今回の総会への参加申込者数は、40名弱。文理の一回生から19Sまでの方々が参加されました。当会の会員有資格者数は既に2000名を超えたと聞いています。その中で、入会登録済みの人が100名超。約5%の加入率ですが、これをどう考えるか?
しかし登録済み会員の約40%が、今回の総会に出席されたのは中々のものですね。ただ、最若年の参加者が19Sというのは、・・・再びこれをどう考えるか? 自分自身のことを思い出してみても、大学を卒業した後の十数年間というのは、ひたすら前を向いての活動に夢中でしたし、また横を睨み回しての競争に必死でした。そういう時に同窓会に誘われても、「そんな退嬰的な集まりになんか参加しないよ」という気持ちがあったように思います。
「なぜ同窓会に参加するのか?」
こんなことを言うと、「同じ学校に学んだ者同士が、世代を超えて集まり、話したり飲んだりして、最後に肩を組んで春寂寥を唄えばいいんじゃないの。難しく考えることなんかないよ。」という返事が先ず返って来るでしょうね。それはまぁその通りだけど、やはりこれは弊衣破帽を好んだ「シニア」の考え方ですね。これは「退嬰的」と云われても反論できないし、20Sより若い人たちには魅力がないのでしょう。それに、「世代を超えて」などと云ってるくせに、懇親会になると大体同世代同士だけで固まって、昔話に興じているのが実態のようですね。
そうなると今度は、「同窓会の意義」は何かということになります。「同窓という絆で先輩と後輩が交流して・・・・」、「年に一度、様々な分野で活動している同窓生とのネットワークを広げ・・・・」などなど、色々考えても、大抵がこじつけじみたものになります。まぁ、実際のところ、同窓会なんてものはそういうもので、要するに退嬰的などといわれても良いから、適当に集まって楽しめば良いじゃないか。「同窓会に意義などといえるものは元々ない!」ピリオド。
それじゃぁ、信州大学物理同窓会事務局の末席を汚している身としては、実も蓋もないか。ならば、上に書いた「同窓という絆で先輩と後輩が交流して・・・・」、「年に一度、様々な分野で活動してきた同窓生とのネットワークを広げ・・・・」の、「・・・・」の部分に「なにか新しいことをしたい」という意味の言葉を入れてみましょう。そうすると俄然、「同窓会の意味」、「同窓会の意義」というものが前面に出てきます。「・・・・」に、「信大物理の名声を高めたい」、「信大理学部で物理を勉強した者への求人率は常時150%超に維持したい」、「老若の同窓生が楽しく働ける環境を地域を越えて創造したい」、「安曇野に同窓生専用の温泉付きコミュニティを建設したい」、「宮地先生を長野県知事にしたい」・・・などと入れてみてください。ね、随分イメージがはっきりしてくる。そうして、「じゃぁ、そのためにはどうするか?」という具体的な議論が出てきそうです。
つまり、この「・・・たい」が大事なのですね。それぞれが、同窓会という元来本質的に退嬰的な集まりを基にして何をしたいのか? そういう議論を敢えて仕掛け、この「たい」を大きく育てようとしていけば、結構面白い話になっていく。「同窓会の意義」というものも自ずと形成されていくことでしょう。20Sより若い人どころか、現役の学部生や院生にとっても、「絶対参加すべき」価値ある集まりになっていくのだと思います。別に僕自身は同窓会そのものを育てたいと思っているのではありません。同窓会という「地縁」は、この「たい」を考える時に、そのままで大きな価値をもたらしてくれるだろうと思うのです。
(つづく→)
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▲この日の信州大学を正門から眺める・・・ |
▲学内の掲示板に、ポスターが貼られています
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▲総会は清水邦男幹事の司会で始まりました |
▲名誉顧問、松崎一先生から祝辞をいただく |
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▲事務局長の武田三男(4s)教授の活動報告 |
▲近藤一郎(12s)事務局員からの会計報告 |
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▲講演会につめかけた聴衆。のべ人員は約80名 |
▲福井眞(3s)事務局員から講師の紹介 |
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▲ふたりの講師、雫二公雄氏(右/日立製作所)と原豊氏(左/リクルート)。素晴らしい講演、おつかれさま〜 |
▲定刻より大幅に遅れ。講演会のあと中庭に出て、講師を囲んでの全員集合・記念撮影のはずでしたが・・・ |
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■文/福井 眞(3S) ■写真撮影/高藤 惇(2S)
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