[ 信大物理同窓会報0026号(2009年夏号) ]
2009年6月25日配信


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          ┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃    
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│田田田田田|          │★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2009年夏号 │ 
│田田田田田|            ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田|             (http://www.supaa.com/)  
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
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 ■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ○-- 6月6日に開催された信大創立60周年記念「ホ  --○   ,〜,ξ
  ○-- −ムカミングデー」は全国から700余名が参加し --○  ( 人 ),〜,
  ○-- 成功裏に終わりました。新学長も決まり、新し  --○   '〜'( ◇ )
  ○-- いステージに進む息吹が感じられました。当会  --○  <⌒⌒>'〜'ζ
  ○-- も、構成基盤の要となる学年&研究室・幹事が  --○   ( /( ◇ )ξ
  ○-- 次々に決定。より一層の活動が期待できそう!  --○  ξ  '〜'
     
      【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 新会長あいさつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・根建 恭典
◇ 第12回信州大学物理会総会の報告・・・・・・・・・・・・・・小松 徹夫
◇ 「第12回信大物理会総会」の審議事項/会計報告・・・・・ 事務局各担当
◇ 2009年春 卒業生・修了生の進路状況 ・・・・・(まとめ/高藤 惇)
◇ 連載第4回【信州大学への追想】“あの日あの頃”  
        「新学部の発足」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮地 良彦
◇ 【弔辞】(故宮地多喜代様の“お別れの会”にて)・・・・・ 三上 浩佳
◇ ノーベル賞受賞のニュースに接しての雑感・・・・・・・・・・  勝木 渥
◇ 【OB/OGの現場から】第9回 
   「『理系の目』で社会の科学を見直す面白さ」・・・・・・井藤 伸比古
◇ ▼△ウィーン便り△▼ ウィーンの森のギョウジャニンニク・・ 大塚 直彦
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記

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  ■ 新会長からのごあいさつ ■
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                       会長 根建恭典(文理9)
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 本年は信州大学が創立60周年の記念の年にあたり、第12回目の物理会総
会で物理同窓会長に選出されたことは何か因縁めいた感じもします。

 さて文理学部と理学部の物理の卒業生が合同して同窓会を持った当時を思い
起こすにつけ、何か自然発生的に起こった思いがします。そこには、松崎先生、
宮地先生がおられたことが、今日の基となったのだと思い、両先生に感謝をし
ています。

 その後、熱心な幹事、役員の方々の力で、IT技術を駆使し、今日の物理同窓
会を維持しておられることを思うに付け、その会長に選ばれたことは、責任が
重大であり、大変な事になったと思っております。

 同窓会活動はどうあるべきか、定義はありません。少なくとも人間の集合体
であり、出来るだけ多くの人々が集まることが重要であろうと考えます。そし
て、物理学を学んだ同窓生は多岐な分野で活躍しておられます。それらの方々
がGlobalな観点に立って仕事を進められる人間の集団の会として、情報の交換
を密にでき、発展していくならば価値ある同窓会となることであろうと考えま
す。

 最後に、会長の重責を担えられるか、不安が一杯ですが、皆さんのご支援・
ご協力をお願いして、勤めたいと思います。

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    ■ 第12回信州大学物理会総会の報告 ■       
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                   小松 徹夫(理学16S・岡谷市在住)   
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    _       2009年6月6日(土)、信州大学物理科同窓会 第12
   //\     回総会が開催されました。今年は、信州大学60周年
  / / 田\    記念イベントに合わせ、松本の旭町キャンパス 理学部
 / /   \   での開催となりました。
 ~~~~~~~~~~~~~
            初夏とはいえまだ梅雨入り前の幾分涼しい松本の気
候の中、会場の理学部講義棟二階の第三講義室には午前10時頃から同窓生が
集まり始めました。高速道路の上限1000円措置もあり、首都圏近郊より、
前日の深夜あるいは当日の早朝に出発して駆けつけられた同窓生もいらしたと
聞いています。

 予定時刻までに出席予定の30余名の同窓生が集まりました。宮地先生、勝
木先生ほか、初代会長の平林さん、文理2回の竹村さんにもご出席いただき、
定刻通り10時30分より総会開会となりました。

 限られた時間の中でしたが、和気あいあいとした雰囲気で会が進められまし
た。根建副会長の挨拶に始まり、本同窓会名誉顧問の宮地先生、理学部長の武
田先生、今年度物理科学科 学科長の宗像先生よりお話しをいただきました。
宮地先生からは、この教室で講義をされた頃を懐かしむお言葉がありました。

 宗像先生からは、最近の学生の様子についてお話がありました。今の学生は
independent(独立)というよりisolate(孤立)しているとのこと。また、
かつて大学祭時に物理の学生たちが開催していたmeson(カクテルバー)
のようなこともでき難くなっているとのことでした。武田先生からは、ホーム
カミングデーへの参加のお礼と理学部への支援をお願いしたい旨のお話があり
ました。

  続いて、議長に三上さん(文理10)、書記に上条さん(13S)を選出し、審
議事項に移りました。清水事務局長、高藤会報編集長、近藤会計担当、太平学
年&研究室幹事担当などから、2008年度の活動報告、同決算・監査報告、2009
年度予算案、会則の一部変更(学年幹事の定員)の順で説明が行われ、それぞ
れ承認されました。その後、人事案件として、根建新会長、松原副会長ほか小
松新役員が選出・承認されました。

  以上のように審議事項の承認を終えて、議長の解任。そのあと、恒例の写真
撮影を行い総会は閉会となりました。

  物理同窓会の後は、場所を新館に移して理学部同窓会総会が開催され、その
後12時からは理学部同窓会 昼食会となりました。理学部教職員の皆さんを
含め約150名が出席した昼食会では、久しぶりに会う同窓生どうし、昔話に
盛り上がる光景があちこちで見られました。昼食会場前のロビーでは、理学部
の歴史や研究内容にちなんだ展示が行われていました。

  今回は、二十数年ぶりに母校のキャンパスに戻り、懐かしく楽しい一日を過
ごすことができました。来年の物理会総会は5月に東京での開催が決まりまし
たが、更に多くの同窓生、特に若い世代の同窓生の参加を得て、交流の輪が広
がることを期待したいと思います。

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┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓  ┏━┳━┳━┳━┓
┃第┃12┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃=┃審┃議┃事┃項┃
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 6月6日(土)に信州大学理学部内で開催されました第12回総会にて、事務局
から提案された3件の「審議事項」が承認されました。
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【審議事項の決議結果】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(1) 会計報告(決算・予算案)/会計監査報告 →承認 
(2) 会則第12条の「学年幹事を1名」を「学年幹事を若干名」に  →承認
(3) 人事案、会長に根建恭典(文理9)、副会長に松原正樹(文理10)、新役
  員・事務局員として小松徹夫(16S)の加入  →承認
●なお来年の第13回総会は5月に東京で開催すること。総会幹事として、三上
浩佳(文理10)、近藤一郎(12S)、外山元夫(13S)、鳥塚潔(13S)を了承。

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 □■□□■□ 2009年春 卒業生・修了生の進路状況 □■□
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 学部卒の進学者は18名(昨年26名)と大幅減少し、就職が7名(昨年2名)と
増加しました。進学先の内訳については、信州大学大学院へは、04年:13名 →
05年:8名 → 06年:15名 → 07年:14名→08年:14名→ 本年:11名と、ほぼ
安定傾向にあります。就職先は、公務員の学部卒2名と院卒1名の3名を除いて、
ほかは民間企業。そのほとんどが、大手中堅の優良企業で、日立系が3社と目立
っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ■ 学部卒業生/34名 →進学18名 →就職7名 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《進学先》 信州大学大学院工学系研究科修士課程(11) 東北大学大学院(2) 
東京大学大学院(1) 立教大学大学院(1) 名古屋大学大学院(2) 航空大学(1)
《就職先》 
○公務員:2 教員 消防官
○民間:5 (株)アルテクナ (株)日立情報システム 朝日生命 静岡銀行
マルヤス機械(株)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ■ 大学院修士課程修了生/12名 →進学1名 →就職11名 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《進学先》北海道大学大学院(1) 
《就職先》
○公務員:1 信州大学(事務職員)
○民間:10 (株)デンソー アヴァシス(株) (株)フジクラ みずほ総合総研
(株)アドヴィックス (株)日立ニコトランスミッション (株)リケン
(株)豊田自動織機 アイシン・エイ・ダブリュ(株) (株)日立ディスプレイズ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ■ 大学院博士課程修了生/1名  →就職:気象庁
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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             ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
   【信州大学への追想】┃“┃あ┃の┃日┃あ┃の┃頃┃”┃ 連載第4回 
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                   ■ 新学部の発足 ■
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            宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問)
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                  *
         前回までのような経過を経て昭和41年4月から発足した理
   ●●    学部には、それまでの慢性的飢餓状態から抜け出すことのでき
  ●※●   た開放感と同時に、外部から着任した多数の若い教官たちによ
   ●\§  る清新な気風がみなぎっていた。、
    ∞\         
        特に変わったのは学部運営の方針である。まず各学科(生物
学を含む)の意見をまとめるために教室会議がつくられた。学部運営事項は、
学部長と教室会議の代表者各1名による連絡委員会で事前に伝達され、それを
受けた教室会議の意見を総合して細部の打ち合わせが行われ、最終的には助手
以上の全教官で構成される教授会で決定される。(連絡委員会は他の学部でい
う学科主任会議に相当するものなのだが、学科主任という権威的な呼び方を意
識的に避けて命名されたものである。このため求人にきた会社の人事担当者に
は、単なる連絡者と受け取られることも多かったようである。)

 新学部発足とともに多忙を極めたのは、施設整備に関する諸事項であった。
新入生は最初の1年間は教養部に所属するが、2年目からは専門課程に進学し
て来る。それまでの定員30名が一挙に125名になるのだし、教官も年次計画で
増員されることになっているので、教室も研究室も不足する事は目に見えてい
る。

 そこで昭和41年度にはもっとも緊急を要する教養部の校舎が旭町地区に建
設され、それによって空きができた仮校舎に、昭和42年4月から理学部が県
の森から移転した。こうして、旧松本五十連隊の兵舎を改造した建物に仮住ま
いしながら、新校舎の内部施設の設計や、理学部になって毎年碑文される実験
用特別設備の選定等、新しい学部造りのための忙しい中にも充実した毎日が過
ぎていった。

                   ● 大学紛争の頃 ●

  このような時期に襲来したのが日本中を吹き荒れた大学紛争である。信州大
学における嵐の芽は、他大学より半年ほど遅れて人文学部から始まった。

 この学部は建物建設の年次計画の都合上、理学部が旭町地区に移転した後も
あがたの森の文理学部校舎を使用していたが、次年度概算要求に反対する学生
が昭和44年5月末に無期限ストに入ったのをきっかけに、6月には講堂の封
鎖、7月には人文学部本館の封鎖へとエスカレートした。いわゆる中核派を率
いてこの人文学部闘争を指揮したのが、現在の東京都副知事猪瀬直樹である。

 この動きはたちまち旭町地区に飛び火し、8月には大学本部の封鎖、9月に
は完成したばかりの教養部の封鎖、10月には医学部長室及び会議室が封鎖さ
れた。当時理学部の新館建設は2年計画の第2年目に当たり、校舎の西半分は
完成したものの東半分は工事が進行中であったが、この建設途中の新館と理学
部仮校舎を残して、それ以外の旭地区の全部局が封鎖されてしまったことにな
る。

 これに対して当時民青派が多かった理学部学生自治会はいわゆる共闘派に対
抗して木造仮校舎に立てこもり、教官は両派のトラブル防止のため交代で学内
に泊まり込みをするなど、毎日が緊張の連続であった。

 この間両派デモ隊の衝突や投石等の小競合いは日常茶飯事であり、教官側も
大学への警官導入も止むなしとする評議会決定を巡って賛否両論で紛糾した。
今でも記憶に残るのは、教養部が封鎖された日の夜、自主的封鎖解除を叫ぶ理
学部の武装学生集団を、体力では比較にならない教官団が、小人数ながらスク
ラムを組んで押しとどめ、学生同士の流血とそれをきっかけとする警察の学内
強制捜査を回避したことである。

 信州大学のこの大学紛争は、最終的には昭和44年11月半ばに大学関係者
自身の手によって封鎖解除を行うことによって警察力に頼ることなく解決され
たが、一年近くに亘った学園の物質的および精神的な荒廃は、学生間にも教官
相互間にも深い亀裂を生み、その後の大学運営をめぐって大学関係者の間に大
きな後遺症を残したのは不幸なことであった。
  
                   ● 海外留学 ●
 
  昭和45年の2月頃学部長会議では次期学生部長選考が行われていた。この
ころは大学紛争が終わったとはいうもののその余波はいたるところに残ってい
て、学生部長という面倒な役は敬遠する人が多かった。この時どういう訳か小
生の名前があげられて当時の池田学長から打診があったのだが、私はかねがね
在外研究員の申請を出してあり、45年度には採用されることがほとんど決定
していたので、これを理由に学生部長のほうは辞退することをお許し頂くこと
ができた。

 こうして1970年9月から1971年8月まで一年間の海外出張が決定し
た。留学先は、量子力学の建設に大きな役割を果たし、理論物理学ではメッカ
とも言うべきデンマークのニールス・ボーア研究所と、フランスのマルセーユ
にあるCNRS理論物理学研究センターである。

 この年は長男が東京の大学へ、長女は地元の高校へそれぞれ進学して、私の
家庭内の状況が大きく変化した年であった。それまでの狭い大学宿舎における
親子4人の暮らしから、私と長男が一挙に居なくなって家族が半減した家内と
娘にとっては、何とも心細い母子家庭であったようであるが、私自身は未知の
世界への期待で胸を膨らませていた。

 紛争の後遺症の残る大学を後にダイヤモンドをちりばめたような東京の夏の
夜景の美しさを見下ろしながら羽田空港を飛び立った時の心境は、文字どおり
天にも昇る気持ちであった。

 当時の飛行機は狭苦しいDC8で、コペンハーゲンまでアンカレッジ経由北
極回り16時間の旅だった。幸いなことにこの便には大学の同級生で同じボー
ア研にゆくS君が乗り合わせ、初めての空の旅も割に気楽であった。社会福祉
の進んだデンマークは、外国人に対する偏見や英仏等のような先進国意識や高
い気位も見られず、穏やかな国民性もあって治安も良好で、その上コペンには
これも大学同級のM君が半年前からやはりボーア研に留学中であったから、初
めての外国暮らしもなんの不安もなかった。

 デンマークでは、働きすぎの日本では考えたこともなかった週休二日制や右
側通行などに幾分の戸惑いはあったにしても、若い人には英語で十分通用する
ので、デンマーク語は知らなくても生活の不自由さは感じない。ただし大学の
独身女子寮の一階に託児所が設置されていたり、性情報が全く解放的なことに
は驚かされたし、福祉の進んだ国の老人社会の良さと寂しさも垣間見ることが
できた。

 一方明るい陽光の南仏マルセーユでは、紺碧の地中海と穏やかなプロバン
ス地方の解放的な風景の中で、独特の美味しいワインと魚料理を楽しみながら、
全ての雑務から完全に解放された研究生活を満喫すること
が出来た。三島由紀夫のハラキリニュースをBBC放送で      vvv
聞いたときの衝撃、バカンスで訪ねたシャモニーとモンブ   vvv (  )
ラン、帰国直前に襲って来たニクソンのドルショックなど、  ( ) ~|~
海外赤ゲット生活についても書きたいことはいくつかある    ~|~  | /
が、本題から外れることになるので別の機会に譲ることに     |/\|/
しよう。       

(文中の肩書は当時のもので、敬称は省略いたします。)   (以下次号)

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    ■ 弔辞 ■(宮地良彦先生ご令室・故多喜代様の“お別れの会”にて)
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          三上 浩佳(文理10/群馬県立医療短期大学 名誉教授)
----------------------------------------------------------------------
         一昨日、塩尻の赤羽君から、宮地先生からのメールを見た
   (~)    かという電話を頂き、このときはじめて多喜代様の訃報に接、
  (こ※こ)   した次第です。実は十日ほど前、先生に電話を差し上げた折、
   (_)(_)      多喜代さまは鹿教湯温泉で療養中で、リハビリの効果を待っ
        て新設の療養所に移る旨お話がありましたので、その折には
お目にかかれるものと楽しみにしておりました。ご容態が急変されたのでしょ
うか。こんなに早く帰らぬ人となられたことをまことに残念でなりません。ご
遺族の皆様には衷心よりお悔やみ申し上げます。

 多喜代さまご一家が松本に来られましたのは、私が信州大学文理学部の四年
生になった昭和三十六年春のことです。当時の信州大学には理論物理、とりわ
け素粒子物理についての環境は全くありませんでしたので、お堅い素粒子物理
を専門とする方の家庭というのはどんな雰囲気なんだろうかと好奇心を抱いて
いたものです。

 友人たちとお宅にお邪魔したこともありました。昨日お宅でお伺いしたとこ
ろ、お子様たちが小学生のころだったそうでございます。家庭は賑やかで、普
通の家庭よりもっと温かさがあり、何か期待をそがれた思いでした。ごめんな
さい。いやな輩でしたね。そんな中でも多喜代様の言葉は穏やかで美しく気品
にあふれておられました。

 特に私は卒業後の勤務地で先生からご指導いただいた理論物理の勉強を引き
続いてやっておりましたので、時折自分の勉強ぶりを先生に聞いていただきた
く、よく松本に参ったものです。その折は先生宅に泊めて頂き、多喜代さまか
らは美味しい料理や励ましのお言葉をたくさんいただきました。今日までその
当時のままライフワークとして続けてこられたのは多喜代さまのお陰も大きか
ったと思わずにはおられません。本当にありがとうございました。

 そう、このことをお話ししなければいけませんね。確か八年ほど前でしょう
か。多喜代さまと先生、それに私ども夫婦の四人で、白川郷、五箇山から立山
へ旅行したことがありましたね。白川郷ではあの広縁の帽子をかぶって、まる
で少女のようにはしゃいでおられました。五箇山では、先生がようやく図書さ
んのお宅を探し当てられたときは多喜代様も大喜びでした。立山ではゆけると
ころまでゆきました。目の前の剣岳の頂、立山の山小屋も小さく見えました。
めったにない快晴とかで、青い空とまっ白い雪のコントラストが素敵でしたね。

 最近まで年の初めのお便りにこの旅行が楽しい想い出になっていることをお
書きになっておられます。もっとご一緒できる機会を持てたらよかったのにと
残念です。

 懐かしい想い出が頭の中を巡ります。お話はまだたくさんあります。でもも
うお別れしなくてはなりません。さようなら。

 どうぞ安らかにお眠りください。
                        平成二十一年四月二日
                
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   ■ ノーベル賞受賞のニュースに接しての雑感 ■ 
    (“失業理学博士”の問題について)
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                      勝木 渥 (元信州大学教授)
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         ノーベル物理学賞受賞で、日本の物理学者の世界は、お祝
  / ̄ ̄/    いムード一色のように見受けられる。ここでは、やや違った
 / ◆ /~~~/   観点から、この受賞について論じてみたい。
 /    /◇ /    
 ~~~/~   /      日本の物理学界は二つのことで頭を悩ましている。若者た
  ~~~~~    ちの理科離れ・物理離れの傾向と、失業理学博士の大量出現
        である。

 このような状況の克服を目指して、日本物理学会では物理オリンピックへの
参加や、それへ向けての高校生向けの物理チャレンジ事業や、キャリアパス支
援事業(転職奨励・転職支援)の展開などの 努力を続けている。

 三人の日本人物理学者のノーベル賞受賞は、若者の物理離れへの多少の歯止
めにはなるかも知れないが、それはそれで、失業理学博士の潜在的予備軍の発
生につながる。

 衆議院議員石井郁子の2007年12月17日付「質問主意書」に対する文科省の答
弁書によれば、2005年度の博士課程修了者(学位取得者と、単位修得退学者)
は1万5973人、そのうち進学者は90人、就職者は9167人である。単純に計算す
れば、6716人(博士課程修了者の実に42%)が失業状態にある。転職奨励や転
職勧奨の結果、何人かの博士失業者が他分野での常勤の専門職に就きえたとし
ても、上記博士失業者の数を冷静に眺めれば、焼け石に水でしかないことは明
らかである。

 大学教育が崩壊の危機にある今、大学教育の崩壊を食い止めるためには、教
育スタッフの充実が不可避であることは論を待つまい。大学が金銭的経営を第
一義的なものとして運営の基本方針とするのではなく、教育の充実を第一義的
な課題として取り組むことにしさえすれば、博士失業者に対する需要は大いに
あるのであり、現在の厳しい状況はかなり緩和されるはずである。

 ところが、経営優先の思想に洗脳されてしまっている結果、大学で働く研究
労働者・教育労働者である大学教員たちが労働者的見地に立ちえず資本家の論
理に絡め捕られていて、まず教育充実の立場からどんなことがなされるべきか
を考えることを放棄し、そんなことは経営的に無理だと自分自身に言い聞かせ
て、納得させてしまっている。博士失業者の悲惨な現状を知っても、自分の働
いている大学で、非常勤講師の定員化を要求していこうとする運動を起こそう
などとは、夢にも思わない。

 実は私はこの問題で深刻な状況を経験した。それは、30年前1978年に大学の
理学部に入学し、私の固体論入門の講義を聞いて、物性物理学の研究者になり
たいとの夢を抱いた非常によくできる学生が、博士課程のある大学院に進学し、
単位を修得して退学したのち、6年間外国で研究に従事し(外国で学位を取得)、
1994年に帰国したが、ついに定職に就きえず、その後十数年を、共同利用研究
所である「物性研究所」のある研究室に(無給の)外来研究員として籍をおい
て、大学数校の掛け持ち非常勤講師で生活の資を得ながら、細々と研究を続け
ているという事実を知ったことである(2007年度前期には、週当たり15コマの
授業をこなしていた)。

 このことを知ったとき私は、私がかれの物性物理研究志向への最初のきっか
けを与えたのであったのに、かれの大学院進学で私の責任は果たしたという気
になってしまい、かれの窮状を知ろうとさえしなかったことを、私の冷淡さの
現れとしていたく恥じたのである。この反省の上に、私はかれとの協働作業に
よって、かれの状況を詳しく記述した「ある非常勤講師の場合」なる一文を草
して『日本物理学会誌』に投稿し、2008年6月号に掲載された。(なお、この一
文は、日本物理学会の許可を得て、豊島耕一氏の主宰するブログ
(http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/part-timer.html)
に掲載されているので、文章そのものに関心ある向きはこのブログをお開きあ
れ。なお、「ある非常勤講師の場合」と入力して検索すると沢山の記事が引っ
掛かる。興味ありそうな記事を拾い読みされたし。)

 私の上記の反省を、仮に今回のノーベル賞受賞者、特に日本に在住する2人
の上に投影すれば、かれらの受賞が若者たちを物理学に誘う役割を果たすであ
ろうノーベル賞受賞者たちは、「かれらに刺激されて物理学の世界に踏み込む
ことになるであろう若者たちが、やがて研究者の道に踏み出そうとしたとき、
かれらの前に、研究者としてのまっとうな働き場所が準備されているような状
況を作り出しておくべく、奮闘せねばならぬ」との、新たな社会的責任を負う
にいたったのである、といえるであろう。

         (『科学・社会・人間』107号(2009.1) pp.56-57 より) 

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  ┃O┃B┃/┃O┃G┃の┃現┃場┃か┃ら 《 第9回 》
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    ■ 「理系の目」で社会の科学を見直す面白さ ■
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        井藤 伸比古(理学7S 統計研究室・豊田市在住) 03JUN.2009
                              【愛知県豊田市立大林小学校教諭】 
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       かつて統計研で「吉江先生、永井先生と寝食をともに24時間」
 (・>    過ごしていたころのある日、となりの研究室の勝木先生から渡さ
 /彡))    れた板倉聖宣著の2冊の本が、井藤さんのその後を運命づけたと
/ /      いう。現在、小学校の先生をしながら、ハングルなど語学から環
/"?k_      境問題や産業構造の研究まで幅広く著述活動をされています。
       「日本図書館大賞」を受賞するなど、その活躍が注目されます。
      ◎WEB版→ ( http://www.supaa.com/kikou/itoh01.html ) 
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 同窓会誌への投稿の依頼を受け、久しぶりに大学時代に思いを馳せながらこ
れを書いています。

 卒業のとき、恩師のどなたかから「本当に中学校の教師なんかになるの?」
と言われたことを今も覚えています。そんな私も、小・中学校の教師として、
36年目を迎えようとしています。私としては「ごくふつうの教師」のつもりで
すが、ここに投稿させてもらっているわけで「ふつうではない教師」なのかも
しれません。

 現在、私は、愛知県の小学校で「こくさい」学級を担当しています。外国か
らやってきた子どもたち30名に日本語を教えています。子どもたちの父親は、
すべてトヨタ自動車の研修生です。台湾、中国、インドネシア、マレーシア、
インド、タイ、トルコ、ロシア、スリランカなどいろいろな国からの子どもが
います。他に、大人の女性(インド、ブラジル)も5名ほど来ています。英語、
中国語など、いろいろな言語がとびかっています。

 私がこの仕事を任されたのは、私が一冊の本『となりの国の文字 ハングル
を読もう』(仮説社2003)を書いたからでしょう。私は、世界のいろいろな言
語(特に文字)の研究をずっと続けてきて、その成果がこの本になったのです。
「英語」「韓国語」もそれなりにしゃべることができるようになりました。そ
んな私に「こくさい」の仕事が回ってきたのでしょう。

 私には,他にも著書があります。『対数グラフの世界』(仮説社1988 板倉
聖宣と共著)、『資源・環境・リサイクル9 エネルギーと環境』(小峰書店
2002)、『調べようグラフでみる日本の産業6 機械工業と建設業』(小峰書
店2000)です。後の本は、シリーズ全体で「日本図書館大賞」を受賞できまし
た。どの本も,自然科学ではなく「社会の科学」の本です。

 私がどうして小学校の教員をしながら「研究」を続けているのか。特に「社
会の科学」の仕事をしているのか。それは,やはり元をたどれば大学4年のと
きのことのことが大元になっているんだと思います。

 大学時代は、2年3年と「どうして物理学科に入ってしまったのか」と思い
続けていました。物理学の勉強より、クラブ活動(ハンドボール部、フルート
研究会、大学生協の組織部)に専念していました。

 が、4年になって、私の思いはまるっきり変わってしまいました。

 私は、統計研に入れてもらうことができました。4年の学生は3人だけでし
た。吉江先生、永井先生に、寝食ともに24時間お世話になりました。食事を作
って食べたり、先生たちが碁を打っているのを後ろから見ていたり、ときには
マージャンをしたり、楽しい思い出ばかりでした。先生たちといっしょに過ご
す中で、自然と「学問の楽しさ」「人生の辛苦」を教えてもらった気がしてい
ます。

 そんなある日、となりの研究室の勝木先生が、いつものようにお茶を飲みに
いらっしゃいました。そのとき部屋にいた私に、「君は中学校の先生になるん
だろ。だったらこの本を読みなさい」と、2冊を手渡されました。勝木渥「仮
説実験授業的・的授業の試み」『仮説実験授業研究7』(仮説社1976)と、板
倉聖宣他著『物理学入門』(国土社1964)でした。私はその2冊を夢中になっ
て読みました。「なんだ。物理学ってこんなにかんたんだったのか」と、大学
4年にして初めて理学部に入学した気分になりました。

 それ以来、私は、仮説実験授業と板倉聖宣先生のファンになってしまいまし
た。板倉先生の本はすべて読みました。そして月に一度の先生のゼミにも、15
年通い続けました。

 私が社会の科学に興味を持ったのも、板倉先生の影響です。板倉先生には
『理系の視点から 日本史再発見』(朝日新聞社1993)という著書があります。
まさに、「理系の目」で社会の科学を見直すと、新しいことがたくさん見えて
くるのです。月刊『たのしい授業』(仮説社)という雑誌には、私が描いた
グラフが何枚も掲載されています。

 現在、私は、「小学校の教師」「地域で科学教室の講師」をやりながら、社
会の科学のアマチュア研究で、忙しくて楽しい日々を送っています。私がそん
                                な生活を送ることができたのも、元はとい
 \|/                えば「統計研」の先生たち、そして隣人の
 ―●―― / ̄\ ⊂⌒⊃       勝木先生のおかげだと思っています。また
 /|\ /〜〜〜\⊂⊃        いつか、北アルプスが見ながら女鳥羽川沿
 ⊂⌒⌒⌒⊃/人\\\       いを自転車で走ってみたいです。
 ⊂⌒⌒⌒⌒⌒⊃\\\\   

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   ┃大┃塚┃直┃彦┃の┃ウ┃ィ┃ー┃ン┃便┃り

   海外在住者に現地の模様を伝えていただくことになりました。今回は、
   オーストリアのウィーンにある国際原子力機関(IAEA)に勤務する大塚
   さんから。多趣味で知られる大塚さんですが、はてさてどんな話題?
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                          大塚 直彦(理学24S)   
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     o     早いもので、ウィーンに移住して1年半が近づきつつあり
   ⊂二二⊃   ます。IAEAで行っている仕事に関しては昨年既にご報告いた
  ⊂|   |⊃  しましたので、今日はウィーンの森の山菜(?)に関するお
   |___|    話を少し書いてみます。
   ()()()()()   
         ウィーンは、その西部が森に覆われた低い丘陵地となって
おりまして、この丘陵地一帯がいわゆる「ウィーンの森」という地域なのだ思
います。ウィーン市17区(Hernals区、東京都府中市の姉妹都市)の我が家は、
街の中心部から路面電車で20分程のところにありますが、この辺りまで来ます
と、住宅地の中にぶどう畑や林などが点在しており、既にウィーンの森の入り
口らしい雰囲気となっています。またホイリゲと呼ばれる居酒屋もこの森の縁
に沢山並んでいます。
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   ■ ウィーンの森のギョウジャニンニク
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 春の陽気に誘われてこのウィーンの森の沢筋を歩いていますと、にんにく臭
がほのかに香る白い花の見事な群落に出会います。

 この植物をドイツ語ではBaerlauch(ベアラウフ)と言いまして、これを日
本語に直訳すると「熊ネギ」ということなります。

 山菜の好きな人なら、ギョウジャニンニク(あるいはアイヌネギ)という、
日本の野草を連想されるかも知れません。両者いずれも同じネギ属の植物です
が、実際には互いに別種で、ベアラウフの方がギョウジャニンニクより葉がか
なり大きいです。

 信大生時代に入った女鳥羽川沿いの「しずか」という居酒屋にて、初めてこ
のギョウジャニンニクを父親と口にしたのですが、以来、父親ともどもすっか
りギョウジャニンニクの虜になりました。

 大学院生時代に札幌近郊の山にこれが生えてると理学部の友人から聞き、彼
に一度採集に連れていってもらおうと思いつつ果たせぬままでしたが、ウィー
ンにて類縁種ながらその群生地に出会うこととなったわけです。

 この葉を刻めば餃子の材料のうちニラとニンニクが一つで済むこともあり、
こちらの日本人は、葉を刻み挽肉などと混ぜ合わせて、餃子のタネとします。
また、レストランではスープやリゾットの材料となっているのも目にします。
(オーストリア以外にスロバキアやスイスでも同様の料理を目撃しました。)

さて、こんな美味なるギョウジャニンニクもどきなのですが、ウィーンでこれ
を採集する上での注意事項を二つばかり学びました。

 一つは、ツェッケン(Zecken)と言われるダニの一種に対する備えです。ツェ
ッケンは初夏脳炎(FSME)のウィルスを媒介するおそろしいダニで、これに感染
すると、神経麻痺、最悪の場合は死に至ることすらあるようです。(実際2001
年に、日本人旅行者がザルツブルクで刺されて亡くなっている。)中東欧に広
く分布するこのダニにウィーンの森や公園も汚染されていますので、皆さんが
オーストリアを旅行される際には、綺麗な森や公園には要注意です。

 幸い、このウィルスに対してはワクチンが開発されており、これを1ヶ月ほ
どあけて2度、そして更に1年後に1度接種すれば、そのあと3年は効き目が
持続する、ということになっています。僕の職場にも接種キャンペーンのポス
ターが張り出されましたので、2月と3月に二度職員診療所に出かけて接種を
しました。(ちなみに、日本では接種できないんだそうです。)

 もう一つの注意は、スズランと間違えてはいけない、ということです。スズ
ランは見た目も生育地も、ギョウジャニンニクもどき似ているのですが、スズ
ランを間違って食べてしまうと、これも死に至ることがあるそうです。

 スズランの花は5月に駅の花売りに並ぶなどウィーンでも親しまれています
が、あの可憐なスズランに、実は毒があるということをこちらで知り、驚きま
した。先日、ウィーンの森の一角にあるラインツ動物公園に出かけたところ、
ここでは、スズランとギョウジャンニンニクの鉢植えを並べて、両者を混同し
ないように、との注意書きが丁寧になされていました。

 ●Baerlauch「注意書き」の写真:
          ( http://www.supaa.com/kikou/im/otsuka/w01.gif )

 スズランはニンニク臭がしないので、匂いで区別がつきそうなものですが、
採集を始めてしまうと匂いが鼻につくのか、この区別法はあまりあてにならな
いようです。

 こんな恐い話もちらほらとあり、まだお料理には手をつけずじまいですが、
できれば、この春のうちに餃子にチャレンジしたい、と思っています。

 ●『OB/OG』第6回→( http://www.supaa.com/kikou/otsuka01.html )

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 <再録>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
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 1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
 人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。

 2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
 を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
 
 3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
 後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
 関連事務局員に伝達する。

 4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。

 5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
 して、 卒業生からの会費徴収に勤める。

 6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
 その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
 払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
 告し清算する。 

 7.会計年度を4月から翌年3月とする。           ┳ξ
 会計はすみやかに決算報告を作成                  ●●●
 して会計監査担当から監査を受ける。               ●●
                                                  ●
 8.本細則の改正は総会で行う。
            ┏━┳━┳━┳━┓
 ▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
            ┗━┻━┻━┻━┛
 ------------------------------------------------------------------
  ◆郵便局の場合/通常郵便貯金 
  記号:11150 番号:20343411
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1

  ◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
  店番号:421 普通預金 口座番号:650215  
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1
           
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄

◇6月6日の物理総会の後には、理学部同窓会と昼食会、午後には信州大学6
0周年記念行事が開催され、充実した1日を松本で過ごすことができた。法人
化された大学運営は極めて厳しい状況と思われるが、企業から見ても大学内T
LOとの関係など不安な面を感じている。同窓会活動を通して状況把握を続け
つつ、可能な範囲での支援を続けたい。                (HT)
●【OB/OGの現場から】は卒業生の今を伝えるものとして人気ですが、今
回の井藤さんは相当な変わり種(?)。勝木先生から情報を頂戴しました。他
にも、先生を通じて様々な分野で活躍する方々の動静を知ることができました。
今後の編集が楽しくなりそう。勝木先生どうもありがとうございました。
●今号の宮地先生“あの日あの頃”では「大学紛争の頃」のことに触れられて
おられますが、その記憶の正確さに驚きました。当時の様子が彷彿と蘇ってき
ました。また、教官の側から「大学紛争」がどう見られていたかがよく分かり、
ひとしきり当時の雰囲気に返ることができました。                   (MT)
       ○6月6日、松本市で行われた信州大学創立60周年記念行事と
  /\ ☆  物理会同窓会総会、学部ホームカミイング昼食会に参加しまし
 │○│    た。恩師、友人等に会い日ごろの無沙汰えお詫びながら懐かし
 │ │     く語らい合いました。
/| |\   ○物理会総会は40名近い参加者を集い成功裏に終わりました。
 ̄ ̄ ̄ ̄    理学部の中では当物理会が最も活発に活動し、WEBも充実して
 ||||     いる評価を受けました。
       ○ホームカミング昼食会は文理卒者、理学部卒者、現役教師、
学生が一同に集いユニークな会になりました。現役教師の一言自己紹介は、流
石に理系の方々の鋭い発言が有り興味あるものでした。
○大学記念行事は、記念コンサート、記念式典、記念祝賀会と続き盛り沢山で
したが何れも盛況でした。地方の知的文化の発信の担い手として60年存在し
た重みは重く、且つ貴重であり今後も継続すべきものであります。
○会報26号(2009年夏号)は、宮地先生の理学部変遷の連載、勝木先生の一口
辛い記事は、60周年記念に相応しく豪華なものになりました。
○物理卒の【OB/OGの現場から】では、一線で活躍されているユニークな
方々が目白押しに控えております。これらに触発されて、我れもと投稿される
皆様をお待ちしております。                                       (MM)

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■ MAILMAGAZINE BULLETIN 『信大物理同窓会報』0026号(2009年夏号) ■
□ 2009年6月25日  編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10)高藤惇(2S)太平博久(6S)岩田真(19S)
□編集長:高藤 惇 □ 発行人:根建 恭典

             ┌──┐  (http://www.supaa.com/)
               │\/│ (info@supaa.com/) (makoto@insatell.co.jp)
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