■信大物理昔話〜「第1回生のあのころ」
青木 治三(文理1回卒/名古屋大学名誉教授/(財)地震予知総合研究振興会東濃地震科学研究所・所長兼振興会理事) 24JAN.2005
松崎先生と北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」のこともあるし、信大物理の昔の様子を書いてくれとのことですが、50年以上前の記憶は、しばしば、時間の前後関係を超越するものです。これから書く話も大分怪しげですが、少々のことはご勘弁願いましょう。
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第一話:松崎先生のこと
どくとるマンボウ作「恋人よ・・・」やチーチーパッパの快答案は信大発足1年以上も前の話ですが、周りにいる若者に聞くと、いまでは、答案にいたずら書きする風習はないようですね、だるま(手も足も出ない)を書く定番もご存じない。当時、苦し紛れのビッテ(お願い)は珍しくありませんが、感心するような出来は少なかったと思います。
信大を出たあとですが、先生のお宅に表敬訪問したところ、「青木君、こんなものがでてきたよ」とみせて頂いたのが、全部ではなかったと思いますが、あの答案でした。戦後まもなくのことで、答案用紙のわら半紙さえない時代です。何かの印刷の裏だったような気がします。紙質も、扱いが悪いとたちまち破れるという代物です。
よくもまあ、こんなものを保存しておいたものだと感心しましたが、それよりもマンボウ先生の短歌は素人離れ、さすがは斉藤茂吉の倅と、感心しました。松崎先生は「どうしよう・・」と思案顔でしたが、「本人に送ったらいかがですか、たぶん気を悪くすることもないでしょうし、もしかしたら次の小説の種になるかも・・・」と無責任なことを薦めた記憶があります。
その後、どうなさったかと思っているとき、出版物を送っていただきました。松崎先生は、弟子たちの答案を活字にすることに多少の後ろめたさを感じていらっしゃったかも知れません。それも気付かず、何とか世に出そうとけしかけたのは私だけではないと思いますが、これは正解でした。もっとも、松崎先生は「どくとるマンボウ青春記」で敵を討たれたようですが・・・。
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第二話:向井正幸先生のこと
松崎先生の「惜春の詩」最初の印象―向井正幸先生―に描かれている向井先生のことです。山口県育ちの正に温厚な先生でした。黒板に向かって「時間tのクワンスウf(t)は・・・」といいながら綺麗に数式を板書し、学生はセッセとノートします。授業中は何も理解できませんでしたが、試験前にノートを見ればよく理解できました。(したつもりだったかも知れません。)M先生のように、授業中は判ったような気がするのですが、試験前にノートを見ると、ミミズが走っているだけ、サー困ったというのとは対照的でした。
向井先生の専門は「湖水の透明度」です。今ならさしずめ環境学の中心をいく研究です。惜春の詩にもあるように、私たち学生は、木崎湖、青木湖、野尻湖、本巣湖と先生に誘われ、よく採水のお供をしました。仕事は単純です。午前中に湖に着く、先生が和船を借りてくる。われわれは碇の石を探し、実験器具と一緒に船に積み込み湖の真中まで行く、採水器を降ろして、予定の深さで採水してビンにつめる。
その作業を繰り返すのですが、その間、碇を湖底に下ろしたまま、一切動きません。われわれ学生はズッと船の中ですが、電車賃も弁当も先生持ち、空気のきれいな湖で半日は過ごせます。なにしろ我々は、物理とはいえ「自然科学科」の学生、部屋の中よりは外がいいという連中ですから。 小便はどうするかというと、もし催せば、船尾にたってやるだけのことです。周りには人影はありませんし、手漕ぎのボートと違って和船の構造は立小便可能型です。
ところが野尻湖では一度大騒ぎがありました。仲間のL君がお上品で、船尾では、どうしてもできないというのです。仕方がないので碇を上げて岸まで急ごうということになりました。ご存知かと思いますが野尻湖は大きな湖で深さは38m、最も近い岸まで4〜500mはあります。
向井先生が全力で漕ぎますと、碇を上げるA君が水の抵抗に悲鳴をあげます。やっと碇が上がると若干船足が速くなったようですが、広い湖では船足が遅く見えるものです。膀胱が一杯のL君は速く速くと急き立てます。先生は「これでも頑張っているんですよ」というのですが、決して声を荒げない先生ですから、我々にはかえって心配になりました。
実は、上手に櫓を操ると水が跳ねない、その故に遅く見えるだけのことです。やっと岸に近づき、水底の動きで知った船足の速さに一同びっくり。L君もおかの上なら立小便可能、というわけで一件落着。向井先生はまさに櫓漕ぎの達人でした。
そのこともあってか、先生は櫓漕ぎの先生でもありました。船を出すときの漕ぎ方、櫓の押し方、力の入れ具合、今では和船そのものが見当たりませんが、櫓ほど流体力学にかなった漕ぎ方は知りません。櫓の構造も合理的です。湖上で力学や流れ学の実験をしているようなものでした。高速は無理ですが、長時間でも疲れない、ボートのように進む方向に背を向ける必要もない、また荒天にも強いそうです。
採水が終わると、遅くなっても先生は研究室に帰り、その日のうちに透明度の測定です。一度やってみないかと言われ、トライしたのですが視野の中の灰色の明暗を見分けることができません。何回やってもOKが出ませんでした。最後には「青木君、疲れているのですね」と慰めてくれましたが、こちらは内心「コリャダメだ」と自ら陸水不合格の烙印を押し、その後一切測定からは手を引きました。向井先生に教えて頂いて、モノになったのは和船の漕ぎ方です。50年たったいまでも、孫を連れて海に行くと、和船はないかとあたりを見回すことがあります。孫に威張れる種を探すためにです。