■『曽禰 武 ― 忘れられた実験物理学者』 著者による解説(4.30, 5.09正誤増補;5.28 注*追補) 勝木 渥(元信州大学教授/東京都多摩市在住) 28MAY.2007
勝木先生のライフワークともいうべき本がことし1月に出版されました。本多光太郎の一の弟子で、黎明期の日本の近代的実験物理学者として嘱望されながら、若くして胸を病み、研究の道から去ったため、長く忘れ去られていた曽禰武氏の研究本です。ここに、先生よりこの本の「解説」が寄せられましたので、ご紹介します。
* * * * * * * * * * * * * *
この本の表題は、表紙(カバー)では『曽禰武 ― 忘れられた実験物理学者』となっていますが、著者が本来つけたかった題名は、中扉にあるように
基督主義者にして一時代早過ぎた実験物理学者
曽 禰 武
― 若き日の魂、一生を貫く ―
というものでした。
表紙に掲げるには、これでは長すぎて迫力を欠く、ということで、短い形容句「忘れられた実験物理学者」だけをつけることにしたのです。
曽禰武(そね・たけ)は、世界で初めて反強磁性体の磁化率のネール温度におけるλ型異常を観測したり(1914,酸化マンガンMnOで)、〔当時はまだ「反強磁性」の概念が成立していなかったため、この現象に本多と曽禰が与えた説明は正しくありませんでした。曽禰の発見した現象に正しい説明を与えうる理論が提示された、または曽禰の発見した現象がその理論の正しさの一検証になっているような理論が発表されたのは、実験から4半世紀以上経った1941年でした。――このことが、中扉に掲げた“ほんとの表題”中の形容句「一時代早過ぎた」に対応しています〕
世界で初めて気体の磁化率の信頼すべき値(特に水素の)を提供して(1919)、〔曽禰の気体の磁化率の測定は、当時、世界第1等のものでした。それは気体の純化(とりわけ、不純物としての酸素の混入の防止)に成功したことによります。曽禰の、特に水素の磁化率の測定結果は、当時問題になってきていた新旧量子論の優劣判断のための3分野(エネルギー・誘電率・反磁性)の実験事実のうちの反磁性の分野の信頼できるデータを提供するものでありました。〕
1925年度の学士院賞(東宮御成婚記念賞)を受賞するほどの成果を挙げたりしながら、胸を病んで1920年の暮れから3年間療養し、病癒えたときには基督教の伝道者としての道を歩みたいとの望みを抱く(*註)にいたり、立教大学予科の教授に転進して、物理研究者の道を棄てたために、後世ほとんどその業績が知られないままでした。
(*註)学士院賞の賞金1000のうち、200円と100円をそれぞれ実験を助けてくれた年配の金工の技官と若いガラス工の技術員に贈り、その余り700円で家を一軒借りて、曽禰自身の教会を創り、戦時中の「按守礼を受けて、政府の認可する日本基督教団に属すること」を拒否して教会を閉鎖するまで、そこを拠点にして16年間伝道に携わりました。(070528 追補)
この曽禰の事績を、先ず「聞書き」の方法によって掘り起こし、さらに論文・資料等を広く渉猟し、綿密な照合作業を通して、時には曽禰の記憶の誤りを正すこと(この場合、なぜそのような記憶違いが起こったかの原因の推定も試みています)などもしながら、一書に仕上げたものが本書です。このような書き方をしたので、この本で紹介されている諸事象の「事実性」はきわめて高い確率で保障(保証)されているといえます。
この1月に単行本として陽の目を見るまでに、日本物性物理学史、特に本多スクールの仕事にまったく無知であることを物性物理学者として恥ずべきことであると心から痛感して、日本物性物理学史の実証的研究を自分のライフワークにしようと思い立った1969年夏から数えて37年余、曽禰のことを初めて知った1971年秋から数えて35年余、曽禰に初めて会った1976年秋、そして曽禰を自宅に訪ねて最初の聞書きをとった1976年10月25日から数えて30年余を、要しました。
いささか感無量の感があります。
教育の面から見ても、曽禰の小学校、中学校時代のこと、特に中学校で、理科好き・実験好きの少年が、どのような契機で一生を物理の研究に捧げたいと思い立ったか、どんな授業が一少年の心にそのような思いを芽生えさせたか、そして、その思いを徐々に叶えていくようになる、旧制一高時代(ほぼ大学教養部時代に相当)の経験 ― 実験が開講されないことへの落胆や、本多との出会い、本多の研究を手伝った中禅寺湖のセイシの観測や、熱海の温泉の観測、熱海での宣教師一家との出会いと基督教への開眼、等々、人生の「精神的激動期」ともいうべき青年期における特徴的出来事をそれぞれ、精細かつ簡潔に辿りつつ、曽禰の人間形成の過程を浮かび上がらせようと勉めました。
曽禰の一高受験の時期の物理の入試問題を紹介したり、本多の『鋼の焼入れ』に関する職工教育(講習会)や、戦時下の少年少女労働者の自立的な自然科学勉強の挿話などを、然るべき場所に嵌め込んだりしてありますが、これらは、今やほとんど知る人のなくなった「満州物理学会」のことなどとともに、ある種の歴史資料的意味を持ちうるでありましょう。
また、大学理工系の大拡張があったり、人文社会系大学に理工系専門学校が置かれたり、高等女学校卒業者の前に専門学校レベルの理数系のコースが広く開かれるようになったりしたのは1944年のことで、それらは戦時下の国策に沿ったものでしたが、その頃のことも書き込んでありますし、また、帝国大学の最初の女子学生のある受講風景が曽禰の目撃談として語られていることも、ちょっとした興味を引くのではないかと思います。
聞書きをきっかけとした一つの物理学史研究が、実際にどのような具合に展開されてきたかについてもある程度具体的に述べられているので、この面での一つの典型例として、物理学史家・自然科学史家にとって、大いに参考になるものであるかも知れません。
『曽禰武……』を読んだ私と同年輩の物理学者は、≪(この本には)曽禰武という一実験物理学者の生涯とともに、当時のわが国の物理の実態が活き活きと描かれ、大変興味深く読んでいる≫ という感想を寄せてくれましたし、
私より学年にして4年先輩で信大理学部の学部長だった人(物理学科の人ではない)は、≪読みました。感激をもって全部読みました。/曽禰武さんを中心において、物理学者が物理学をいかに研究してきたか、よく分かりました。/そこで、私としては恥ずかしいことですが、貴兄が修士論文のテーマに物理学史を与えておられたのを、あまり心よく思っていなかったのを、告白しなければなりません。御本を読んで、物理学史はやはり物理学のなかで物理学を伸ばす分野の一つであると感じました。……≫ との感想を寄せてくれました。
私は「物理学史は物理学のなかで物理学を伸ばす分野の一つである(=物理学を伸ばす“ための”もの)」とは考えておらず、物理学とは独立の学問、それ自体物理学と同等の学問的価値を持つ(べき)もの、歴史学の一分野だと考えていますが、学問としてしっかりした内容のものを書き上げようとして取り組んだ結果が、この人がこのような感想を抱くという副産物をえたこと、この人に「科学史の研究・物理学史の研究には学問的価値がある」との回心をもたらしえたことを嬉しく思いました。
この本に結実した研究は、信州大学在職中に、1969年頃から着手し、後に聞書きに取り組み始めるに当たっては科研費を申請し、物性研が創設されるまでの日本の物性物理学史の実証的研究ということを一本の筋として、1976年度から1994年度まで、一般研究D(2回)、C(4回)計6回13年間総額548万円を得て展開されたものです。
単行本になったのは、定年退職後12年弱経ってからですが、信大理学部物理学教室の一つの研究成果であるといえるものだと思います。
興味のある方、勝木渥 akatsuki-tanusa@nifty.com にご連絡下さい。
* * * * * * * * * * * * * *
【書誌情報】 (ネット書店)アマゾンの紹介ページ
著者は勝木渥です。発行所は「績文堂」です。
横書きで、サイズは四六判、314頁(横14cm×縦19.5cm、厚さ2cm、重さ440g)です。
図書番号は ISBN978-4-88116-147-0 C3042 2500Eです。
定価は、本体価格2500円+税125円=2625円です。
【正誤表】 2007.03.07 勝木渥
(増補07/04/30;07/05/09;07/05/14)
拙著『曽禰武 ― 忘れられた実験物理学者』に下記の誤植がありました。訂正します。
p.5 ↑3行目 ≪1984年4月 → 1983年4月≫
p.92 ↑5行目 ≪てに両中尉 → た両中尉≫
p.115↓5行目 ≪Philosophycal Magazine → Philosophical Magazine≫ (07/05/09)
p.130↓2行目 ≪宮原は,その最初の → 宮原は,「その最初の (「「」挿入)≫ (07/05/09)
p.164↑7行目 ≪命名のさいにに,→命名のさいに,・(「に」削除)≫
p.166↓9行目 ≪『科学』6巻 → 『自然』6巻≫
p.180↑2,1行目 ≪データー → データ (「ー」削除)≫ (07/05/09)
p.211↓6行目 ≪なされてていた。 → なされていた。 (「て」削除)
p.248↓2,4行目 ≪精霊 → 聖霊≫ (07/05/09)
p.254↑3行目 ≪1970年ころ → 1969年ころ≫
p.259↓13行目 ≪進化 → 深化≫
p.286↑8-7行目 ≪話し方をした。先生が声を荒げて学生を叱るというようなことは なかった。 → 削除(2行下にほぼ同文の記述があるため)≫ (07/04/30)
p.295↓10行目 ≪出かけるだびに→出かけるたびに≫ (07/04/30)
p.299↑4行目 ≪無教会派独立教会 → 無教派独立教会(「会」削除)≫ <無教会派> は <「無教会」派> を含意、<無教派> は <無「教派」> を含意。 (07/05/09)
p.299↑3行目 ≪伝導 → 伝道≫ (07/05/09)
上の15項目は、原稿作成時の、著者の不注意による誤記です。7校までしたのですが、見落としました。
また、61頁に2ヶ所、Narrow に「ナロウ」と読み仮名をつけていますが、「ナロウ」という表記は、曽禰の談話の発音を正しくは表しておらず、「ネァロウ」という表記が、より曽禰の発音に近い表記になっているので、そのように訂正することにしました。
p.61 ↑9,7行目 ≪ナロウ → ネァロウ≫
下の2項目は、原著(『寺田寅彦日記』、本多光太郎『磁気と物質』)を引用したものですが、誤写した可能性があります。原著に当たって確かめるまで、正誤の判断を保留します。
p.70 ↓9行目 ≪案内しくれ → 案内してくれ≫
(日記の文なので、語勢より判断して修正の要なからむ)(07/05/09)
p.116 ↓7,8,9行目 ≪パラジヂウム、ロジヂウム、イリジヂウム≫ 青字を赤字で置き換える
(英語の原綴から考えて、修正の要あらむ)(07/05/09) 確かめた。修正。(07/05/14)
|