第12回
●ベンチャーとやらまいか精神
     〜「新材料の創出に不可欠な要素技術」の製品化を目指して〜
柳沢 雄太郎(理学5S/電子研究室・静岡県浜松市在住) 28DEC.2021
【(株)浜松クオンタム代表取締役】 

  5Sの柳沢と申します。はや大学を卒業して50年。定年後に、浜松市でベンチャーの会社(株)浜松クオンタム(https://h-quantum.com )を始めて6年になります。6Sの太平さんから、信大物理同窓会報にベンチャーの苦労話や経験談を、とのお誘いを受け、駄文ではありますが、何か他の人に役に立つ話もあるだろうと思いお引き受けしました。

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◎  社長と技術部長と総務部長の3人の社長面談で浜松ホトニクスに就職
 私の大学時代は、学生紛争の後半で、学生が立てこもった東大の安田講堂に、機動隊が突入するというテレビ放送があり、東大入試が無かった時代でした。信大の教養部では、みっちりと授業に出ましたが、2年目から学部に入ると、学生運動の余波で授業にでる学生は、物理30数人の内の10人以下で、その他の学生はほとんど授業にでませんでした。

 私も、量子力学演習などは、1,2回授業に出て行って、問題を数個、 黒板で解くと単位をもらえたことを憶えております。今ではかなり違うで しょうが、教えてもらうというより自分で勉強することも非常に重要な気 がします。と言いますのは、私も大学に入って、研究とは何かと迷ってお り、何か創造能力というものが脳から死滅しつつあると感じたわけです。そこで、授業には、これ良いことに出ないで、本を買ってきて、その中のところどころにある定理などを証明無しで読んでその証明を解こうとする。当然、解けないで2,3週間が過ぎた後、良くしたもので、こうやればいいのではという筋道が見えてきます。その後、本の証明を見ると、大体同じような方法で解いている。こんな経験を数回すると、たいした回路ではありませんが、脳に創造回路が生き残ったような気がします。

 浜松の会社(浜松ホトニクス=浜ホト)に来て、小山の大将俺1人・浪花節の我が社の社長が、「お前らは本を読みすぎたので脳の回路がおかしいのだ。俺のように何も読んでないほうが、新しいものが見えるのだ」と言っておりましたが、なるほどそれも一理あると感じたわけです。

 その当時、MITの教授が、次の就職先が無いというので、社長に泣きついて、会社の顧問になりました。彼は、トルコ人で小学校に行かなかったが、米国に来てDr.になったそうです。かれの口癖が、「私は小学校を出ていないから、出た人が考え付かない発想ができる」というのが売りでした。彼はアインシュタインの重力理論とは別のイルマツ重力理論を作ったのですが、私の会社の同僚で京大の原子核理論のDr.がイルマツ理論を勉強しろと社長が言うので、MITに数年留学しておりました。 私は大学卒業後、何とか名古屋大学大学院の、素粒子実験の研究室に入ることができ、研究もどきを始めたわけです。ベンチャーとの兼ね合いでは、その当時の大学院は、畑違いの分野に手を出すということに非常に臆病だったように感じました。専門外のことは、「お前の専門でない、できるのか」という雰囲気がありました。

 今では、工学部でも脳や生命などに関係したことに果敢に挑戦しているようでかなり良くなったでしょうか。その当時の大学院は、オーバードクター問題があり、大学の教官の口がほとんど無かったものですから、研究室と付き合っていた浜松ホトニクスに入社しました。入社時に丹生教授に立派な紹介状を書いていただいたせいか、入社は社長面談で、社長と技術部長と総務部長の3人の面接で入りました。社長面接で入ったせいか、1年間、会社の製造と技術、研究部門を研修してこいというので、1週間ごとに1部門を回り、製品のノウハウを教えてもらいました。その後、自分で決めた開発をやらせてもらいました。

◎  「未知未踏をやれ!」とはっぱをかけられ「やらまいか」精神の洗礼
 それからの私は仮説実験授業の勉強をし、その研究会に参加し、授業をしてその結果を検浜ホトは、入る前から変わっている会社と思いましたが、入ってみるとベンチャーのかたまりのような会社でした。研究工業と称して、タイムカードが無く就業時間は自己申告。全員に年間作業目標で、自分のやっている仕事以外のテーマを自由に設定して、毎月土曜日の午後2回はそれにあててもよい。技術部では、30分間くらいなら遅れても、その分長くやってくれれば良いなど。

 また、研修で回った時など、製品の数がばか多くて、ある部屋に行くと、2,3人で遠赤外の検出器を作っている、また、次の部屋では別の製品を、などその連続。技術部でも、1人で1製品を開発する。ベンチャーの集合体。まあ、外国にある製品を買ってきて、分解して寸法や材料、接合技術をそのまま作るのだから、できないことはないのですが、何か製品を作ろうとすると、その敷居の低いことにはびっくりする限り。浜ホトの主力製品は、光検出器で、世界の研究所や大学で使用されていました。社長が営業で外国の大研究所に売り込んでいくうちに、ノーベル賞やその分野の先端の教授達と友達になると「研究は面白いものだな」というわけです。

 そこで、会社に帰ってくると、「未知未踏をやれ」というテーマを掲げて、研究所にはっぱをかけました。入社して数年後に、豊田自動車が、浜ホトの株主になるというので、豊田の社長以下取締役が高級車を連ねて会社見学に来たことがあり、帰りぎわにある取締役が、「この会社は豊田佐吉翁の精神がまだある会社だ」と言ったそうです。豊田佐吉は浜名湖の西の湖西市の出身で、親父が大工でそれを手伝っていたとき、自動織機の発明をしたいというと親父が反対したので、自分で隠れて小屋を借りて、そこで自動織機を開発、特許を取ったそうです。浜松市は、江戸時代、ここの城主になると江戸幕府の老中になれるというので、城主が20名近く交代するたびに、人が入れ替わって、浜松の精神として、「やらまいか」精神がねづいたそうです。

 今では、小学校で、小椋佳の作った「やらまいか」の歌を歌っています。悪口では、他の地方では、「やめまいか」だという。「なかなか立派だ。すごいな。、、でも大変だからやめまいか」というわけです。

 私が今入っているのは、県の浜松にあるインキュベートセンター(11人)ですが、定年後の人が半分、若者は1,2割、しかも、若者は1人で無く2,3人の仲間でベンチャーを作るのが多いようです。部屋の借り賃は、月2.5万円/70m^2です。浜松市には、もう1つ中小企業庁で作った、まるでマンションのようなベンチャー用の施設がありますがそこは、価格が高く(3〜4倍)、半分ぐらいが空き部屋となっています。全く官僚のエリートは何もわかっていない。

 さて、社長も小さな会社から今の会社を立ち上げたので、ベンチャーに興味を持ち、浜松市に、光産業創生大学院大学を作りました。そこに私の後輩たちも派遣されたり、教授となって友達も行くうちに、私も「世間でいうベンチャーというものをやってみるか」ということで、定年後に始めたわけです。私は事業部にいたのでなく、主に中央研究所にいましたので、最初は、会社を辞めてベンチャーを作った後輩に、「柳沢さん。そんなんじゃ、信用されないから売れないよ」などアドバイスをうけ、今ではなんとか少しづつですが、売れる製品を作っております。

 教えてもらって一番役にたったのは、google広告です。それと、製品の数を増やして、Homepageを見栄えを良くすること。Google広告(1クリック80円で、月、1,2万円)を出すと、半年でHomepageも検索の1,2番目のページに載せてもらえるようになります

◎  新規な開発品、需要品ができないかと、大学や企業からメールがくる
 そして最も重要なのは、何をやるかです。ベンチャーを作った後輩達もLEDの特殊用途用の製品を作っておりましたので、元素粒子実験屋として、超安定光源、ナノパルス、高出力ストロボなど特殊用途用で、波長を30種類ほどそろえることにしました。安定光源を1波長で開発すれば、Homepageは、30種類の製品があるようになり、ナノパルスを1つ作れば、60種類の製品、、、簡単にHomepageが増えていって、信用されるというわけです。そして、特殊用途を作っていると、新規な開発品、需要品ができないかと、大学や企業の研究所からメールがくるようになり、現在は、営業もHomepageで十分という時代になったわけです。

 最後に会社も理念・文化というものがあります。浜ホトは温情的会社で、社員が亡くなると、家族が困るというので、奥さんを社員に新たに雇ってくれたり、精神的におかしくなった社員も配置がえだけでした。静岡県の総務部の集まりで、浜ホトの総務が出たおり、他の人に「浜ホトはいいね。静岡県で1社だけだよ。精神的におかしくなった社員を辞めさせる仕事が総務部にないのは」といわれたそうです。

また、「利益3分配」と言って、利益は、会社、株主、社員のものということで3分配しており、私が入社する前には、2ヶ月分の+αがあった年もあったということです。株公開で今では、0.5ヶ月分に減りましたが。フランス経済学者のピケティのように、富の分配が世界的に問題となっております。ベンチャー会社が熟考すべき一要素ではないでしょうか。

 会社もマイナーな製品を作っていた最初1,2年から、後輩とGoogle広告のおかげで、新しい製品発表の年でも100万円ほど売れました。最初はデモ機を使ってもらわないと購入してくれませんでしたが、Homepageの見栄えを良くしていくうちに デモ機なしでも購入してもらえる。しかも東大とかデンソーとか大手企業へも販売が可能となり、新しい性能の製品ができないかという依頼も来るようになりました。どうもこの分野の世界のHomepageを見ていると、浜ホトの先端を極めろ(ピコ秒計測、量子効率100%、ノイズゼロ)や、研究者が「どこも作ってくれないから御社で作ってくれないか」と言ってくる先端製品も作るという精神が使えそうです。市場があまり無い先端製品でネームバリューをとり、市場規模の大きなライン用の製品へという筋書き。さて、どこまで行けるか。当方、事務処理能力、落第生で苦労している毎日です。

 最後にベンチャー精神とは、「やらまいか」精神そのものだと思います。皆様のご健闘を。

 今日の教育が大きく変わらなければならないのは事実ですが、どのように変えていったら(参考:定年後、昔から興味があった物理基礎論を再び余暇で考えていて、科学基礎論学会に発表しました。相対論とベルの不等式の2つです。興味のある方はどうぞ。http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_16D3.pdf  
 http://phsc.jp/dat/rsm/20160524_18B3.pdf  )      


●「信州大学物理同窓会」事務局●

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