■赤い惑星〜火星研究史のおさらい
赤羽 徳英(文理第10回卒/長野県塩尻市在住)        13JAN.2007

「小生が天文に興味を持つに至った理由は自分自身でもわかりません。いつ の間にかなんとなく興味がわいてきたような気がします。特別な動機はありません。農家育ちで、周囲には人工的な光がほとんどありませんでしたので、自然現象としては星空しか知らなかったのでしょう」と語っておられます。昨(2006)年の冥王星騒動については、「8月に世界天文連盟で決定された通りでして、矮惑星(dwarf planet)に分類されています。月などの衛生を除いた太 陽系天体は惑星・矮惑星・小太陽系天体に分類される事になりました」とのこと。今回は、氏の「火星研究」に寄せる強い思いの一端を開陳していただき、さらには、多くの方々の宇宙物理学入門への一助となれば、とお考えのうえで寄稿していただきました。

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1.古代ローマでは火星は軍神

 古代人にとって火星は神秘な惑星でした。あの赤みを帯びた不気味な色は人々に血の色を想像させ、恐怖感を与えました。古代ローマでは火星は軍神でありましたので、星占術師は火星の動きを予測し、吉凶の日を定めたり、戦いの勝ち目を占ったりせねばなりませんでしたが、他の惑星より複雑な動きをする火星は星占術師を悩ませました。

 中世になるとコペルニクスの地動説(1543)が現れました。しかしまだ惑星の動きを満足には説明できませんでした。それは惑星の軌道は円であるという大前提にたっていたからです。円は完全無欠なものであり、円軌道以外はあり得ないとコペルニクスは信じていました。

 観測値に近づけるためには、コペルニクスの地動説は天動説と同様に、円軌道の上にさらに小円を必要としました。特に火星は、軌道離心率が大きいですから、円軌道からのずれが大きくなります。

 コペルニクスの地動説から3年後に生まれたチコ・ブラーエは火星をはじめ惑星の位置測定を精力的に行いました。チコ・ブラーエは天動説を信じていたようですが、いずれの説であれ先ずは観測であるという信念を持っていました。観測誤差は1分角以内という正確なもので、その精度の高い資料は弟子のケプラーに受け継がれました。

 ケプラーは火星の天球上の動きを再現できる軌道は太陽を焦点の一つとする楕円であるという結論に達しました。楕円軌道は他の惑星の動きも忠実に再現でき、1610年に第一法則(楕円軌道の法則)と第二法則(面積速度一定の法則)を公表しました。1618年には第三法則(調和法則)を世に出しました。

 1642年のクリスマスに生まれたニュートンはケプラーの経験法則を理論的に証明しようと研究に励み、あの有名な法則を発見しました。今では万有引力を記述する方程式を解き、ケプラーの法則をいとも簡単に導き出しています。しかし、振り返れば、火星の不気味な色は人々の関心を引きつけ、火星の複雑な動きはケプラーの法則の発見となり、そしてそれは万有引力の法則の発見を促しました。以降科学は急速な発展を続け、生活の向上に貢献しています。私たちがこんにちあるのは火星のお陰かも知れません。

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2.巨大運河を造る知的生物が

 大きな望遠鏡ができるようになりますと、火星の話題は茶の間にまで持ち込まれるようになりました。それは19世紀後半のことです。イタリアのスキヤパレリは火星にスジ状の模様をいくつか見つけ、それをcanaliと名付けました。

 スキヤパレリはchannels又はgulliesという意味でそう呼んだのですが、そのニュースが伝わった諸外国では運河と訳しましたので、世間は大騒ぎです。そのスジ状の模様は極地から低緯度方向に向いていました。それ故、極地の雪解け水を砂漠に引く灌漑用水路だというわけです。

 当時既に火星には四季の変化のあることが知られていました。春から夏にかけては暗い模様が濃くなり、秋から冬には淡くなります。その季節変化から火星には植物が繁茂していると信じられていました。2年後に再び火星が近づいてきたときのスキヤパレリの観測はさらに人々を興奮させました。前回の観測では1本であったスジのあるものは平行に走る2本のスジに増えていました。数千キロメートルに及ぶ巨大運河を造る知的生物が火星いると言うことで、火星人ブームとなりました。

 火星人は我々地球人を遙かに超えた知能を持っているから、頭が大きいであろう。火星では空気が薄いから、胸は大きく鳩胸であろう。重力は小さいから大根足は必要でない、スリムな脚線であろう。こうして火星ちゃんのイメージができあがりましたが、20世紀の初めには火星人ブームは終わりを遂げました。

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3. 30億年ほど前の火星には海や湖も

 宇宙時代になってからは静かな火星ブームが続いています。将来的には火星を第二の地球にしようというわけです。しかし、現在の火星環境は地球人には厳しいものです。空気は極端に薄く平均気圧は6hPaほどで、地球のオゾン層当たりと同じ気圧です。

 余談ですが、火星には海がありませんので、地形の標高を表す基準面として、平均気圧が6.1hPa(水の3重点)のところを採用しています。火星上で受ける単位面積当たりの太陽エネルギーは地球の半分以下で、非常に寒い世界です。赤道地方でも日中の最高気温は260K、日の出直前の最低気温は195K(Path finderの観測)まで下がります。

 冬の極地は厳寒です。あまりにも気温が低いですから、空気が凍ってしまいます。火星では炭酸ガスが大気の95.4%も占めているからです。次に多いのは窒素で2.7%、その次はアルゴン1.6%です。酸素は0.13%、水蒸気は0.03%以下です。冬の極地方ではドライアイスの雪が降るのです。それが積もって雪原となり、春先になると極地方は白い帽子をかぶっているように見えます。

 それ故、極地方を覆う雪原は極冠(polar cap)と呼ばれています。春が近づき極点近くまで日が差すようになりますと、極冠はとけ始めます。このように火星では空気が凍ったり蒸発したりしていますから、気圧は大きく変動します。平均気圧から10%以上も増減します。

 かように現在の火星は厳しい環境になっていますが、30億年ほど前の火星には海や湖ができていたと推定されています。現在でも地下に多量の水が氷として閉じこめられている可能性が高いと言われています。水があれば植物の繁殖は可能であり、炭酸ガスに満ちた空気を酸素の多いものに変え得るであろうと想像されています。

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図1.火星(Hubble Space Telescope)。上の白い楕円形の模様は北極冠。
図2.スキアパレリ(Schiaparelli)のスケッチ。上が南。
図3.日本語の地名がつけられたカセイ谷(NASA)。水が流れた跡と言われています。



●「信州大学物理同窓会」事務局●

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