ州にある
ボーズマンと言う田舎町の大学に到着した。モンタナ州はロッキー山脈の北端
でカナダと国境を接しており、林業、鉱業、牧畜と小麦生産が主で、町にはそ
れほど多くはない学生とカウボーイ、そしてその何倍かの牛と馬がいるところ
であった。

 近年、人気が高いグレーシャー国立公園やイエローストーン国立公園があり、
2時間ほどで行けるイエローストーンにはすっかり魅せられ、四季を通じて何
回通ったことか知れない。十年後には2人の小さな子供を連れて家族で一年間、
再び過ごすことになったほどである。ここでの数ある事件、エピソードはノン
アカデミックの別の機会に譲りたい。 

 英語に囲まれた大学での生活に未だ馴染めず、上の空の生活をしていた到着
から1,2週間後、突然セントへレンズ山の調査に誘われた。もちろん、一も
二もなく同意した。オレゴン州にあるMt. St. Helens は富士山型の美しい火
山であるが数ヶ月ほど前、大爆発を起こし、3千メートル近くあった頂上が崩
壊して大きなクレーターが出来た山である。

 頂上付近からは氷河も流れていたが、この大噴火による氷河や積雪状態の影
響調査が目的で、ポートランドからヘリコプターで一気に頂上付近に上り、氷
河に穴を空けたり、火山岩で覆われ月面のようになった地表面の熱流量などを
調べるものであった。

 飛び立ったヘリはクレーターの中を旋回して水蒸気やガスを噴出している火
口壁を見せてくれるサービスまでしてくれた。が、生まれて初めてのヘリコプ
ターであり、また眼下には少し前、調査中に墜落したヘリも見えて、まさに地
獄のような体験となった。頂上付近のわずかに残った氷河の上で、さあ着いた
と言われ、ホバリングしているヘリから飛び降りることになったが、飛び降り
る怖さよりヘリから降りるうれしさがなによりであった。 

    [ 吹雪の研究プロジェクトを立ち上げる ]  

  ここでの2年半の体験は人生の大きな財産となり、その後の研究生活にどれ
ほど役だったか計り知れない。当時は、モンタナ州立大学工学部は雪崩や積雪
科学における世界の中心の一つで、全米やカナダ、そしてスイスなどの先端学
者などが訪れ、論文でしか知らなかった著名な先生達や若手研究者と接するこ
とが出来た。二年半の滞在中、NASAのプロジェクトにも参加し、また学会
と休暇を利用して東西南北かなり広く米国という巨大な国を見聞することが出
来た。 

 滞米中時々思ったのは、こんな巨大な国を相手にほんの数十年前には戦争を
起こしたことの愚かさであった。呆れるほかはないと思った。その後、無二の
親友となった米国人を日本に招いた時、父は二人に向かって「おまえ達は幸せ
だ。自分の若い頃は鬼畜米英と言われ、アメリカの焼夷弾で自分の家を焼かれ
たんだ」、と言った言葉が忘れられない。確かに、我々世代は運良く、その戦
後に生まれ、幸せな時代に生きることが出来たと言うほかはない。 

 帰国後は防災科学技術研究センター(現、防災科学技術研究所)から声がか
かり、雪の研究を継続し、生計を立てることとなった。センター本部はつくば
市にあるが、雪の研究拠点の一つとして山形県新庄市にある支所であった。も
う一つ先輩格の新潟県長岡市にも支所があったが、運命のいたずらで、故郷で
もある長岡ではなく新庄に行くこととなった。

 ここでは、吹雪と雪崩の研究プロジェクトに参加し、フィールド観測と室内
実験に打ち込んだ。当センターは科学技術庁の直属研究機関であったので、文
部省の大学とは一線を引かれており、縦割り行政の非効率な実情を見せつけら
れた。ただ良いことも少しはあり、科学技術庁の直属と言うことで、科研費の
ような激しい競争は少なく、大学人がうらやむ豊富な研究予算が頂けたことで
ある。 

 入所してすぐに、吹雪の研究プロジェクトが立ち上がり、青森県津軽平野で
の観測研究が始まった。最高級の気象測器、ドップラーレーダーなどを揃えて、
吹雪の起こる厳冬期に7年の間、津軽に通った。

 その後、明らかになったのだが、1980年代後半から我が国でも温暖化が顕著
となり、研究する側には残念なことに津軽の有名な地吹雪の発生は小規模にな
ってしまった。従って飛雪粒子を観測する吹雪計に雪粒ではなく砂粒が飛んで
きて、大いに苦労することとなった。当時はそんな温暖化傾向はわからず、ひ
たすら吹きさらしの寒い平野で雪雲の襲来と吹雪を待った。

 昼になると、寒さに震えながら一軒家の食堂に逃げ込み、熱いラーメンをす
すった。うれしかった。そして、そこのおばさんの言葉が良かった。「科学技
術庁の先生方が来てくれたおかげで、最近は地吹雪が来なくなったねー」。決
して皮肉ではなかったであろうと信じてはいる。 

 その後、北極研究の開始でフィンランドとアラスカでの活躍、長岡・新庄の
統合、部門長、所長としての苦労などが続くが、字数が尽きてきたので、この
辺で、雪人生前半の紹介としたい。 
                                【 以下次号 】

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ┃T┃O┃P┃I┃C┃S┃ 
   ┗━┗━┗━┗━┗━┗━  
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ┃サイエンスポッド信州2013┃=┃ヒ┃ッ┃グ┃ス┃粒┃子┃と┃そ┃
   ┃の┃発┃見┃=┃が┃開┃催┃さ┃れ┃ま┃し┃た┃
      
  ◎今年のノーベル物理学賞であるヒッグス粒子に関連したイベント
   主催:信州大学理学部 共催:信州大学自然科学館
   
   2013年度のノーベル物理学賞は ピーター・ヒッグス氏とフランソア・
  エングレー氏が受賞しました。受賞理由は「素粒子における質量の起源を
  理解するメカニズムへの理論的発見」に対して贈られるとされていますが、
  それは「最近CERNのラージハドロンコライダー(Large Hadron Collider)
  で行われたATLASとCMS、2つの実験を通じて確認された」という物で、存
  在を予言した理論家が実験の確認直後に受賞しました。今回は、理論的側
  面と実験的側面の2つの講演によりこのヒッグス粒子のその発見に迫り、
  今後の宇宙の理解の進化を体感していただく試みです。
   ヒッグス粒子の生い立ち、役割と実験的発見の物語を多くの人に分かり
  やすくお話し、関連グッズを展示します。(竹下徹教授の趣旨説明から)

   12月21日午後、会場の松本市Mウイングには100名を超す多くの市民が
  集まり補助席を出す盛況ぶりでした。講演は、(1)「ヒッグス粒子とは」
  :川村嘉春信州大学教授、(2)「ヒッグス粒子の発見」:長谷川庸司信
  州大学准教授の2本立てでしたが、市民向けのために数式をほとんど使わ
  ないで解説。たいへん分かりやすく工夫されていたのはさすがでした。

・‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥・
      信州大学東京同窓会からのお知らせ
・‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥・
  2014年信州大学東京同窓会(全学部対象)の概要が以下に決まりました。

  1 日時 平成26年2月1日(土)
  2 場所 アルカディア市ヶ谷
             ( http://www.arcadia-jp.org/access.htm )
  3 講師 青木歳幸氏 佐賀大学地域学歴史文化研究センター教授
        1971年(昭和46年)信州大学人文学部卒
        佐賀大学教授、同センター長、日本医史学会評議員
    演題「幕末から明治期の信濃の医学」
       江戸時代において信濃各地に医師が輩出していたこと、幕末期
       に西洋医学が松本平にも入り、蘭方医による種痘を通じて西洋
       医学の有用性が知られるようになったこと、明治期において筑
       摩県医黌兼病院のなりたちと医師には松本地方の医師も多くい
       たことなどを紹介し、それから信州大学医学部への流れも紹介。
  4 会費 10,000円、平成7年3月以降の卒業生は、4,000円
  5 プログラム 14:00~15:30 講演会(質疑含む)
           15:30~16:20 大学からの報告
           16:20~16:40 総会
           16:55~19:00 懇親会(着座式)
           (信州産ワインの当たる抽選会も行います)

======================================================================   
  ┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━ ┏━┏━┏━
   ┃大┃塚┃直┃彦┃の┃ウ┃ィ┃ー┃ン┃便┃り ┃第┃16┃回
----------------------------------------------------------------------
  ◎財布をなくす
----------------------------------------------------------------------
              大塚 直彦(理学24S/国際原子力機関・IAEA勤務)
----------------------------------------------------------------------
     ☆.,;:.   「クリスマスの時期は混雑するショッピング街やクリ
 . ☆ /\ .:'  スマス・マーケットで人々が押し合いになります。警察
' /\/ \    は、この時期がスリの最盛期であると警告しています。
:'/ \ ::'\     スリの手口は新しいものではありませんが、未だに効果
 '. ̄‖ ̄.‖  ̄    的です。                   
           警察によると、彼らはプロで,たいていチームを組み、
混雑した人ゴミを好みます。手口は新しいものとは限らず、ウィーン警察のミ
ルシオアーネ氏は、『被害者はしばしば当たられ、マスタードやケチャップで
汚され、犯人が汚れを落とそうと助けに入り、わからないようにバッグの中に
手を入れることに成功します』と述べています。
 同様に好まれている手口は不器用を装うもので、同氏は、『犯人は小銭をば
ら撒き、被害者がこれを拾うのを手伝うと、財布、その他の貴重品、あるいは
ハンドバックごとなくなっている』と説明しています。」(オーストリア放送
協会ORFのウェブ上の2013年11月24日の記事"Polizei warnt vor Taschendieben"、
在オーストリア日本大使館翻訳)。
                             (7DEC.2013)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ タクシーのなかにに財布を置き忘れる?
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 上にも書かれていますが、たとえよく知られた手口で狙われたとしても、そ
の場で私がとっさに「こいつは怪しい」と判断できないような気もします。私
自身は、よくある手口ではないとおもいますが、赴任前に会議でウィーンを訪
問した際一度だけ盗難にあった経験があります。

 会議が終わったあと、少しゆるんだ気持ちで、ドナウ川の中州のおまつりを
人ごみにまぎれて見物していたときに、カメラをすられたという経験です。右
側から時間を聞かれてそれに対応している間に左側からすられたのです。ウィ
ーン定住後も財布など無造作にポケットにいれがちな私ですが、赴任してから
いままでに財布などをすられたことは幸いありません。

 ただ、私は人に盗られずともからあちこちにものを放置する悪い癖がありま
す。落とし物が無事に落とし主のもとに戻るかどうかは、スリ置き引きよりも
さらに鋭敏な治安(あるいは民度)を測る指標かも知れません。遺失物が所有
者のもとに戻る確率というような統計を見たことはありませんが、落とし物が
見つかるという確率はウィーンではかなり低いように感じています。

 さて、10月のある週末の金曜の夜のこと、カザフスタンへの月曜からの出張
に備えて準備を終えたのが朝3時頃。深夜運行の地下鉄をハイリゲンシュタッ
トで降りタクシーを拾いました。

 自宅近くの信号で独語しか話さない白ひげをたくわえた運転手に支払いをし
て降車しました。翌朝、スーパーへ買い物に行こうとしたところ財布がみつか
りません。タクシーの運賃を支払ったのは確実なので、その後、自宅に戻るま
での数分の間に何かが起きたことは間違いありません。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ 各種カード、外務省発行の身分証、運転免許証……
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 自宅中を探し回り、また自宅から信号のところまで歩きましたが、財布はみ
つかりません。出張に備えて名刺を大量に財布に入れておいたので、タクシー
の運転手から「車内に落ちてた」とでも電話があるかと期待しましたがありま
せん。近所の警察署に出かけたところ拾得物を調べる端末をたたいてくれまし
たがやはりみつかりません。

 そのタクシーの運転手は必ずハイリゲンシュタットの駅に戻って客待ちをす
るはずだから、駅前でその運転手を探せば良い、と警察でいわれましたが、同
じ運転手を探す自信はありません。区役所には落し物を入れるポストがあり拾
得者はそこに届けることになっているから、月曜に区役所に行って財布が届い
ているか調べてみれば、という助言もいただきました。

 しかし、私は月曜の朝には飛行機で既にアルマティに向かうことになってい
たので、いつもの財布がない状態で出張せざるを得ないということになりまし
た。

 幸い、旅行に必要な支払いが済ませられるようには段取りがつけられたもの
の、銀行のカード、クレジットカード、外務省発行の身分証、運転免許証など、
これらのものを全て再発行しなければならないのか、と大変に気が重くなりま
した。出張後にこれらが速やかに行えるよう、職場の秘書さんには身分証と運
転免許証の再発行の手続きについて調べておいて欲しい、という依頼をメール
して出発しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ タクシーの運転手から連絡が入る
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 さて、アルマティについて数日経ったある日、"I think I have good news 
for you."というやや控えめの書き出しで、タクシーの運転手から財布が見つ
かったという連絡がウィーンの秘書さんからありました。ウィーンでなくした
ものは見つからない、と信じていた私には驚きの一報でした。

 出張後、ウィーンのオフィスで仕事をしているとその運転手が電話をくれま
した。あの夜、運転手はドイツ語しか話さなかったのですが、この日はどうい
うわけか英語を上手に話します。彼が2区のモスクに行くというので、そこで
待ち合わせることにしました。

 ユダヤ人が多い2区にモスクがあるというのに少々違和感を感じつつその場
所に行くと、そこは一見アパートなのですが、確かにお祈りの声のようなもの
が通りに漏れてます。それがやむと玄関からどんどんと人がでてきて、多くの
人が歩道で立ち煙草を始めました。殆どの人(50人位はいたか)が出た頃に、
感じの良い若者が声をかけてくれました。自分の乗ったタクシーの運転手と同
一人物なのか、この辺りで怪しくなったのです。

 私は支払い後にタクシーの座席に財布を忘れたと思っていたのですが、その
若い運転手は信号待ちの時に道路に落ちているのを見つけたというのです。こ
の状況がはじめはよく理解できなかったのですが、よくよく話をしてみて、こ
の若い運転手は自分が乗ったタクシーの運転手とは別人ということがはっきり
しました。

 財布の中身は全てあるか、と聞きましたがカードも現金も完璧に残っていま
した。クロアチア人である私の秘書さんの一人はその運転手さんの名前
(Hasanovicさん)はボスニア(・ヘルツェゴビナ)の人ではないか、と言って
いたのですが、実際に彼はボスニアのモンテネグロ国境付近の出身だと言って
いました。

 ムスリム人という区分をボスニア紛争時の報道でご記憶の方もおられるでし
ょう。ウィーンには旧ユーゴからの移民が大勢いますが、ウィーンにはこのよ
うに彼らの言葉で礼拝をするモスクがあると知りました。ともあれ様々なカー
ド類の再発行を行わなくて良くなったのは大きな救いで、彼には財布にあった
ユーロ紙幣を全て渡して謝意を表しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ 帰国中に加速器による核反応断面積の測定を初めて行う
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 さて、現在は11月後半から1月頭と少し長めのお正月休暇を設定しての帰国
中です。理化学研究所(理研)の友人の計らいで、加速器による核反応断面積
の測定を初めて行いました。

 照射したサンプルのから放出されるγ線を早朝から深夜まで測りながらこの
原稿をまとめました。

 このグループは113番元素をはじめとする超重元素合成の実験にも関わって
おり、明日からは露米チームが命名した116番元素生成の追試実験を始めると
いうことでした。今まで紙面でしか知らなかった様々な放射性同位体のγ線が
見えたのが私には大きな感動で、信大の物理の学生の方々にもぜひこういう体
験をしてもらいたいものです。
                       
 ●『OB/OG』第6回→( http://www.supaa.com/kikou/otsuka01.html )

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
======================================================================
 <再掲>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
----------------------------------------------------------------------
 1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
 人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。

 2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
 を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
 
 3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
 後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
 関連事務局員に伝達する。

 4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。

 5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
 して、 卒業生からの会費徴収に勤める。

 6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
 その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
 払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
 告し清算する。 

 7.会計年度を4月から翌年3月とする。           ┳ξ
 会計はすみやかに決算報告を作成                  ●●●
 して会計監査担当から監査を受ける。               ●●
                                                  ●
 8.本細則の改正は総会で行う。
            ┏━┳━┳━┳━┓
 ▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
            ┗━┻━┻━┻━┛
 ------------------------------------------------------------------
  ◆郵便局の場合/通常郵便貯金 
  記号:11150 番号:20343411
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1

  ◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
  店番号:421 普通預金 口座番号:650215  
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1
           
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄
●・・「信州大学校友会」が迷走(?)している。前号で「財源とてして各学 
 部同窓会から新入生ひとり当たり3千円の拠出(全学で約600万円)を得て
 発足する」とお伝えしたばかりですが、ここにきて一転この方針を破棄。資
 金は大学の予算から…となりそうと、理学部同窓会役員会(12/13)の席で
 情報が流されました。森会長は「9月の会合で賛成したオレらの立場はどう
 なるの?」と苦笑。予算案が二転三転四転……。なんだか〜な様相です。
●・・本学出身の前東京都知事・猪瀬直樹氏(人文学部1L卒)の振る舞いに
 はあきれるばかり。かつて信大全共闘議長として左翼の代表のような顔をし
 ていたのが、いつの間にか石原慎太郎の配下となり、今回の金銭授受には新
 右翼大物が介在していたという。卒業生のなかには「信大の恥」とばかりに
 心を痛めた方も大勢いるはず。小生は松本市民向けの勉強会を月1回ていど
 主宰していますが、1月に取り上げる人物は明治初期に松本城を破壊から救
 った市川量造氏。この方は移庁・分県をかかげて、松本VS長野の「信州南北
 戦争」を主導されたことでも有名。そういえば猪瀬氏は長野出身。松本市民
 からみると「松本からは前都知事のようなモンは出ないジ」となるらしい。
       ●・・12月15日夜、宮地良彦先生を囲んで信大物理同窓会の忘
  /\ ☆   年会が開催されました。東京から根建会長、新潟から飯沼副
 │○│     会長も駆けつけてくれて、おおいに話が盛り上がりました。
 │ │      宮地先生は来年で数えの90歳を迎えられ、めでたく卆寿とな
/| |\    られます。外見もお話の内容も、とても衰えを知らないよう
 ̄ ̄ ̄ ̄     にお元気でした。食事をどうされているか質問したところ、
 ||||      「朝はパン食、お昼は抜き、夜は普通食」とのご回答。健康
        長寿の秘訣は、1日2食主義から? 長生きされる方は、規
 則正しく毎日同じようなものを食べておられる方が多きと聞きます。(MT)
----------------------------------------------------------------------
○・・今年の就職セミナーの講師の方々、渡辺氏、好広氏、小財氏には、各々
 の立場から、熱弁を振るって頂きました。とても好評であったと評判でした。
 ありがとうございました。
〇・・特に好広氏の原稿を拝読しておりましたので、世界を駆け巡った奮闘記
 に圧倒されました。私も氏より10年以前に思誠寮の寮長の経験があり、また
 オリンパスのOBでありますので、氏のお話には身近に感じ入りました。これ
 を縁に当同窓会に一役買って頂ければありがたく存じます。    (MM)
===================================
■ MAILMAGAZINE BULLETIN『信大物理同窓会報』0046号(2013-14年冬号) ■
□ 2013年12月28日  編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10) 藤惇(2S) 渡辺規夫(4S) 太平博久(6S)
□編集長:藤 惇 □ 発行人:根建 恭典

             ┌──┐  (http://www.supaa.com/)
               │\/│ (info@supaa.com/) (makoto@insatell.co.jp)  
             └──┘     
            ___________________________________________________
      (C)信州大学物理同窓会事務局 無断複製・転載を禁ず
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



●「信州大学物理同窓会」事務局●

◎ご質問・ご連絡はメールまで