松本高等学校校舎重文指定記念式典
◆ 旧制高等学校は、旧帝国大学への登竜門としてかつて全国に22校設置されました。が、現在も本館と講堂が完全な形で残っているのは、松本高等学校のものが唯一といわれます。建築は大正9年。土台から天井まで当時の手作り木材建築としてたいへん優れた建物です。一時は取り壊しの動きもありましたが、文理学部同窓会などによる懸命の保存運動が実を結び、本年(2007年)4月に「国の重要指定文化財」となりました。この記念祝典の模様を清水邦男(文理11)さんに報告いただきました。

 先月、9月15日旧文理学部講堂にて開催された、「松本高等学校校舎」重文指定記念祝典に参加しました。参加者は、松本高等学校同窓会の160名、文理学部同窓会会員等信州大学関係者80名、一般市民(松本市民、その他)20名の約300名に近い多くの人々が集い盛大に行われました。物理会からは会長・楠木さん、顧問・平林さん、副会長・根建さん、両角修四郎さんの合計5名が参加しました。

 あがたの森公園の一角に「われらの青春ここにあり」の碑がありますが、松本高等学校卒業生と同様、文理学部で過ごした者にとっても同じ思いでありま す。

 重文指定はきわめてお目出度い出来事ですが、この場所で若き日のひと時を過ごした者には、思い出の建物が消滅することなく残される事への喜びのほうが大きいといえます。

 祝宴では、松高校歌斉唱、信州大学学生歌「叡智みなぎる」が披露され、乾杯の後、寮歌の高唱に祝宴は大いに盛り上がりました。思誠寮寮歌は「嗚呼青春」から始まり、松高卒業生、駒草会を中心とした信州大学文理学部卒業生の順で、交互に声高らかに歌い共に杯をかたむけ一時の親交を深めました。

 時折、隣の席から杯を注ぎに来られる松高同窓会の方々は口々に、「寮歌を歌ってくれてありがとう……」と堅く握手して、喜びを隠し切れないようでした。〆は肩組み歌う、物理会でも恒例の「春寂寥」で幕引きとなりました。

 旧制の高校と、信州大学の拠って立つ社会的な基盤はまったく相違しており、相互の意思疎通はきわめて難しいといえます。しかし、今回の経験を基にして 思いますに、寮歌と云う無形の文化遺産の継承こそがお互いに伝統を引き渡し、引き継ぐ一歩として存在するのではないかと、強く感じました。

 最後になりますが、当日、「松高から信州文理への軌跡」と題してシンポジュウムも行われ、名古屋での物理会で講演頂いた、文理17回生 丹羽公雄さんがパネリストとして参加されました。席上、文理学部における多面的な価値観の共有と知識の多様性がご自身の研究における原動力となった事などを披露され、参加された多くの人々に感銘を与えたことを付け加えておきます。
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▲ひな壇には宮地良彦先生のお姿もあった

▲記念シンポのパネラーとして丹羽さんも


▲物理同窓会の楠会長、根建副会長らも出席

▲卒業生・関係者・市民など300人超が参加


▲「旧制高等学校会館」の前で別れを惜しむ

▲揃いのネクタイ「思誠寮駒草会」の記念撮影

■写真撮影/平林 嘉明(文理6)


●「信州大学物理同窓会」事務局●

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