第9回
●「理系の目」で社会の科学を見直す面白さ
井藤 伸比古(理学7S 統計研究室・豊田市在住)
03JUN.2009
【愛知県豊田市立大林小学校教諭】
かつて統計研で「吉江先生、永井先生と寝食をともに24時間」過ごしていたころのある日、となりの研究室の勝木先生から渡された板倉聖宣著の2冊の本が、井藤さんのその後を運命づけたという。現在、小学校の先生をしながら、ハングルなど語学から環境問題や産業構造の研究まで幅広く著述活動をされています。
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同窓会誌への投稿の依頼を受け、久しぶりに大学時代に思いを馳せながらこれを書いています。
卒業のとき、恩師のどなたかから「本当に中学校の教師なんかになるの?」と言われたことを今も覚えています。そんな私も、小・中学校の教師として、
36年目を迎えようとしています。私としては「ごくふつうの教師」のつもりで
すが、ここに投稿させてもらっているわけで「ふつうではない教師」なのかも
しれません。
現在、私は、愛知県の小学校で「こくさい」学級を担当しています。外国からやってきた子どもたち30名に日本語を教えています。子どもたちの父親は、すべてトヨタ自動車の研修生です。台湾、中国、インドネシア、マレーシア、
インド、タイ、トルコ、ロシア、スリランカなどいろいろな国からの子どもが
います。他に、大人の女性(インド、ブラジル)も5名ほど来ています。英語、
中国語など、いろいろな言語がとびかっています。
私がこの仕事を任されたのは、私が一冊の本『となりの国の文字 ハングルを読もう』(仮説社2003)を書いたからでしょう。私は、世界のいろいろな言語(特に文字)の研究をずっと続けてきて、その成果がこの本になったのです。
「英語」「韓国語」もそれなりにしゃべることができるようになりました。そ
んな私に「こくさい」の仕事が回ってきたのでしょう
私には,他にも著書があります。『対数グラフの世界』(仮説社1988 板倉聖宣と共著)、『資源・環境・リサイクル9 エネルギーと環境』(小峰書店2002)、『調べようグラフでみる日本の産業6 機械工業と建設業』(小峰書
店2000)です。どの本も,自然科学ではなく「社会の科学」の本です。
私がどうして小学校の教員をしながら「研究」を続けているのか。特に「社会の科学」の仕事をしているのか。それは、やはり元をたどれば大学4年のときのことのことが大元になっているんだと思います。。
大学時代は、2年3年と「どうして物理学科に入ってしまったのか」と思い続けていました。物理学の勉強より、クラブ活動(ハンドボール部、フルート
研究会、大学生協の組織部)に専念していました。
が、4年になって、私の思いはまるっきり変わってしまいました。
私は、統計研に入れてもらうことができました。4年の学生は3人だけでした。吉江先生、永井先生に、寝食ともに24時間お世話になりました。食事を作
って食べたり、先生たちが碁を打っているのを後ろから見ていたり、ときには
マージャンをしたり、楽しい思い出ばかりでした。先生たちといっしょに過ご
す中で、自然と「学問の楽しさ」「人生の辛苦」を教えてもらった気がしています。
そんなある日、となりの研究室の勝木先生が、いつものようにお茶を飲みにいらっしゃいました。そのとき部屋にいた私に、「君は中学校の先生になるん
だろ。だったらこの本を読みなさい」と、2冊を手渡されました。勝木渥「仮
説実験授業的・的授業の試み」『仮説実験授業研究7』(仮説社1976)と、板
倉聖宣他著『物理学入門』(国土社1964)でした。私はその2冊を夢中になっ
て読みました。「なんだ。物理学ってこんなにかんたんだったのか」と、大学
4年にして初めて理学部に入学した気分になりました。
それ以来、私は、仮説実験授業と板倉聖宣先生のファンになってしまいました。板倉先生の本はすべて読みました。そして月に一度の先生のゼミにも、15
年通い続けました。
私が社会の科学に興味を持ったのも、板倉先生の影響です。板倉先生には
『理系の視点から 日本史再発見』(朝日新聞社1993)という著書があります。
まさに、「理系の目」で社会の科学を見直すと、新しいことがたくさん見えて
くるのです。月刊『たのしい授業』(仮説社)という雑誌には、私が描いた
グラフが何枚も掲載されています。
現在、私は、「小学校の教師」「地域で科学教室の講師」をやりながら、社会の科学のアマチュア研究で、忙しくて楽しい日々を送っています。私がそんな生活を送ることができたのも、元はといえば「統計研」の先生たち、そして隣人の 勝木先生のおかげだと思っています。またいつか、北アルプスが見ながら女鳥羽川沿いを自転車で走ってみたいです。