[ 信大物理同窓会報0047号(2014年春号) ]
2014年3月29日配信


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          ┃信┃┃州┃┃大┃┃学┃┃物┃┃理┃┃同┃┃窓┃┃会┃┃報┃    
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│田田田田田|          │★ SUPAA MAILMAGAZINE BULLETIN 2014年春号 │ 
│田田田田田|            ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
│田田田田田|──┐■━━■編集・発行/信大物理同窓会事務局■━━■
│田田田田田|田田|             (http://www.supaa.com/) 
│田田田田田|田田|〒390-8621松本市旭3-1-1 信州大学理学部物理教室内
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 ■「旧文理学部物理学科」+「理学部物理科学科」OB&学生と教員の会■
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  ○-- 大学本部が推し進める「信州大学校友会」につい --○    ∩ 
  ○-- ては、予算を大学が出す大学の組織とすると、昨 --○  ⊂○⊃
  ○-- 年末に急転直下に決められ、この3月から運営を --○    ∪
  ○-- 開始。拙速との声もあるようですが、すでにHPも --○   ∞l∞
  ○-- できています。会員の種類は「個人」「団体」と --○   ∞l∞
  ○-- 「賛助」の3種類あり、理学部同窓会は団体会員 --○   ∞l∞
  ○-- として登録しました。当会もこの「校友会」とど --○   ∞l∞
  ○-- う向き合うか、判断を迫られているようです。   --○   ∞l∞
 
      【 I ・ N ・ D ・ E ・ X 】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◇ 新学科長より--大学改革の中の信州大学理学部物理科学科・・・ 天児 寧
◇ 第17回信州大学物理会総会について・・・第17回信州大学物理会総会 幹事
◇ 第17回信州大学物理会総会 記念講演講師から要旨について ・・三上 浩佳  
◇ 研究を続ける =第5回= ・・・・・・・・・・・・・・・・・武田 三男
◇ 人と自然 (「松本平タウン情報」より転載) ・・・・・・・・宮地 良彦
◇ 気象学とともに――岡田菊夫君の歩んできた道 ・・・・・・・小林 善哉
◇ 2014年春 卒業生・修了生の進路状況・物理科学科入試状況
◇ 卒業論文修士論文のテーマ・物理科学科卒業生表彰者に副賞
  ┌─┐┌─┐ ______________________________
◇ │特││集││就職支援セミナー│・│その2│
   ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ■@ 50年前の“今(いま)” ・・・・・・・・・・・・・・・・清水 邦男
  □A 教職をめざすみなさんへ  =第4回セミナー講演記録= ・渡辺 規夫 
  □B 就職について  =第4回セミナー講演記録= ・・・・・・小財 正義
◇ [TOPICS] ・信州大学全学部の東京地区同窓会 ・・・・・近藤 一郎
◇ ▼△ウィーン便り(17)△▼ ブルク劇場を背にカフェに入る・ 大塚 直彦
◇ <再録>「同窓会費」は終身会費として1万円『会計細則』決まる!
◇ 編集後記

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   ■  大学改革の中の信州大学理学部物理科学科 ■
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    天児 寧(新年度理学部物理科学科 学科長/磁性実験研究室教授)
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                    物理同窓会には就職支援セミナー等、学科運営に多大な
  ,,⌒) ?     ご支援を賜り、感謝申し上げます。  
 ⊂⊃ し>     
   \_彡彡       さて、信州大学理学部同窓会報23号の学長挨拶や尾関新
   ┘└      理学部長挨拶にありますように、文科省の「国立大学改革 
            プラン」により、信州大学でも様々な変化が起こりつつあります。
        
「カーボン科学、環境・エネルギー材料科学、ファイバー工学、山岳科学、バ
イオメディカルの研究領域に資源を集中させ、研究を先鋭・高度化する、各領
域の融合による新たな研究領域を創出する」「国内外から優秀な教育・研究者
を配置し、高度な教育研究を展開する、外国人研究者との接触により学生のグ
ローバル化を推進する」ことを目的とした先鋭領域融合研究群が3月より立ち
上がり、物理科学科からは、環境・エネルギー材料科学研究所に宮丸先生が専
任、樋口先生が併任で参加されています。

 全教員は4月から学部を離れ、「学術研究院」と呼ばれる教員組織のなかの
専門分野に応じた学系(物理の教員は理学系)に所属し、教育研究組織等におけ
る教育・研究・運営等には適任の担当者が割り当てられることになります。

 これにより、「人事の円滑化、研究推進の高度化、研究予算の戦略化・効率
化を目指した体制を構築する」「柔軟かつスピーディーな教育、研究体制の再
編が可能となり、高度な研究教育を推進できる」そうです。(学長主導で、お
金を稼げる流行の研究を行う組織のための人事を行いやすくするというわけで
す。) 

 大学改革の流れに沿った理学部の学士課程改革も行われ、「多様な学生がそ
の可能性を伸ばし、社会で活躍できる素地を養える」ように、近い将来、物理
科学科は理学科物理学コースになる予定です。

 入試制度を変え、「グリーンサイエンス(予定)」という理学科共通の科目を
用意し、卒業のための現在のプログラムのほかに、新たに「アドバンス」と
卒業研究を課さない「学際」プログラムを用意して多様な人材に「学位の保証」
を与えることになるのです。

「学生の多様化」への対応のため、物理科学科では物理数学や演習を必修科目
にして効率よく物理学を学んでもらうように2012年度よりカリキュラムを大幅
に変えたところですが、学生の必修単位の取得率の低さに頭を抱えております。

 卒業時に相応しい、基礎の積み重ねである「物理力」の確保、これが大前提
であると思いつつ、今回の理学部の学士課程改革の方向は止む無しか、、、。

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   ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
  ┃第┃17┃回┃信┃州┃大┃学┃物┃理┃会┃総┃会┃に┃つ┃い┃て┃
  ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
 拝 啓 

 陽春の候、皆様におかれましてはご清祥のこととお慶び申し上げます。 

 さて、第17回物理会総会の開催につきましてご案内申し上げます。
 物理会総会は松本と東京で交互に開催しており、2014年は5月24日(土)に
東京で開催します。物理会総会では、年次総会、講演会と懇親会を行います。 

 講演会は、三上浩佳氏(文理10回、元 群馬県立医療短期大学[現 群馬県立県
民健康科学大学の前身]名誉教授 研究分野:原子核・素粒子理論[ハドロン領
域] 特に、 中間子及び核子の散乱構造に関する研究)に、お話しいただきます。 

 何かとご多忙な時期ではありますが、多数の方にご参加いただき、旧交を温
めていただきたくお願い申し上げます。 

 敬 具                        2014年3月吉日 
                           記

(1)開催日: 2014年5月24日(土)午後2:00〜5:00
       ○受付 午後1:45〜    ○年次総会 午後2:00〜2:30
       ○講演会 午後2:30〜3:20   ○懇親会 午後3:30〜5:00 
(2)会  場: 大手町サンケイプラザ(東京・大手町 Tel.03-3273-2258〜9)
(3)講演会:三上浩佳 氏(文理10回:元群馬県立医療短期大学[現 群馬県立
             県民健康科学大学の前身]名誉教授) 
(4)参加費:10,000円(30歳以下7,000円)当日、会場でお支払いください。 
  ■二次会として、宮地先生の卆寿のお祝いを実施する予定です(会費別途) 

 ○WEBからのお申し込みページ→( http://www.supaa.com/meet17.html )

  =第17回信州大学物理会総会 幹事= 
 ■三上浩佳(文理10)■太平博久(理学6S)■近藤一郎(理学12S) 
 ■武原一記(理学22S) ■植田祐子(理学91S) 

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 ●記念講演会演題:「解ったことと分からなかったこと−研究ノートから」
  講師:三上浩佳 氏(文理10回・元 群馬県立医療短期大学[現 群馬県立
           県民健康科学大学の前身]名誉教授)  
  □ 講師略歴: 
  1937年 北海道室蘭市生まれ
  1962年 信州大学文理学部(物理)卒業
  1962年 群馬大学工学部助手
  1970年 同 講師を経て退職
  1970年 群馬県職員(行政職)群馬県立福祉大学校放射線学科勤務(専任
      教員)放射線学科長を経て
  1993年 群馬県立医療短期大学 教授
  2003年 同 定年退職 名誉教授

  □ 研究分野:原子核・素粒子理論(ハドロン領域)特に、中間子及び核
         子の散乱構造に関する研究
 __________________________________
  ◆記念講演講師 三上浩佳 氏 から講演の要旨について
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   《 核子の「仮想の中間子雲」というのは何か 》
 核力のメカニズムは、核子間で「仮想の」π中間子雲が重なりあって、「仮
想の」π中間子を交換するというように説明します。これは電磁力のメカニズ
ムとの類推からきています。この「仮想」の意味がしばらくの間解りませんで
した。英語では「Virtual」ですが、どうも「仮想」という言葉は「Virtual」
を言い当てていないように感じました。
「仮想」という言葉をどのように理解したら良いのでしょうか。また、「仮想
の」雲の実体であるπ中間子は一体どこにあるのでしょうか。これも大きな疑
問です。π中間子は、他の粒子と相互作用するときだけ現れて「仮想π中間子」
を誘発するのか、核子が単独に存在するときはどこにも出てこないのか、どう
なんだろう。あるいは、π中間子は始めから核子に取り込まれていてπ中間子
を含めて「核子」と呼ぶのだろうか。当時、ぞくぞく発見・観測されたπ中間
子−核子系の共鳴状態とからめて私が考えたことをお話しします。

   《 「神様」は味方してくれたか 》
 粒子の散乱現象は散乱振幅というもので記述されます。散乱振幅はとびとび
の(軌道)角運動量の値ごとに部分波振幅と呼ばれる級数に展開されます。こ
れを積分表示に書き換えて論じようとした試みが多くの人によって提案されま
したが、数式がますます複雑になっていきました。自然界の記述はもっと単純
・明快なのではないのかと考え、部分波展開に組み込まれているルジャンドル
の多項式を球ベッセル関数で表現してみることにしました。
 このことはすでに会のHPに掲載済みです。これに至った経緯を若干の補足
を交えながらお話しします。なお、事前に本会HPの拙文「古いがあまり知ら
れていないお話」をご一読下さるようお願いいたします。
( → http://www.supaa.com/kikou/mikami01.html)

   《 新しい散乱振幅で何ができたか 》
 新しい積分表示を見いだす過程で、ルジャンドルの多項式と球ベッセル関数
とが互いにフーリエ変換と同様の関係があることも分かりました。波動や振動
を扱う分野ではフーリエ変換は応答関数と伝達関数の関係に応用されます。こ
れをヒントに新しい部分波振幅に伝達関数を導入して時間概念の無いユカワ型
の相互作用を時間軸方向の相互作用に変換し、全断面積や微分断面積(角分布)
を計算して実験結果と比較してみました。この結果をお話しします。【編集部
註:以下本文の数式がメールでは表示できませんので下記からPDF原文をご参
照ください→ http://www.supaa.com/im/mikami/summary.pdf 】

   《 頭が良いということはどんなことか 》
 頭が良いということはどんなことか。この50年間、いろんな人がいろんな
考えを提案してきて、あるものはいつか消え去り、わずか一握りのアイデアが
生き残って現在の姿になっております。そのどの人も一流の「頭の良い」人た
ちに違いありません。昔から理論物理学の研究者は「頭がいい」人で通ってい
ました。それらの秀才の一部の人だけが成功を収めているわけです。
 そんな世界で「頭のそれほど良くない」私が何かやっても簡単にいく筈もあ
りません。かっての職場でも秀才と目された人が2人、どうもいまく行かず素
粒子論から手を引いて行ったのを目の当たりにした経験があります。
 後から考えると、こういう人たちは知識をため込むことに夢中で何かを創り
出すことをおろそかにしていたように思います。このことは我が国の知的文化
の特徴を端的に表しているかのように思えます。古来から言われている「頭が
良い」というのはどういう意味で使われてきたかを考えてみます。

   《 結局、何が分かって何が解らなかったのでしょうか 》
 ユカワの相互作用について少し理解が深まったようです。でも、当時からπ
中間子−π中間子系やπ中間子−核子系の共鳴状態が低エネルギー領域でも数
多く観測されております。低エネルギーの共鳴現象を高エネルギーでのみ存在
が現れるクオークで説明しようとしておりますが、私には合点がいきません。
これが最も分からないもののひとつです。

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  ■ 研究を続ける  ■   =第5回=  
----------------------------------------------------------------------
  武田 三男(理学4S/素粒子論研究室・信州大学副学長 安曇野市在住)
----------------------------------------------------------------------
┏━━━━━━━━━……−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
┃「テラヘルツ・パルス分光計測システム」の研究にたどり着くまで
┗━━━━━━━━━……−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 この3月一杯で6年間勤めた理学部長職も任期満了に   ┏━━┓
なりますのが、昨年10月から理事の仕事を仰せつかりま ┏━┃田田┣━┓
した。大学の運営・管理の仕事から解放されたら研究生 ┃田┃田田┃田┃
活に復帰したいというつもりでいましたが、まだ当分の  ┃田┃田田┃田┃ 
間は研究に復帰できそうもありません。在外研究での思  ┃田┃田∩┃田┃
い出話の連載記事に今暫く間お付き合い下さい。今回も  ┃田┃田∩┃田┃
プラハ滞在記の続きです。                            ┃田┃田∩┃田┃
                          
   ▼▲ 科研費の特定領域研究に採用される ▼▲

 今回(1996年)の文科省の在外研究に調査・研究に応募する少し前から、フ
ォトニック結晶の研究を当時北海道大学の電子科学研究所の所長をされていた
井上久遠先生と開始していました。この在外研究から帰国し、翌年に科研費の
特定領域研究(B)に「フォトニック結晶」を井上先生と一緒に千葉大学の大高
一雄先生をお誘いし、京大、横浜国大、理研のグループと相談して申請しまし
た。

 このとき、大高先生のフォトニックバンドの理論の他は、ガラス基板に細い
穴を格子状に空けたいわゆるキャピラリープレートのバンドギャップの存在を
小生の研究室のフーリエ変換赤外分光システム(FTIR)による透過スペクトル
の測定で実証した論文が1編のみでした。

 とても採択されないのではと思っていましたが、暗に反して採択されました
(1998~2001年度)。関係する実験の論文が1本だけで特定領域に採用された課
題は後にも先にもこの1件だけと思います。

 フォトニックバンドには格子定数のほぼ2倍の波長に相当する振動数の周辺
にバンドギャップが出現します。したがって、格子定数のほぼ2倍の波長の電
磁波を外側から照射すると、バンドギャップ領域の電磁波は全く透過しません。
透過率が0となりますので、その振動数領域にギャップが存在することが予測
されます。

 しかし、逆に透過率が0の不透明領域が見つかったからといって、フォトニ
ックバンドギャップがその起源とは限りません。基板を構成する物質特有の格
子振動などの素励起による吸収が考えられます。一番確かな検証手段は、直接、
フォトニックバンド構造(電磁波の分散関係)そのものを実験的に決定するこ
とです。

   ▼▲ 電磁波の振幅を直接観測する時間領域分光法 ▼▲

 これまでの分光法は、FTIRにしても回折格子を用いた分散型分光でも電磁波
の強度を測定しますので、その分散関係(エネルギーと運動量の関係)を直接
決定することは原理的に不可能です。

 ところが、電磁波の波形の時間変化を測定する時間領域分光法(TDS:Time 
Domain Spectroscopy)では、波形を測定しますので、電磁波の強度でなく振
幅を直接観測します。また、時間変化を観ていますので、試料中での電磁波の
位相の遅れも同時に独立して測定することができます。

 これは、極めて重要な意味を持っています。位相は試料の光学的長さ(電磁
波の透過した距離と屈折率の積)を波長で割ったものです。一方、波数ベクト
ル(電磁波の運動量に比例)は2πを波長で割ったものです。すなわち、各振
動数における位相が分かるということは、振動数と波数ベクトル(運動量)の
関係(分散関係)が決定できることを意味します。

 以前書きましたが、プラハに来る前の米国のランセラー工科大学を去る前日
にハウス教授に紹介されたのがテラヘルツ時間領域分光(THz-TDS)の先駆け
であるザン教授でした。さらに、プラハのチェコ科学アカデミーで再びTHz-TDS
を開発している研究室を偶然紹介されました。

 このときは、時間領域分光の利点はつゆ知らず、ちょうどTHz-TDSの測定で
きる振動数領域が以前から研究していたソフトフォノンモードの振動数範囲で
ある遠赤外領域に対応していることから興味を抱きました。

   ▼▲ フォトニック結晶の研究を開始する ▼▲

 信州大学に赴任してすぐに、当時(1985年)日本分光の西澤誠治氏にソフト
フォノンモード用に遠赤外領域まで測定可能なマーチン・パプレット型分光装
置の試作をお願いしていました。そこで早速、西澤氏にTHz-TDSについて電子
メールを送りました。大変興味を示された西澤氏は急遽プラハまで駆けつけて
くれました。

 帰国後は、ザン教授に紹介いただいた当時通信総合研究所関西におられた谷
正彦博士(現在福井大学教授)に前述の科研費特定領域の計画班の共同研究者
として加わっていただき、フォトニック結晶の研究を開始しました。

 谷教授は通信総合研究所関西の阪井清美博士と一緒にTHz-TDS装置の開発を
手がけていました。在外研究期間中に、ハウス教授の提案で溝と穴を空けたシ
ルコン基板を外注していましたので、帰国後直ぐにそれらを数枚重ねて作製し
た単純立方格子のフォトニック結晶を通信総合研究所関西に持参しTHz-TDSで
透過スペクトルを測定しました。

 このとき偶然、マイクロ波によるフォトニック結晶の透過測定の論文を読み、
位相から分散関係が決定できることを知りました。早速、THz-TDSで透過位相
スペクトルに適用したところ、ハウスが数値解析した理論予想とぴったりの分
散関係が再現できました。

 すぐに、Physical Review B に投稿し掲載されました。フォトニック結晶の
分散関係をこれほどきれいに決定できた実験研究は始めてではないかと思いま
す。

 通信総合研究所関西は明石大橋の近くにあって松本からかなり遠いことと、
谷教授がランセラー工科大のザン先生のところに留学(長期出張)されたこと
もあり、自分の研究室にもTHz-TDSが不可欠と考える様になりました。

 ちょうどそのころ、西澤氏に誘われて科学技術振興財団(現在の振興機構:
JST)の・独創的研究成果育成事業(1998年度)に「テラヘルツ・パルス分光
計測システム」という課題で申請しました。西澤氏に松本の研究室まで来てい
ただき、申請書を半ば徹夜で仕上げ、受付時間ギリギリに松本中央郵便局の夜
間窓口から郵送したのを思い出します。(締切り日の消印が必要でしたので)
   
   ▼▲ 教養部の所属だったが、優秀な人材が集まる ▼▲

 当時、教養部に所属していましたので、理学部物理学科の学生にはあまりな
じみのない研究室でしたが、海外研修に行く前後から優秀な学生や院生が来て
くれる様になりました。

 フォトニック結晶の研究では、北大の博士課程に進学した河合紀子さんやエ
プソンに就職した青木建光君、帰国後は北原英明君と三好好伸君が一緒に仕事
をしてくれました。社会人院生の北原君はTHz-TDSの開発研究にも大変貢献し
てくれました。学生・院生との思い出についてはまた別の機会をいただけたら
と考えています。

 THz-TDSについては、プレベンチャー事業である研究成果最適移転事業(200
2年度)にも「時系列変換パルス分光法計測システム」が採択され、その2年後
には信州大学発ベンチャー「(株)先端赤外」を西澤社長と設立することがで
きました。

 前々回予告しました、プラハ城と変身のカフカの住居跡や郊外の古城、西澤
社長とのエピソードはまたまた次回以降になってしまいました。再びご容赦を。

                                【 以下次号 】

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    ■ 人と自然 ■    (「松本平タウン情報」2014年3/13より転載)
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            宮地 良彦(信州大学名誉教授・物理同窓会名誉顧問) 
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  (・>   【 宮地先生が地元紙「松本平タウン情報」一面の連載コラム『展
  /彡))   望台』に寄稿された記事のひとつを全文ご紹介します。ことしの
 / /     松本地方は、2月に入ってから2度の大雪に見舞われました。一
 /"?k_     部では1メートルを超すという記録的な積雪でした。そんななか、
      先生は南国の伊勢・志摩の旅に出かけられ……書かれました。 】
     ---------------------------------------------------------

 2月下旬、娘夫婦に連れられて、伊勢・志摩国立公園まで足を延ばした。

 早朝伊那市を出発して中央道を南下すると、駒ヶ根、飯田を過ぎても道路脇
の積雪や一面に白い田、畑など、2週続きの豪雪の跡がくっきりと残っている。

 雪を見なくなったのは恵那山トンネルを抜けて愛知県に入ってからで、名古
屋で伊勢湾を渡ると道路脇には椿が赤い花をつけ、サービスエリアを吹く風も
寒さはない。ミキモト真珠島では、白い衣を翻す海女の貝採り実演にも早春の
気配が漂っている。

 英虞湾に面した宿の名は薬師十二神将のひとつと古風だが、内部は近代的な
和風。3つの露天風呂はすべて家族向け時間予約制である。鶯の笹鳴きを聴き
ながら英虞湾の船溜まりの入り江に弾むように沈んでゆく夕日を眺めていると、
昨日までの雪景色はうそのようである。

 賢島で立ち寄った海鮮屋では、先客の関西弁の二組の夫婦が店長と軽口を交
わしながら、新来の客には荷物を片付けて席を空けたり、店のメニューを紹介
したり、こまめに気づかいをする。一人旅の若者には伊勢名物若布(わかめ)を
差し出して、若者のほうも「これ美味しいわ」と素直に喜んで食べている。

 信州の早春は、菜の花や桜の向こうにきびしい顔をのぞかせるが、伊勢・志
摩では朧にかすむ穏やかな真珠の海である。自然はそれぞれに似た人間を育て
るという感を深くした3泊4日の旅であった。

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     ■ 気象学とともに――岡田菊夫君の歩んできた道 ■ 
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      小林 善哉(理学2S/電子研究室 広島市立基町高等学校勤務) 
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         岡田菊夫君ってだれ? と多くのみなさんが首をかしげて
     vvv    おられることでしょう。岡田君は信大物理同窓生の一人です。
  vvv (  )   岡田君は在学中、自然研を立ち上げたり独学で気象学の勉強
  ( ) ~|~   をしたり、その他にも多方面にわたって実に活動的な学生生
  ~|~  | /  活を送っていたので、信大時代の彼を知る人には記憶に鮮明
 \|/\|/     に残っていることでしょう。卒業後は気象庁気象研究所で、
        「大気エアロゾルの組成に関する研究」に取り組みました。 
         その岡田君についてなぜ本人ではなく私が書くのかと言い
ますと、実は今、岡田君がとんでもないことになっているからです。岡田君は
昨年3月末、突然脳出血で倒れたのです。
   ______________________
    #  岡田君の病状について
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 岡田君が倒れ、入院生活ももうすぐ1年になろうとしています。救急搬送に
より幸い一命は取りとめたものの、今でも立つことも座ることも起き上がるこ
ともできず、ものを言うこともできない状態が続いています。また、左眼と左
耳も機能していない様子とのことです。話しかけても反応がないのでこちらの
声を聞きとれているのかどうかも分かりません。面会してもこちらが一方的に
お見舞いの言葉を述べるだけになってしまいます。

 このような状況下で、奥さんは来る日も来る日も毎日病院に通って岡田君に
根気よく語りかけながら世話をしています。

 また、入院以来、同期生をはじめ先輩・後輩、そして職場の方々も心配して、
次々にお見舞いに行って岡田君と奥さんを励ましています。奥さんは、自分の
知らない人までも、また、こんなにも多くの方々がお見舞いに来てくれること
に驚いていると話していました。

  岡田君と私は1967年(昭和42年)入学の2S生です。教養部のこまくさ寮で
一緒になり、北深志の下宿に移ってからも互いに隣室同士、そして所属の研究
室は共に電子研という間柄です。卒業後は離れ離れでしたが、お互い連絡を取
り合ってきました。

 それで、この度岡田君と親交のあった私が、岡田君の容態やこれまでの岡田
君の歩みについて会報を通してお知らせすることになったわけです。
   ______________________
    #  気象学と岡田君の歩み
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 岡田君は、信大入学以前から気象学に深い関心を持っていました。信大卒業
後は名大大学院に進みました。学位(理学博士)取得後、名大水圏科学研究所
に勤務。その後、気象庁気象研究所に移り、定年まで勤務しました。岡田君の
研究テーマは、名大にいた時から大気エアロゾル粒子(微粒子)についてであ
り、定年までの38年間ずっとこのテーマを追い続けてきました。まさにその道
一筋とは岡田君のことだろうと思います。

 気象研では環境・応用気象研究部第4研究室室長として、研究官、主任研究
官を束ねる責任のある立場にあったようですが、私はそのことを最近まで知り
ませんでした。岡田君がこれまで自分の役職や肩書についてまったく話題にす
ることがなかったからです。同期生同士が付き合ううえで肩書は関係なかった
ということでしょう。いかにも岡田君らしい謙虚な人柄を物語っています。

 岡田君の「気象一筋」ということについてひとつのエピソードをご紹介しま
しょう。彼の家に行ったとき、居間に置いてある気圧計が目に入りました。私
はこれを見て、「さすがは気象研!」と思ったのですが、それは見当違いでし
た。話を聞けば、なんと中学校の入学祝に買ってもらったものだそうです。温
度計なら珍しくはありませんが、気圧計とは驚きました。気圧計を入学祝に買
ってもらうとは、子供の時からよほど気象に関心があったということでしょう。
(補足)後に岡田君は卒研で、「高精度気圧測定装置の試作」に取り組みまし
た。(指導教官:鷺坂修二先生)

 もうひとつ。私は高校で物理を教えていますが、副教材に数研出版の「物理
図録」を使っています。その図録にエアロゾルの写真が載っていた時期があり
ます。その説明文に「気象研究所岡田菊夫氏提供」と書かれていました。それ
を見た私は、この図録を介して思いがけず岡田君にばったり出会ったような気
がしました。同時に、全国の高校生がこれを目にすると考えると大変誇らしく
感じられて、同僚にも見せたことがあります。
   ______________________
    #  後輩の面倒をよく見て慕われる
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ここで私は、気象研での岡田君の研究業績について何か書くべきでしょうが、
残念ながら私は解説するだけの知識を持ち合わせていないのでご勘弁ください。
その代わりに、岡田君が自分の研究について書いたものがありましたので一部
引用し、簡単すぎるかもしれませんが、岡田君の研究内容をご紹介しておきま
す。

「主に電子顕微鏡による分析作業は、大変細かい作業や操作が必要になるので、
ともすれば細かいことがらを研究しているものと誤解されることがあった。し
かし、個々のエアロゾル粒子を直接に観察・分析することによって、例えば、
地球規模の風に乗って長距離に輸送され、その間で組成が変化したことが分か
ると一挙に広い大気で起った過程を想定できるといった醍醐味を味わうことが
できた。」

  岡田君が定年退職する時、後輩が岡田君のこれまでのすべての研究論文、
講演をCDにまとめてくれたそうです。私は、内容は理解できないのですが、岡
田君から1枚いただきました。そして、これも岡田君が後輩にいかに慕われて
いたかを示す心温まる良い話だと感心しました。

 岡田君は定年退職後も気象研で客員研究員(無給)として研究をつづける傍
ら後輩の論文を見てあげるなど、とにかく忙しい日々を送っていました。そん
な岡田君を見て、奥さんはこう言っていたそうです。

「普通、定年退職したらもっとのんびりするはずでしょう。それなのに、無給
のあなたがどうしてそんなに忙しくしなくちゃいけないの、変じゃない?」

 岡田君が倒れた日も、見終わった後輩の論文を郵送して帰宅した直後のこと
だったのです。

 思えば、学生時代も同じでした。岡田君はとにかくじっとしていることがな
く、あちこちよく出かけていました。そして、学年を超えて後輩の面倒もよく
見ていました。それで、下宿にも私の面識のない後輩たちがぞろぞろとよく岡
田君を訪ねて来ていました。気象研でもきっと信大時代と同じように、後輩の
面倒をよく見ていたのでしょう。
   ______________________
    #  健康の大切さについて
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 つい先日、小野田さんの本を読みました。小野田さんは、戦っている以上、
敵弾に倒れる覚悟はできていました。しかし、病気に命をとられるとしたら、
死んでも死にきれないという思いを常に持っていたそうです。そして自らの体
験に基づいて、「生きる上での最大の武器は『健康』」と書いています。(小
野田寛郎著「生きる」)

 一方、岡田君は、血圧が高かったのに喫煙の習慣があり、おまけに医者嫌い
で、病院に行くと時間がかかると言って医者にかかろうとしなかったと聞いて
います。これでは健康管理に無頓着だと言われても仕方がありません。しかし、
私が代わって少し弁解するならば、岡田君の場合、目の前に仕上げなくてはな
らない研究があって、そのため、「健康上多少の無理をしてでもやり遂げたい
(やり遂げなくてはいけない)」という気持ちになり、無理を承知で突っ走る
日々が続いていたのかもしれません。そういう生活を続けているうちに、これ
が当たり前の生活習慣となっていったのだと思います。

 これは岡田君に限らず、仕事で一定の責任を与えられた人はみな同様の思い
に駆られるのではないかと思います。仕事にやりがいを感じる場合は特にそう
でしょう。仕事上の責任と自分の健康との折り合いをどうつけるか、これが難
しいところです。

 仕事を後回しにすると他の人に迷惑が掛かります。他方、自分の健康なら後
回しにしても文句は言われません。しかし、自分が病に倒れた時、家族に降り
かかる精神的苦痛と時間的負担、いつまで続くか分からない経済的負担を考え
るとこれは決してうやむやにできる問題ではありません。

 さらに、どんなに優秀な頭脳を持っていてもそれを発揮するだけの健康な体
がなかったら、何ひとつ達成できないでしょう。それはどんなに悔しく無念な
ことかと思います。

 これは岡田君の奥さんから聞いた話ですが、岡田君が倒れて間もなくして、
中国の大気物理研究所から都市の大気汚染について講演してほしいとの依頼が
来たそうです。岡田君が元気でありさえすれば、中国の深刻な大気汚染やその
ために苦しんでいる多くの人々のために力になることもできたかもしれません。
本当に残念でなりません。

 岡田君のことを踏まえ自戒も込めて書きます。同窓生の皆さん、どうかご自
分の健康管理には十分に気を配ってください。今、岡田君が同窓生の皆さんに
向かって何か言うことができたとすれば、「身体だけは絶対に大切にしてくだ
さい。そして、そのための具体的な行動をとってください」と間違いなく言う
ことでしょう。いや、もっと厳しい警告の言葉を発するかもしれません。
                
                ※

 最後に、皆さん、岡田菊夫という男が信大物理にいたことをどうか覚えてお
いてください。岡田君を知らなかった方は、こういう人物が同窓生の中にいる
ということを知ってください。

 そして、岡田君が何とか回復して、「おい、俺をだしにして勝手なことを書
くんじゃないよ」と文句を言ってくれることを念じつつ拙文を終えることとい
たします。

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  □■□□■□ 2014年春 卒業生・修了生の進路状況 □■□
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 2013年度は前年から始まった企業の広報活動開始が12月と遅くなりました。
そこから会社訪問など就活を行った訳ですが、景気回復の兆しが見られたせい
か、就職はやや広き門となったようです。学部からの就職希望者も増えました。
昨年12名に対してことしは18名でした。     (3月末時点の集計です)

■学部4年 進学希望者 14名 決定(内定)者 14名
      就職希望者 18名 決定(内定)者 15名
■修士2年 進学希望者  6名 決定(内定)者  6名
      就職希望者 14名 決定(内定)者 10名
■博士課程 就職    1名

 ※決定(内定)していない学生には、届けを出していない学生が含まれます。
 ※具体的な進路については次号でお伝えします。
                                       
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  □■□□■□ 2014年度 信州大学理学部物理科学科入試状況 □■□
----------------------------------------------------------------------
 ∩     ●学部:推薦入試は、定員5名に対して8人の志願者があり、前
 ||nnn  年に引き続き志願者が減少した。合格者は3人で、定員に対する不
 l⊃ノ   足は前期日程で補う。一般入試の志願状況は前期3.55倍、後期2.6
 / /    倍で、前期の倍率は例年並みであったが、後期の倍率は年々減少し
      ている。また、今年度は私費外国人留学生入試に香港から1人およ
     び韓国から2人の応募があり、1人の合格者を出した。

 ●大学院:平成25年度は志願者数が減少し、理学部の3専攻の全てで定員割
れが起こった。例年一般選抜を6月と秋の2回実施し、1月に2次募集をする
ことで定員を確保できていたが、今年度は3次募集をすることとなった。物理
が関係する物質基礎科学専攻は、3次募集の結果定員充足率100%となったが、
他の2専攻は定員を大幅に下回った。早急に改善することが求められている。
                                             (志水久/91SA・記)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ■ 理 学 部 出 願 状 況(2014年確定志願者数)

  学  科     前期 (A)(B)(C)   (D)(E)  後期 (A)(B)(C)    (D)(E)
----------------------------------------------------------------------
数理・自然情報科学科 25 58 2.3	(3.6)(2.9)   27 131 4.9 (6.7)(7.9)
物理科学科            20 71 3.6 (3.2)(4.2)     10  26 2.6 (4.4)(4.6)
化学科                15 55 3.7	(3.0)(3.3)     15  49 3.3 (3.3)(3.6) 
地質科学科            10 27 2.7 (2.2)(1.9)     15 162 10.8 (8.3)(8.6) 
生物科学科            15 51 3.4	(1.9)(3.5)     15 209 13.9 (6.1)(9.4)
物質循環学科          10 40 4.0 (2.8)(4.2)     10  97 9.7 (4.3)(13.5)
----------------------------------------------------------------------
(A):募集人員 (B):志願者数 (C):志願倍率(倍) (D):昨年志願倍率(倍)
(E):一昨年志願倍率(倍) 

 上表のように、前期ではおおむねどの学科も3倍ていどの志願者数を確保し
ています。物理科学科の前期は3.6倍でした。物理の後期日程は志願者数を減
らして2.6倍とやや寂しい数字となりましたが、合格者は前期を数名多めにし、
その分後期を少なめに選定した模様です。後期日程で目立つのは、地質、生物、
物循といった非数学系の学科に受験生が殺到して、軒並み10倍に達しているこ
とです。
 信大全体では、大学合計の募集人員[()は昨年の数字]:1610(1607) 志願者
数:9638(7842) 倍率:6.0(4.9)となり、昨年より志願者数にして904人増え、
倍率は1.1倍も増加するといった伸張ぶりでした。特に医学部医学科の後期は、
募集人員45人に対して1699人の応募があり37.8倍の人気ぶりでした。信大医学
部卒の夏川草介氏作の小説「神様のカルテ」が映画化されヒットしていること
と関係があるかのかどうか。     (信大物理同窓会報編集委員会・記)
                   
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 ┃卒┃業┃論┃文 ┃修┃士┃論┃文 ┃の ┃テ┃ー┃マ
 ┗━┗━┗━┗━ ┗━┗━┗━┗━ ┗━ ┗━┗━┗━       
  本年卒業・修了された方々の論文のタイトルを以下にご紹介します。
 ________________________________
  ◎  理学部
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 土本 航也:コリメータ、シンチレータ一体型SPECTの検証
 村上 正鷹:PET用シンチレータのLu崩壊によるバックグラウンド測定
 脇坂 尭行:ガス増幅における光検出の研究
 梅村 知史:ニュートロンモニターとミューオン計で観測された南北異方性と
       宇宙線密度勾配のエネルギー依存性
 沼田  翔:宇宙線長周期変動のエネルギー依存性
 和泉 昌希:VoyagerとIMPで観測された太陽圏の銀河宇宙線強度の長周期変動
 飯島 麻衣子:宇宙線太陽時日変化異方性の年周変動
 本澤 裕:名古屋多方向ミューオン計で観測された宇宙線の太陽時日変化異
      方性とその長周期変動
 釜谷 拓:汎世界的宇宙線観測ネットワークを用いたイベント時の宇宙線密
      度の研究
 高橋 一馬:大気吸収線の環境依存性
 衣斐 崇展:超対称性について
 毛利 蔵人:電磁統一理論
 武智 敦史:量子色力学
 柳田 秀明:ニュートリノ振動の現象論入門
 大田 啓:ブラックホールについて
 沼井 一憲:一般相対性理論
 中島 寛人:余剰次元について
 清水 翔太:弦理論について
 山田 優樹:Ni2Mn1+xIn1-xの磁性研究
 森田 紳太郎:Fe1-xCoxRhの磁性研究
 鈴木 拓也:Ce2Fe17-xGaxの磁性と磁気冷凍特性
 木村 祥一:Hf1-xTxFe2(T=Zr,Y)の磁性研究
 山田 慶太:Eu2Ni3Ge5の電気抵抗・磁化測定
 飯塚 将馬:EuAl4の圧力下電気抵抗測定
 岡崎 友哉:Ce化合物の単結晶育成と物性
 仲屋 諒一:CeGe2の高圧下電気抵抗測定
 尾花 秀和:開口アレイにおける電磁波伝播特性の解析
 杉岡 翔太:電気粘性流体の分子動力学法による検証
 福永 岳:2次元イジングモデルにおける相転移のシミュレーションによる
      研究
  小俣 恭平,三木 瑛奈,石川 圭佑:スピントロニクス
 ________________________________
  ◎  修士課程
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 水瀬 友豪:Heusler合金Pd2Mn1+xSn1-xの磁性研究
 松村 涼也:金属間化合物YFe12-xGaxの磁性研究
 市瀬 和也:磁場下超伝導体に対する電流密度汎関数理論
 高橋 栄也:金属の微視的な電磁場応答理論
 佐藤 直:テラヘルツメタマテリアル材料の加工及び評価方法の高速化
 川島 徳巳:メタマテリアルバイオセンシングにおける水の影響
 島田 翔平:人工微細構造体による誘電率及び透磁率の異方性を利用したテ
       ラヘルツ光制御に関する研究
 堀越 聖篤:一般相対論におけるADM形式について
 佐藤 彰寿:局所化を用いたAdS/CFT対応の評価
 後藤 裕平:6次元時空上における世代の統一
 宮崎 高大:SciCRT検出器による宇宙線ミューオンの観測
 岡本 理奈:星形成領域における近赤外DIBsと電離フラーレン(C60+)の関係
 小山田 涼香:レンズクエーサーを用いた多視線による高赤方偏移吸収体の
        諸性質の解明
 堀内 貴史:アウトフローガスとクェーサー光度に見られる時間変動の相関
       関係
 笠間 啓太:ILCにおける長寿命スタウの探索可能性
 浜崎 竜太郎:ILC実験のための半導体光検出器の基本性能の研究
 小川 智久:ILC実験のためのシンチレータ電磁カロリメータの研究
 迫 邦洋:コリメータとシンチレータ一体型検出器によるSPECT装置の性能評価
 宮下 雄起:計算機シミュレーションによるPET装置の研究
 小倉 隆義:Compton散乱を取り入れる高検出効率PETの検証
 ________________________________
  ◎  博士課程
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 山崎 真:次世代PET装置のための基本検出器の時間分解能の研究

  ※修士論文・博士論文は印刷物として学科に保管されています。

======================================================================
     ┃物┃理┃科┃学┃科┃卒┃業┃生┃表┃彰┃者┃に┃副┃賞┃
      
   ◎3月25日(火) に信大松本地区の合同卒業式が、松本市のキッセイ文化
   ホールで開かれました。午後からは各科に分かれて卒業証書の授与式が
      行われ、物理は2階3番講義室に集合。学科長の樋口先生から、出席者
   全員に証書が授与され、その後、成績優勝者にも表彰状が授与。さらに
   当会から、今回で5回めとなる副賞(あずみ野ガラス工房製の【貝がら
   フォトスタンド】)が贈呈されました。

   【表彰者】・卒業生(4人) 岡崎友哉 土本航也 中島寛人 福永岳

┌─┐┌─┐ -----------------------------------------------
│特││集││就│職│支│援│セ│ミ│ナ│ー│・│そ│の│2
└─┘└─┘└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─└─
======================================================================
│特││集│@  ■ 50年前の“今(いま)”  ■                    
----------------------------------------------------------------------
        清水 邦男(文理11/松崎研 松本市在住)
----------------------------------------------------------------------
  V ?    【 卒業後、誰しも最初に就いた職場ではまったく初めての体験
(∵)     と試練が待ち構えています。元当会事務局長の清水邦男さんの
 \(@)⊃     場合、弱電メーカーに就職してテレビの開発に七転八倒された
〜〜〜〜〜〜 ご様子。50年前の記憶をたどって、書いていただきました。】
       --------------------------------------------------------

   ○ 就 職
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 昭和38年4月(1963年)大阪の家電メーカーに就職。テレビ事業部に配属され、
テレビの開発設計に従事することになった。

 テレビの歴史は、大正15年(1926)12月25日、浜松高等工業学校の高柳健次郎
先生が、世界で初めて、ブラウン管を利用した画像の送受信実験(「イ」の字の
送受信)に成功して以来、昭和28年には白黒テレビ(14インチ)が発売され、昭
和34年の皇太子ご成婚のテレビ放映を機に一気に普及が進んだ。

 私が就職した38年には、テレビの大型化が浸透し、ブラウン管も高角度化した
ため、奥行きの長い14型に替わり、短いスマートな19インチが主体となっていた。
	
 カラーテレビの普及は昭和34年に始まったが、当時は1インチ1万円を上回り
大変高価であった。しかし、昭和39年10月の東京オリンピックを機に急速にカラ
ーテレビの普及が進み、昭和44年には年産483万4000台に達し、世界一位となっ
た。この間、昭和43年頃からは各メーカーが小型化、軽量化、省電力化を目指し、
カラーテレビのオールトランジスター化の開発に主力を置き始めていた。

   ○ カラーテレビのトランジスター化の問題点
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 カラーテレビのトランジスター化に於ける最大の問題点は、画面の水平振幅と
ブラウン管用の加速電圧を担う水平出力段の信頼性にあった。特に当時の三原色
を得るためのシャドウマスクを使ったブラウン管では高い輝度を得るために1イ
ンチ当たり1,000V以上の電圧が必要であり、16インチのテレビであっても20,000
Vに近い高電圧がブラウン管に印加された。(水平出力回路の構成は図1に示す)
                       【 図1 http://www.supaa.com/im/shimizu/01.gif 】

 当時の水平出力トランジスターはシリコンNPNであり、でベースコレクター間
の耐圧規格は約1,000Vであった。実際の動作時のコレクターパルスの大きさは、
600〜800Vであり定常時の動作には余裕があったが、ブラウン管内部での高圧放
電(DC放電)とか高圧印加電圧の放電(コロナ放電)により、いとも簡単に出力
トランジスターがフエィルダウンしテレビが動作を停止する確率が極めて高かっ
た。

 従って、この点について安定した対策を取らない限り製造ラインに流すことは
不可能であった。

   ○ 出力段破壊の原因追求と対策
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 当時、水平出力段の破壊原因として2つの説が有力であった。トランジスター
内部における熱集中による破壊。耐圧オーバーによる、一時ブレークダウンとそ
れに次ぐ二次ブレークダウンによる破壊。
	
 それぞれ根拠を持った仮説であったので、あれやこれやと思い悩んだが、ふと
物理の基本に立ち戻り、破壊のその瞬間に何が起こっているかを掴むことが一番
と心に決めた。

 当時、電気的な現象を記録する装置として、ストレージ型のオシロスコープが
有効であったので、ヒューレットパッカード社の高級な機種を揃えては見たが、
ストレージそのものの解像度の悪さ、トリガーポイントを有効に設定できない等
の問題により明確な破壊現象をとらえることが出来なかった。試行錯誤の結果最
終的に採用した方法は、VTRを使った連続的な波形の記録であった。

 VTR記録の利点としては次の2点がある。帯域幅が10メガほどあり記録に十分
耐える。何度も再生出来、必要に応じストップモーションも行える。

 当時、VTRはまだ家庭用として殆んど市場に出ていない時期であったが、幸い
にもソニーの16インチテープを使用した工業用VTRが入手できたので、それを改
造し、水平出力トランジスターのコレクター電流を電流プローブで拾いVTRに入
力し、コレクターの電圧波形は分割し低減し同じくVTRに入力した。

 その状態でVTRを録画状態でスタートさせ、高圧電圧をコロナ放電させ出力ト
ランジスターを破壊させ記録を取った。結果は、図2のように耐圧オーバーによ
り破壊に至る現象が旨く捉えられた。
	               【 図2 http://www.supaa.com/im/shimizu/02.gif 】

 記録によれば、トランジスターのカットオフ期間に発生した耐圧をオーバーし
た電圧印加によりブレークダウン電流が発生しトランジスターが破壊に至ること
が解る。
	
 これにより、最終的に図3に示すクリップ回路を挿入することにより、ほぼ完
璧に出力段の破壊を防ぐことが出来、トランジスター化カラーテレビ生産のオン
ラインが実現した。   【 図3 http://www.supaa.com/im/shimizu/03.gif 】

 50年前のセピヤ色の記録ではあるが、今も変わりが無いと思える、企業が社員
に求めるものの一端を感じていただけたら幸いです。

---------------------------------------------------------------------- 
 │特││集│A  ■ 教職をめざすみなさんへ ■
                      =第4回物理学生への就職支援セミナー講演記録=
----------------------------------------------------------------------
    渡辺 規夫 氏(4S/素粒子論 元上田東高等学校教頭 上田市在住)
----------------------------------------------------------------------
   l l    【 昨年の支援セミナーの講師・渡辺さんは1969年の入学組。
   l ヽ    学園紛争で東大の入試が中止になった年です。教職に就いて
  ┏∪ww┓     生徒や授業とのさまざまな格闘のなかから「仮説実験授業」
 ´ ̄ ̄ ̄ ̄∩   にたどりつかれたという。この日も実験用具を身に着けたい
 ln_□_n ll   でたちで熱弁をふるわれた。退職後も、再任用教諭として母
 l∪  ̄ ∪ ll   校の上田高校や野沢北高校で教鞭を執っておられます。】
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''  ----------------------------------------------------

 │■ 教員は専門の知識や経験がなければ成り立たない専門職
 └───────────────────────────────
 40年教員をしてきました。私自身は教員としては特殊な生き方をしてきたの
で今回講演を依頼されたとき、お引き受けするかどうか少々迷ったりしたので
すが、皆様の参考になればと思い講演をお引き受けすることにしました。

 最近の教員は世間のバッシングを受けたりしていて、なかなか大変です。だ
から教員になると大変だろうなと思う人が多いかも知れません。教育という仕
事はもちろん大変ですが、大変というだけでなく、すごく楽しい仕事です。こ
のことはあまり知られていないようです。今日は、教育という仕事はとても楽
しい仕事であるということをお伝えできたらと思っています。

 世の中の人はみな長い期間にわたって、教育を受けてきています。そこで多
くの人は教育についてよくわかっていると思っているようです。

 しかし、よく考えてみましょう。医者にたくさんかかった人は、医学につい
てよくわかってくるのでしょうか。そんなことはありません。医者によくかか
っていれば医者になれるわけではないのと同様に、教育をたくさん受けてきた
からと言って教育者にになれるわけではありません。この点を世間の多くの人
たちは誤解しているように思います。

 実際、現在の英語教育がなってないと言って、資格をとって教員になったも
のの1年でクラスが崩壊し、退職した人もいます。社会人から教員に転職して
うまく行かない人もたくさんいます。民間人校長も一部の人を除いては、失敗
した人の方が多い。教職は激務なので民間会社にいた人は体力的に続かないと
いうことも多いのです。教育とは何かをわかっていると思って教育の世界に飛
び込んできた人たちの多くが失敗しているという事実に着目してほしいと思っ
ています。

 教員は専門職なのです。そのためには専門的力量を持たなければ出来ません。
医師が専門的力量がなければいけないように教員も専門的力量が求められる仕
事なのです。教職を目指す人は是非このことを知っててほしいと思います。

 生徒の時、自分は物理が好きだったので、物理の教員になろうと考える人が
います。自分が物理が好きという人が物理の教員になれば生徒も物理好きにな
るかというと、大抵はそうなりません。教育実習で楽しかったので教員になろ
うと思った人もたくさんいます。しかし、教育実習で教育という仕事に魅力を
感じて教員になったものの、うまくいかなくて悩んでいる人がたくさんいます。

 教育実習はいわば「試験管の中の実験」のようなものです。試験管の中でう
まくいくことも、生産現場の工場ではそのままでは大抵うまく行きません。現
場では試験管での純粋培養のようにはいかないことが多いように、教育の現場
に出ると教育実習のようには行きません。

 │■ 考えられない低学力の生徒たちと物理の授業をどうするか
 └───────────────────────────────

 まず、自分の教職歴をお話して自己紹介しながら、教職につくということの
意味と心構えについてお話ししたいと思います。

 私は1969年の4月に信大に入学しました。東大の入試中止の年の入学です。
大学紛争が激しかった時代で信大でも入学式粉砕というデモにより歓迎された
入学式でした。今の猪瀬東京知事が中心になって全学ストライキをしていた時
代でした。私の学生生活は物理の勉強もそこそこに、学生運動の議論に明け暮
れていました。

 大学4年生のときに教育実習をしたら生徒が非常に熱心に質問をしてくれて、
うれしくなって教員になろうと思うようになりました。私の卒業した年の就職
率は20%を切っていたと思います。信濃毎日新聞の調べでは信州大理学部の就
職率は17%程度だったと思います。世の中は高度経済成長の時代で何もかも右
肩上がりの時代だったので、多くの学生は就職できないということをあまり気
にしていませんでした。何とかなると思っていたのです。そのくらい求人が多
い時代でした。

 そんな時代1973年に教員になりました。その年は、第一次ベビーブームと第
二次ベビーブームの谷間の時代です。私が教員になった年以後、毎年中学卒業
生数が増え、高校進学率も上昇したので、高校入学者数が毎年増えていきまし
た。すると、当時の高校の教員の常識からすると、考えられないほどの低学力
の生徒が入ってくることになりました。

 そんな中でやる授業はなかなかうまく行きませんでした。これは学力が低い
というだけではありません。勉強することを拒否しているのです。拒否してい
るなら、学校に来なければいいと思うところですが、そういう生徒たちは学校
には来るのです。学校には来て、授業を妨害するということをやっている。

 当時は学校では非行、犯罪行為が続発していました。校内暴力ということが
大きな社会問題になった時代でした。クラスの生徒の問題行動を指導するため
の家庭訪問を1年間に300回もしたという教員もいました。そのくらい問題行
動が多発していたのです。家庭訪問に1日に何軒も回ることがあるという状態
でした。

 そういう中でやる物理の授業は授業として成り立ちませんでした。これは私
ばかりではない。非常に多くの先生方が授業が成立しなくて苦しんでいたので
す。

 │■ 『科学と方法』という本で仮説実験授業と出会う
 └───────────────────────────────
 私は、高校生のときは物理が得意だったので、高校で物理を教えるのは簡単
だと思っていました。ところが、実際に教壇に立ってみて教えることが非常に
難しいことに驚きました。教育実習とは大違いです。教科書を読んでみると、
当たり前のことしか書いてないと思われて、説明することがないと思いました。
読めばわかることをどう説明したらいいのだろうかと思ったのです。

 先輩の先生にそのことを相談すると「先生にとって当たり前のことが、生徒
には全然当たり前でないのだ」と教えられました。実際その通りでした。どう
説明しても生徒は理解しない。どう説明したらわかるだろうかといろいろ試行
錯誤しましたが、うまく行きませんでした。

 実は私は大学生のとき、科学史に興味を持ち、科学史の勉強を進めていまし
た。科学史の成果を教育に生かすことを考えていたのです。科学史の流れに沿
うことで授業はわかりやすくなるのではないかと思いいろいろやってみました
が、生徒は興味を示しませんでした。みなさんが教員になるとまず最初に感ず
ることは、生徒はなかなか興味を持って学んでくれないということです。自分
がとてもおもしろい話だと思って話してもそれをおもしろがる生徒はほとんど
いませんでした。

 そんな中で、自分の科学史の勉強の一部として『科学と方法』という本を読
みました。そしてこの本に本当に驚きました。この著者の板倉聖宣さんは科学
史家であるとともに、仮説実験授業という授業の提唱者です。この仮説実験授
業について勉強してみるとそこには驚くべき授業の記録がありました。

 そこで、自分も仮説実験授業をやってみることにしました。実際にやってみ
ると思っていた以上に生徒の反応がよくてびっくりしました。それだけでない。
自分自身がこの授業を楽しんでやっていたのです。それ以来仮説実験授業をや
るということが自分の中で仕事の中心になりました。

 この仮説実験授業という授業は科学史の研究成果をもとにした授業です。

 科学史というのは初めてそのことを問題として取り上げた人たちが、何を考
え、どう実験して自然についての認識を得ていったかという歴史です。過去の
科学者たちの研究過程を追っていくと、過去の科学者たちが、思いもよらない
理屈を立てて考えているのに出会って驚きます。科学史上の大科学者の書いた
本を読むと何を書いているのかわからないところがあります。これは今日の結
論から歴史を眺めているから理解できないのです。当時の人たちの立場に立っ
て考えるともっともな考えである場合が多いのです。

 生徒が学ぶときも、生徒は教師が思いもよらない理屈を立てます。生徒に結
論を覚えさせる授業をしていると、生徒は自分の頭で考えないので変わった考
えは出てこないのですが、生徒に考えさせる授業をすると驚くべき考えが出て
きます。教師の能力で非常に重要なのが、この生徒の考えがわかるということ
だと思います。

 私は、最初は「生徒は最も基本的なことがわからないのだから、その基礎か
らきちんと教える。」という意識で授業をしていたのですが、そういう授業は
あまりうまく行きませんでした。生徒の考えを理解し、共感し、その考えを尊
重するようになるにつれ、私の授業の技量が上がってきたように思います。

 │■ 仮説実験授業とは一体どういうものかを紹介します
 └───────────────────────────────
 そこで、仮説実験授業とはどういう授業か知ってもらうために、みなさんに
生徒になったつもりで、仮説実験授業の一部を受けてもらおうと思います。

 ここに、豆電球と電池とブザーがあります。こことここをつなぐと豆電球が
光り、ブザーが鳴ります。この回路の一部を切って、間に1円玉を入れたら豆
電球はつくでしょうか。こういう問題を生徒に出したら、生徒はどういう予想
を立てるだろうかということを予想してみてください。

「豆電球はつくという予想を立てる生徒が多数派だろう」と思う方。10人です
ね。「豆電球はつかないという予想を立てる生徒が多数派だろう」と思う方。
6人ですね。

 では、実験してみます。(1円玉を回路に入れると豆電球はついた。)

 1円玉はアルミニウムでできています。このように電気をよく通します。正
解は「豆電球はつく」です。授業でこれを聞くと、生徒がどのような予想を立
てるかというと、実は、大多数の生徒は「豆電球はつかない」という予想を立
てます。次に10円玉についてやってみます。これは豆電球がつきます。この
問題は大部分の生徒の予想は当たります。

 こういった実験を通じて何を教えようとしているのでしょうか。実は、「金
属とは何か」ということを教えているのです。金属とは何か。それはこの装置
で判定できます。これで豆電球がつくのは、金属と黒鉛だけです。金属とは何
か。金属とは金属光沢を持っているもののことです。自由電子を持っているも
のは金属光沢を持っているのです。金属とは自由電子をもつものということが
できます。金属だけが金属光沢を持っているのです。それは金属だけが自由電
子を持っているからです。

 さて、ここに銀紙があります。銀紙は銀色しているので金属のようにも思え
ます。しかし、銀紙は紙の一種です。紙は電気を通しそうもありません。生徒
に予想を立ててもらうと、豆電球がつくという生徒とつかないという生徒がい
ます。実験してみると、(やってみる)このとおりつきます。銀紙はアルミ箔
を紙に貼ったものです。これは金属です。

(いろいろ実験してみて)では、水はどうでしょう。これは水道水です。

「豆電球がつく」と思う人。多数。「豆電球はつかない」と思う人。少数。

(実験)やってみるとこのとおりつきません。この水には金属光沢がありませ
ん。ですから、水は金属ではありません。豆電球がつくほど電気を通すのは金
属と黒鉛だけです。このことは先ほど言いましたが、多くの人はそのことをも
とに予想を立てるのではなく、自分の考えで予想を立てています。生徒も先生
に教わったことをもとに考えたりしないのが普通です。多くの生徒は自分の直
観で考えます。これは必ずしも悪いことではありません。

 それでは食塩水はどうでしょう。これは飽和食塩水です。(実験してみる)

 やってみると豆電球はつきません。食塩水が電気を通すと言っても、金属に
比べればはるかに少ししか通しません。ですから、豆電球がつくことはありま
せん。(極板を大きくして極板間の距離を小さくするとつくこともある)

 これは「金属とは自由電子をもつもののことである」ということを教える授
業です。授業の一端を経験してもらいました。(半導体も金属光沢を持ってい
ますが、豆電球がつくものとつかないものがあります。授業ではそのことには
この段階では触れません。)

 教師はしばしば生徒の間違った考えを正そうとしますが、この仮説実験授業
では生徒が間違えることを大切にしています。予想が当たったら「しめた!」
です。予想がはずれたらこれも「しめた!」です。間違った考えは教師が訂正
するのではなく、実験をもとに生徒が自分の考えを修正していくことが大切な
のだと考えているのです。

 │■ 生徒の創造性を伸ばすには自ら創造的に生きねば…
 └───────────────────────────────
 なぜこのような授業をするのでしょうか。正しい考えを最初から教えた方が
効率がいいのではないでしょうか。

 日本は既に最先進国になりました。教えられたことを覚えていくという人間
はこれからの時代あまり役に立たないでしょう。これから必要な人材は創造性
のある人間です。新しい問題に取り組むときに、仮説を立て、実験して確かめ
るという仮説実験的認識論の立場に立つことが必要なのです。これは物理学の
研究の方法そのままです。

 現代という時代は、過去の経験があまり役立たなくなってきている時代です。
事実、セブンイレブンの会長の鈴木敏文さんは、社員に仮説を立てろと繰り返
し言っています。これまでの企業では何を仕入れるかは幹部の仕事でした。と
ころがセブンイレブンでは何を仕入れたらよいかを社員に考えさせています。
そして、その仮説は当たらなくてもよい。当たらなければまた別の仮説を立て
ればよいと言っているのです。セブンイレブンではその結果大きな収益を上げ
るようになっただけでなく、社員は商売が楽しくなってしまったのです。

 もう時代は、言われたことをやるという時代でなくなっています。自分で考
えることが大切なのです。自分で考えるとは何か。それは予想を立てて実験す
るという仮説実験的認識論を使いこなせる人間になるということなのです。学
校教育の場でもそのような人間を育てるべき時代が来ているのです。

 これから大切なのは生徒の創造性を伸ばすことです。創造的に生きていない
人間は創造性を伸ばす授業はできません。毎日新聞の調査では、高校の理科の
教員の7割は自分の授業が生徒に嫌われてると思っているということです。現
場にいて、だいたいそんなところだろうと思われます。そういう教師に創造性
を伸ばす教育はできません。ところが、その調査によると9%の教員は自分の
授業が生徒に好かれてると感じているということです。生徒の創造性を伸ばせ
るのはこの9%の教師の中にいるのです。仮説実験授業をやっている教師はそ
の9%の中に入っています。教職を目指す人はこの9%の中に入れるようにし
てほしいと思います。その場合は毎日の授業が楽しくてしかたがないというこ
とになると思います。

 国際学力テストで日本の一番の問題点は、学力ではなく勉強が嫌いという生
徒が多いということです。実は学力が高いということで評価されているフィン
ランドも勉強が嫌いという生徒が多いのです。勉強が嫌いな生徒は創造性が育
つことはありません。今必要なことは学力ではなく、理科好きな生徒を育てる
ことなのです。

 現在、全国的に理科の教師が不足してきています。特に、物理の先生が不足
しています。これは指導要領が改訂された結果、物理を勉強する生徒数が増え、
それに対して先生の補充が間に合わないからなのです。そこで各県の教育委員
会は物理を専攻してきた人を教員として採用しようと躍起になっているという
状況です。物理学科の学生さんにとっては千載一遇のチャンスが来ているとい
うことなのです。

 物理を教えるということは簡単ではありません。しかし超人的努力をしなけ
ればできないというほど難しい仕事ではありません。うまく行かなければ大変
苦しい仕事ですが、うまく行けばとても楽しい仕事です。

 教員には専門の知識が必要ですが、知識だけではだめです。教員として一番
肝心な力は生徒の気持ちがわかる力です。仮説実験的授業をやることは生徒の
気持ちがわかる教員になるための一番の近道となるように思います。

 私の教員生活はあとわずかです。私の話が皆さんのお役に立てばこんなうれ
しいことはありません。

 ご静聴ありがとうございました。
	
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 │特││集│B  ■ 就職について ■
                      =第4回物理学生への就職支援セミナー講演記録=
----------------------------------------------------------------------
    小財 正義(06S/宇宙線 元カネテック株式会社社員 松本市在住)
----------------------------------------------------------------------
  ~^l~l^l~^l   【 昨年の支援セミナーの講師・小財さんは2012年3月に修士
  \人人人ノ    を出ていったん就職しましたが、半年ほどで辞職し、再度信
   |||| /   大大学院の博士課程に入って研究活動を続けています。講演
  \l|||/    の内容もその辺の事情を中心に話されました。年齢が近いだ
  ┌───┐    けに聴衆もひときわ熱心に耳を傾けていました。】
                -------------------------------------------------------

 │■ なぜ就職したのか、就職先としての会社を選んだ理由
 └───────────────────────────────
 自分は信大の博士課程1年の小財です。宜しくおねがいします。2012年の4
月に大学院の修士を卒業し、一度会社に入って今年度から博士課程へ入りまし
た。今博士課程で大学院で研究しています。就職支援セミナーなのに辞めた話
をするので断ろうかと思ったんですけど、「色んな方向性でキャリアを考えて
欲しい、自分の思ってることを話してほしい」と言う事だったんで話させても
らいます。

 もともとなぜ就職したかというと、修士の時から研究を頑張っていましたが、
研究というのは孤独な作業でして、まあ、研究というのは一人で一生懸命やっ
ていると、だんだん考えが煮詰まってきて、何のために研究をしているのか分
からなくなることがあります。まあ、みなさんも大学や大学院に入っていろい
ろやるだろうけれど、そういう風にだんだん自分の研究のモチベーションが分
からなくなる。会社に入れば、お客さんを相手でやりがいとか実感が持てるん
じゃないかと思って、開発職という仕事に就けることから会社に就職しました。

 それから研究をしていると、物理の社会というのは狭い業界だな、と思って
20代半ば、大学にこもっているのは何だかもったいないなと思ったのが就職し
た理由の一つでした。
	
 それでカネテック(カネボウ系)株式会社に応募しました。この会社は上田
に工場がある社員数600人程度の中規模の会社で、磁石の応用機器を作ってい
ます。磁石の応用機器というと、まあいろいろあるんですけど主力商品に磁気
チャックといって、工場で生産するラインの製造工場で金属加工で電磁石で固
定して作業するという製品。そういう磁気チャックとか、磁選機といってリサ
イクル工場の中で磁石を応用してごみの中を磁力を使って銅とか鉄とかの金属
を分別する。自分はこのリサイクル工場の中の磁選機の設計を会社入って半年
ちょっとくらいやっていました。

 カネテック株式会社を選んだ理由は作っているものが結構ユニークで面白そ
うなものを作っているのと、自社で材料から最終製品まで全てやっている。ま
あ中規模の会社で自分で考えて主体的に動けるかもしれない。仕事を選んでや
っていけるんじゃないかなというのもひとつありました。それから雰囲気、就
職活動をやって結構いろんな会社を見ましたが、過剰な宣伝をするような、こ
の会社に入るとこんな人間になれますよ、みたいなそういう強烈な宣伝をして
くる会社が多いんですけれどカネテックは結構自然な雰囲気でまじめそうで選
びました。
	
 │■ 再び物理に関係した仕事がしたいという思いが……
 └───────────────────────────────
 3か月間の研修の後、半年くらい設計の仕事をしていました。はじめは仕事
を覚えるのに必死で、例えば研修で工場へ入ると旋盤という装置で金属を加工
したりとか、全くやったことのない仕事ばかりでした。考える暇もないくらい。

 多分皆さん方も就職したら始めは仕事を覚えるのに必死になるのじゃないか
と思います。だんだん仕事を覚えてくるんですけれども、そのうち今やってい
る仕事に興味がなくなってくる。気がつくと仕事がいやになって週末遊んだり
とか。その頃始めたスポーツにボルダリングというのがあってそういうものを
会社が終わってから練習に行ったりとか、会社の仕事よりそういう趣味とか遊
びとかに重きを置いているのに気がついて、そういう風に仕事に興味はなくな
っている中に仕事を続けていてもさらに仕事への興味を失っていることに気が
つきました。

 まあ皆さん聞いたことがあるでしょうけど「サザエさん症候群」といって日
曜の夜になると月曜日仕事があるので憂鬱になって夜も眠れないくらい。月曜
日は憂鬱で寝不足。仕事始めると金曜日に調子が出てくる。土日健康な状態で
また月曜日になると寝不足でだるくなってくる。半年たってそういう状況にな
ってきました。

 就職する前は大学という狭い社会で、会社に入ったら入ったでまたそういう
狭い社会にいる。こういう環境がいいからこの会社を選ぼうというよりも、や
はり自分の欲しい環境があったら自分で作っていかないと、どこへ行っても同
じことなんだというのが一つありました。

 そう言う事を考えれば考えるほど10代の頃から勉強してきた物理。その物理
に携わる仕事、物理に関係した仕事がしたいなという感覚になってきました。
やっぱり、その頃仕事に興味を失っていたんですけれど修士とかで研究をして
いたころ、自分が一番頑張れた、物理に打ち込めるというのが分かってきた。
博士課程に進学をして物理の研究を目指していこうと決めました。

 │■ 上司に会社を辞めたいと相談する勇気
 └───────────────────────────────
 今決めても一番の問題として入学金とか生活費をどうするか? 奨学金を借
りてアルバイトで何とかやっていけるかな、と簡単に計算しました。多分大丈
夫だろうなと思ったけれどぎりぎりになりそうです。

 ただまあ、自分で勝手にそういう事をきめてもやっぱり会社に入ってすぐ辞
めるのはかなり自分勝手だなと…。結局上司に会社を辞めたいと相談するのに
約一か月くらいかかりました。なぜそんなにかかったというかと、会社に行く
までは会社を辞めると言うつもりでいても、いつもどおり仕事をしていると言
い出せなくなる。一方で自分は物理の研究をしたい。会社から家へ帰るとまた
仕事を辞めたいと思い、会社に行くとまた言えなくなってしまう。そんな風で
なかなか言い出すことが出来ませんでした。

 そんな状態で、まあ今日こそは言ってやろうと決意。一か月くらい後に言う
ことができました。このように、会社を辞めたいと言うことはたいへん勇気が
必要だったんですけど、高校卒業した段階だったらそう言うことはできなかっ
たと思います。大学にいて少しは成長したのかなと思いました。

 多分、上司にそういうことを言ったら喧嘩みたいになって辞めることになる
だろうな、と思いながら言ったんですけど、結局意外とあっさり進んで2か月
くらいで会社を辞職できました。いろいろ会社の人に怒られたりすると思った
んですけど、そんなこともなく逆に送別会まで開いてくれたりしました。すご
くいい会社だったなと思います。

 それから、親にも相談したんですけどあまり反対とかしなかった。自分で決
めたことだから、自分で責任をとるようにとそれだけでした。会社を辞める時
に分かったんですけど会社を辞めたら周りの人にどう見られるか、みたいなこ
とがあってそれで言い出せなかったんですけれど、案外みんな他人には興味が
なく自意識過剰だったのかなとも思います。多分、人が決めたことに干渉した
くなくて応援だけしてくれる人が殆どだと思います。

 │■ こだわろうというものがあれば、それを重点に就活を
 └───────────────────────────────
 テレビとかを見ると、最近の若い者はすぐ会社を辞めるだとか、そういう雑
音に左右されてしまいます。やっぱり自分で考えたことは割り切って行動すれ
ばいいんじゃないかと思います。

 それからやっぱりきっちりと段階を踏んで行動することが会社を辞めたりす
るときは大事じゃないかなと思います。自分はまず上司に相談して、上司の判
断に任せる。それから会社の役員の方たちと話し合いもきっちりと行ったので、
多分最終的に応援してくれたんだと思います。やっぱり入って一年もたたずし
て辞めると言う事は迷惑なことなんです。そういうことをしてしまうには段階
を踏んで誰にも悪い思いをさせないことが重要だと思います。

 それから、就職活動のとき「やりがい」とかの視点から見ていると、結局ど
こがいいのか訳が分からなくなります。自分にとって大切なものが何かひとつ
でも満たせていればそれで結構満足してしまうものなのじゃないかなと思いま
す。やはり、結局会社は自分のためにあるわけではない。給料とか福利・厚生
なんて欲を求めてもあまり仕方がないんじゃないかと思います。自分がこだわ
ろうというものがあれば、それに重点をおいて就活をすればいいんじゃないか
と思います。

 実際自分もこれから就職する必要があって、研究者の就職ってのは全然いい
話題じゃないけれど。実際に将来仕事があるかわかんないですけれど、今は好
きな物理の研究をして充実していますし、将来お金に貧乏しても物理の研究を
していくことができればいいなと思っています。

 それから先ほども少し言ったように、修士の勉強研究をしていると何のため
に自分がこれだけ頑張っているのかわかんなくなる事があったんですけど。今
はとにかく研究をがんばらないといけない状況になってしまったので、結構割
り切って、そういう悩みとかなくなって研究できています。皆さんそういう風
な悩みを持ったときにはまあ自分が追い込まれる状況になるまで悩めば、楽に
なれるんじゃないかと思います。

 全然まとまってない話でしたがこれまで思ってきたことを話して終わります。
     	
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ┃T┃O┃P┃I┃C┃S┃ 
   ┗━┗━┗━┗━┗━┗━  
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ┃信┃州┃大┃学┃全┃学┃部┃の┃東┃京┃地┃区┃同┃窓┃会┃

   ◎ 2014年2月1日、今年もアルカディア市谷で開催された。今回の参加
   人数は約110名だった。山沢学長をはじめ大学本部関係者10名、各学部
   同窓会代表7名のほか、全学部から卒業生が集った。

	当同窓会のルーツが文理学部の同窓会であったため、卒業学部別に見
   ると文理学部卒が20名と多いものの今や最多ではなくなった。昨年、同
   窓会東京支部を起ち上げた経済学部卒の参加者数が毎年増加しており、
   今回とうとう20名を超えてきて最多となった。3番目が10数名参加した
   工学部卒であった。理学部卒からは6名が参加したが、残念ながら今年
   も2桁にはならなかった。

	東京同窓会の目玉は、これまでの全卒業生の中から毎年1人の講師を
   指名する講演会だ。今回は人文学部1971年卒の青木歳幸・佐賀大学教授。
   佐賀大学では地域学歴史文化研究センター長を兼務しておられる。

	演題は「幕末から明治期の信濃の医学」であったが、江戸時代の初め
   までさかのぼって、江戸期の日本の医学の実態が語られた。農民の識字
   レベルがとても高く、農民の子供も寺子屋で字を学んでいた。信州の寺
   子屋の数は全国水準より多かったという。

    同窓会が終了するとまもなく、次の総会の講師探しを始める。ほぼ1
   年かけて準備しているのだから、毎年おもしろい話を聞くことができる
   道理だ。

    後半に2時間ほど時間をとって実施される懇親会は、数年前から出身
   学部の壁を取り払ったことが特長だ。8〜9名が掛けるテーブルは、あ
   えて出身学部や年齢がばらばらになるよう、あらかじめ指定席にしてあ
   る。こうした工夫が、世界が広がるという好評化につながって、若い人
   のリピート参加につながってきている。

	2009年に全学部から役員を出してもらう「東京同窓会」として設立し
   て以降、参加者の減少が止まって、世代交代しながら100名を超える数
   をキープしてきた。それ以前は、文理学部卒の方々だけでほとんどすべ
   ての準備をしていたのだ。今では、全学部から役員が出てきて準備をし
   ている。

	しかし、その後新たな人が幹事に加わってくれないため、講演会・総
   会の司会者や、懇親会の司会者を固定せざるを得ないなど、再び新たな
   人手不足問題が発生している。

	物理同窓会の皆様、毎年2月の第一土曜日に東京・市ヶ谷にて開かれ
   る東京同窓会とはこのように学科・学部を越えた人脈作りができる場で
   す。当日の参加より一歩進んで、東京同窓会の世話人をやりたい方もぜ
   ひ名乗りを上げてください。
             
           (報告・近藤一郎 理学12S/信大東京同窓会副会長)

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  ┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━┏━ ┏━┏━┏━
   ┃大┃塚┃直┃彦┃の┃ウ┃ィ┃ー┃ン┃便┃り ┃第┃17┃回
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  ◎ブルク劇場を背にカフェに入る
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              大塚 直彦(理学24S/国際原子力機関・IAEA勤務)
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   (((人)))      さて、いつものようにウィーン便りの原稿締切があっとい
   (|δ δ|)   う間に来てしまったのですが、今回はどうにも皆さんに提供
   _\▽ /    できるような面白いネタが思いつきません。前回のウィーン
   > ζ       便りを投稿したのが確か12月初頭、その後1月半ばまで日本
  (∋人 ̄ノ     で長い冬休みを過ごしたからかも知れません。カフェに入れ
        ば何か思い浮かぶかな、と今日は仕事を少し早目に切りあげ
てから市中のCafe Landtmannというところに9時過ぎにやってきました。
                            (18MAR.2014)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ 防寒着の上着はガルデローベ(クローク)に預ける
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 このカフェは旧市内外を隔てるウィーンの城壁を取り除いて造った「リンク」
という環状通りに面していて、カフェの隣にはブルク劇場、向いにはウィーン
市役所やウィーン大学があり、いずれも立派な建物です。

 ブルク劇場はフィガロの結婚などのモーツァルトのイタリア語オペラ、また
ベートーベンの交響曲1番などが初演された歴史のある劇場で、ただ、第二次
世界大戦末期に空襲で焼失してしまい、現在建っているものは再建されたもの
のようです。

 ウィーンの市内を歩いていると古い建物がよく残っているように見えるので
すが、1938年のアンシュルスというナチスによるオーストリアのドイツへの併
合後、1945年にソ連軍がウィーンを陥落させるまで、ウィーンは大戦下では枢
軸国側におかれ、空襲の被害を受けました。例えば、リンク沿いにて威容を誇
る国立オペラ劇場も、空襲で破壊されその後復元されていたことを最近写真展
示で知ってて驚きました。

 さて、そんなブルク劇場を背にカフェに入ると、防寒着の季節ですから上着
をガルデローベ(クローク)に預けることになります。学生時代に松本の音楽
文化ホールに足を運んだ頃を思い起こそうとしても、果たしてあそこに上着を
預けるようなところがあったか全く思いだせないのですが、、ウィーンでは人
が集まるところ、殊に音楽ホールのような場所では、こちらが預け賃(といっ
ても1ユーロほどですが)を節約すべく上着を着たまま突進しようとしても、
かなりの確率で「上着はガルデローベに預けてくれ」とおばさん(あるいはお
ねえさん)にとおせんぼされてしまいます。

 いまはなきリンク劇場というところが1881年に大火災を起こして何百人とい
う死者を出しました。事後検証から観客の上着が避難の障害となり犠牲を拡大
させうる、という教訓を得たようで、それ以来、上着をガルデローベに預けさ
せる、ということがウィーンでは徹底されるようになったようです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ どうにも筆が進まない時にはこのカフェにやってくる
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 さて、注文したグヤーシュスープ(大7ユーロ)を食べ、いま2杯目の白ワ
イン(1/8リットル、一杯4.5ユーロ)を飲み終わったところで、アップ
ライトピアノを弾いていたピアノマンは今日の仕事を終え、ピアノの蓋をしめ
てしまいました。

 この天井の高い立派なカフェは日付が変わる時間まで営業していて、いまは
もう11時30分。店内は大分閑散としましたが、それでもまだ6組くらいの人達
がテーブルを囲んで談笑をしています。 

 職場でも自宅でもどうにも筆が進まない時にはカフェにやってくるわけです
が、ここだと結構筆が進むもので、気づくと閉店時間、そして路面電車の終電
電の時刻も迫り、走って電停に向かう、ということになります。

 スペインのとある大学での特別講義のための準備を突貫作業でこのカフェで
行ったのはもう何年も前の夏の初めのことでしたが、空調がなく窓の開け放た
れた店内で、ピアノマンがピアノを弾きながら蚊を叩く音を傍らに講義の準備
をしたことを懐かしく思い出しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■ IAEAでは専門職員の雇用契約は原則7年まで…
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

 さて、IAEAでは専門職員(秘書、技術職員などの現地採用ではない職員を指
す)に対しては雇用契約が原則7年までしか結ばれず、定年を迎えてめでたく
年金生活に入る、あるいは母国の出向元に戻るような人々を除くと相当部分の
専門職員達は、7年後には新たな職を求めなければなりません。

 もっともIAEAらしい仕事をしている査察局の専門職員は、査察官の教育訓練
等にかかるコストなどとの関係から、例外的に半数を超える専門職員が7年を
超えて雇用されているようで、査察局には長年勤めておられる邦人職員が複数
おられます。しかし、査察局以外では私の知る限り邦人職員で長年勤めておら
れる専門職員の方は一人しかいません。

 かくいう私も早いものでこの2月で7年目を迎えることとなります。

 今回はカフェの話でなんとか原稿を埋めましたが、これから季節も良くなり
ますので、お便りの内容を生み出すような生活ができるように努めてみたい、
と思います。(とここまで書いて電停に向かって走る。)

 ●『OB/OG』第6回→( http://www.supaa.com/kikou/otsuka01.html )

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 <再掲>■「同窓会費」は終身会費として1万円。『会計細則』決まる!■
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 1.同窓会費は終身会費として1万円とする。一括払いを原則とするが、本
 人からの申し出があった場合は事務局長が分割払いを認めることができる。

 2.事務局長名で金融機関に同窓会の口座を設ける。事務局長が通帳・印鑑
 を 管理する。会計担当がカードを管理して口座からの出し入れなどを行う。
 
 3.在校生からの同窓会費徴収は、事務局が徴収日を決めて実施する。徴収
 後、在校生の会費支払い者リストは、すみやかに会長ほか、会計担当および
 関連事務局員に伝達する。

 4.金融機関への振込み手数料は会員の負担とする。

 5.会計担当は、年1回開催する総会を利用したり、メールで呼びかけたり
 して、 卒業生からの会費徴収に勤める。

 6.毎年開催の同窓会総会における参加費の徴集など会計管理については、
 その年の幹事が担当し、事務局が補佐する。必要経費は事務局から事前に仮
 払いのかたちで支出できる。幹事は開催後しかるべく早く収支を事務局に報
 告し清算する。 

 7.会計年度を4月から翌年3月とする。           ┳ξ
 会計はすみやかに決算報告を作成                  ●●●
 して会計監査担当から監査を受ける。               ●●
                                                  ●
 8.本細則の改正は総会で行う。
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 ▼下記いずれかの口座に┃同┃窓┃会┃費┃のお振込みをお願いします!
            ┗━┻━┻━┻━┛
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  ◆郵便局の場合/通常郵便貯金 
  記号:11150 番号:20343411
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1

  ◆銀行の場合/八十二銀行 信州大学前支店
  店番号:421 普通預金 口座番号:650215  
  口座名義:信大物理同窓会 代表者 武田三男(たけだみつお)
  住所:390-8621 松本市旭3-1-1
           
 ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ ◎編集後記◎/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄
●・・同期(2S)入学の岡田菊夫君が倒れてから、1年が経過しました。彼に 
 ついて、今号で小林善哉君に人となりを書いていただきました。子どものこ
 ろから気象に興味を抱き、信大ではサークル・自然科学研究会設立の中心メ
 ンバーでした。その後も、気象一筋に研究活動つづけてきました。現在、神
 奈川県内の病院に長期入院中。なんとか“再起”を、と願ってやみません。
       ●・・新年度の物理科学科長に就任される天児先生の巻頭の一
  /\ ☆   文は、コンパクトですが、現在進行形の大学改革の全貌が網
 │○│     羅されているようで衝撃的に受け取りました。文科省からの
 │ │      交付金が年々減額されるなか、生き残りをかけた改革は待っ
/| |\    たなしで、巨大な圧力の下で大変革が進められていることが
 ̄ ̄ ̄ ̄     分かります。理学部創設以来馴染んできた我が「物理科」も
 ||||      「科」として存続できなくて消滅する運命のようです。学長
        を先頭に、信州大学の英知を集めた今回の大学の改革と物理
 学科のさまざまな変革が実り多い結果をもたらすことを願いたい。 (MT)
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○・・ネット上で誰でも受講出来る形で公開されている大学講座(大学教育プ
  リグラム)がありますMOOC (Massive Open Online Course)。世界の有名大
 学の講義が無料で受講出来るもので、恵まれた環境にあります。また受験熟
  の講義が無料で受講出来るサイトもあります MANAVEE 。高額な塾費用を払
 えない者に対して学習の機会を与える為に、ある大学生が立ち上げたもので
 あるそうです。講師はこれに賛同する大学生達です。
○・・両者共にその一部を見て聞いて見ました。前者は、自分の専門分野でな
 らどうにかついていけるか難しいコースです(言語が英語です)。後者は、
 講師が素人ですので伝え方が稚拙ですが、学ぶ気がある、目的のある学生に
 取っては価値があります。
○・・こう云ったものに対する賛否両論、功罪半ばしますが、今日のネット社
 会ではこれを使う者と使わない者との格差は、経済格差、教育格差と共に大
 きいと思います。当物理同窓会もこのネット環境をどのように有効利用する
 かが課題です。                        (MM)
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■ MAILMAGAZINE BULLETIN『信大物理同窓会報』0047号(2014年春号) ■
□ 2014年3月29日  編集・発行/信大物理同窓会事務局
《編集委員》松原正樹(文理10) 藤惇(2S) 渡辺規夫(4S) 太平博久(6S)
□編集長:藤 惇 □ 発行人:根建 恭典

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